On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2013-12-17 06:13:21

そくほう、というほどのことでは全くありませんが…

…2013年12月中旬のぼくの「体内年齢」は36歳という医師の判定となりました。

▼実はきのうから、1年に1度の人間ドックのために、都内の総合病院に来ています。
 先週の土曜日、早朝から、出張先の長野県→社有車を運転しいったん帰京→新幹線に乗り換えて名古屋。テレビ愛知で韓国の「反日」を問う番組に参加→新幹線と特急を乗り継いで、深夜に大分県内入り→日曜の朝6時すぎ、自衛隊の部隊に合流→終日、自衛隊のオペレーション(作戦任務)に同道→列車を乗り継いで深夜に福岡まで戻り、月曜の始発フライトで帰京、自宅に戻っていると間に合わないのでそのまま総合病院に入り、人間ドック開始…というわけです。

 この人間ドックは、独研(独立総合研究所)の総務部が、検査てんこ盛りのフルメニューを病院と調整しているので、朝から夕刻までしんどい検査の連続で、正直、自衛隊のオペレーション同道よりも疲れました。
 検査は2日がかりで、今朝は5時20分に起きて、病院指定の記録メモに自分の状況を書き込んだり、内視鏡検査に備えて大量の下剤を飲んだりしているところです。
 病院は工事中でベッドがないということで、近くのホテルに泊まっています。
 日本の首都の夜が、すがすがしく明けていきます。
 きのうの朝陽は、自衛隊の最前線で旭日旗を透かせて昇ってきました。
 あの自衛官の目には見えない献身があって、この東京も、諸国の首都に比べれば安全度が高い。


▼きのうの段階の検査で、「体内年齢」の判定が出て、上記の通りでした。
 ぼくの健康を心配してくださるメールや書き込みが多いので、これを報告しておきますね。
 人間ドックを受け始めてから、毎年いつも体内年齢は30歳代で変わりません。

 おのれでは、不満です。当然20歳代になるべきで、やはり基礎トレーニングをはじめとする運動量が少なくて、壁を突破できないでいると考えています。
 きのうも、この病院のドックの特徴でもある「運動指導」を受けました。

 昨日の段階で、大半の検査は終わっているのですが、ほとんどの項目で去年より良くなりました。
 ぼくのウルトラ多忙をよく知る医師や看護師さんたちが驚いていましたが、これはぼくも、すこしびっくりしました。
 生活ぶりそのものは、去年よりさらに格段に、ひどくなっているからです。
 たとえば、ぼくのことしの毎日の日程からは、朝食、昼食、夕食、いずれの時間も姿を消しています。あるとしたら、ワーキング・ランチ、ワーキング・ディナーだけ、つまり、役職の重い官民の人々と昼食や夕食を共にしつつ議論をするときだけです。
 こうしたとき、味もほとんど分かりません。議論に集中しているからです。

 ふつうの意味の食事の時間は、みごとに無くなっています。
 なぜ、こうなるか。
 早朝から深夜まで、ぼくの日程表に空きがあれば、すかさずそこに、新しい日程がどんどん入っていくからです。それが、どんな空きであっても、ほんらいは食事の時間であっても、そうなります。
 したがって、ことしの人間ドックでは、基礎代謝と筋肉量で決まる「体内年齢」は変わらなくても、睡眠や食事、休息の取りぐあいが響く、さまざまな数値は悪化しているだろうと覚悟していたのです。
 ところが、どんどん良くなっています。

 ぼくの生活で、ひどくなっているのは、食事の時間も無いというだけではなく、食事の質もそうです。
 この人間ドックには、「いちばん平均的な1日を選んで、食事の時間と内容を記録し、提出する」という決まりがあります。
 そのように記録してみると、今のぼくは昼食も夕食も移動中、すなわち機中か、車中か、列車内かで、機内食や、駅で買ったおにぎりや弁当ばかりでした。
 さすがに飽きちゃいますし、食欲もなくなります。

 この記録を見た医師は「う~ん。ひどい」とうなりつつ、検査結果の数値の改善を見て、「なぜ、こうなるんでしょうね」。
 笑っている場合じゃないけど、わはは。


▼何年か前に、両手の平に突然、大量の水泡が現れました。
 痛がゆくて、けっこう大変でした。
 第一、手が痛くて使えなくて、パソコンのキーを打つのが難儀で、原稿を書くのに四苦八苦する。

 診察した医師から「仕事のし過ぎ。仕事を減らさないと、どんな治療も無効。仕事を半分どころか、3分の1以下に直ちにしないと、死ぬまでこの水疱の痛みやかゆみに苦しむことになる」と断言されました。
 独研の総務部とも話し合い、悩んだあげく、ようやく減らした仕事は1つだけでした。
 それは「花泉」という、華道の志ある機関紙への寄稿でした。
 頑張り続ける女性編集長から依頼を受けて始めた寄稿で、これを中断するだけでも、ほんとうの断腸の思いでした。

 しかし医師には、「それじゃ仕事は99.999%、同じじゃないですか。後悔しますよ」と叱られました。
 叱ってくださるのはありがたかったけれど、現実には、それどころか仕事はそのときより、逆に今、300%前後になっている、つまり3倍ほどになっていると思います。

 手に水疱はその後、まったく現れません。
 一時期は、手の平が実は痒(かゆ)くなることがあって、あ、いよいよ医師の予言通りになるのかなと覚悟していたら、そのうち、こうした警告のような痒みもなくなって、今は何もありません。

 こないだ、青山千春博士とこれを話していて、「あの頃より、体質がもう一段、強くなったよね」と言うと、青山千春博士は、それをとっくに確信している表情で、「そう、そう」と同意します。彼女は、独研の自然科学部長に加えていま、総務部長代理も兼務していて、ぼくの日程づくりの責任者でもあります。
 だ、だめじゃん。
「そんな過信はいけません」と言ってくれなきゃ。


▼体内年齢が30歳代のままであっても、重症肺炎になって死の一歩、手前まで行きましたし、大腸癌にもなって、その手術の直後にもう仕事を再開したために重い腸閉塞を引き起こして、「死ぬまでにあと、40分ほど」と医師に明言される事態にもなったことは、よく自覚しています。

 青山千春博士や、独研総務部の秘書たちは「社長は超人だから」と、ふつーに言います。
 外の世界でも水道橋博士は「超人あおやま」と呼んでるようです。ニッポン放送のスタッフたちもそうです。
 いや、超人なんて、この世にいません。
 ぼくは、ただの原始人です。
 
 原始人だから、環境の激変に合わせようと、心身が自然に変化する。
 マジで、そうなのかもと、考えているのです。

 以上、速報と言うほどでもない、そくほうでありました。
 みなさん、心配してくれて、こころからありがとう。大丈夫ですよ。
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