On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-07-21 16:23:49
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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18年4か月かかった純文学小説「わたしは灰猫」が実質的に、脱稿しました。 (わずかに推敲しました)

▼本日7月21日火曜の未明、夜が明けるかどうかのとき、自宅の仕事場にてのことです。
 まだ、細かな手直し、確認はしますが、もう大きく改稿することはありません。

 作家としてのぼくにとっては、ちいさな記念日となりました。 ( さきほど、チャンネル桜の「青山繁晴が答えて答えて答える」の収録があり、そこでもすこしお話ししました )
 純文学小説として「平成紀」 ( 幻冬舎文庫 ) がありますが、それに続く第二作が、ようやく上梓されることがこれで固まりました。

 実は「平成紀」のまえに、文學界新人賞 ( 文藝春秋 ) の最終候補作となった「夜想交叉路」があります。
 しかし、この回の文學界新人賞は結局、受賞作品無しとなりましたから、これは印刷されていません。
 だから、印刷され出版される小説としては、この「わたしは灰猫」が第2作となります。

▼アイデアを次第に練っていって、起稿、すなわち実際に書き始めたのは、平成14年、皇紀2662年、西暦2002年の3月16日でした。
 そこから11年3か月半を経た平成25年の7月4日に初稿を脱稿しました。
 ここまでも信じがたい長い歳月を要したわけですが、そのあとさらに、いわば数奇な運命を辿るとは思いもしませんでした。
 ある伝統ある文芸誌に掲載が決まっていたのが、編集長の交代で急に無くなったり、まさかのことが起こりましたが、そのたびに、むしろ改稿のよき機会と考えて、書き直しを重ねました。。

 そして時代は、平成から令和に進んだ今日、実質的に脱稿したわけです。実に18年と4か月余りを経て、ついに本の姿になっていくというのは、それなりの感慨があります。
 しかし本はみなさんに、読者に読まれて初めて本になるというのが信念のひとつなので、ほんとうはまだ生誕前です。

▼最後は、ほぼ〆切通りに脱稿しました。
 したがって、版元の扶桑社から提示された出版日程のままに進めることができると思います。

 このあと、数日間、いずれも必ず深夜の作業になりますが、最後の推敲をいたし、8月上旬に版元からゲラ ( もう本のページの姿になった仮印刷 ) が届き、あらためて印刷されたものを違う目で見てみて、ゲラ直しを行います。
 このゲラ直しを二度にわたって丁寧に行い、完成し、出版社に戻すのが、8月下旬、そして「校了」を迎えます。
 これは、著者の手を離れて、完成本の印刷作業に入ることを意味します。
 この校了日は、8月28日です。

 これと同時進行で、帯の文言を決めたり、表紙のデザインをやったり、という、ちょい愉しい作業をやります。
 この作業の〆切も、8月上旬です。
 これも本文と同じく、ゲラが出てきて、それを確認・修正します。
 校了は、本文と同じく8月28日です。

▼そして、ついに見本が出てくる予定が、11月上旬。
 さぁ、この先は読者の世界です。
 都心の書店に夕方から発売になるのは、11月9日、全国津々浦々の発売が11月11日です。

▼文学に純文学も大衆文学もないという考え方もあります。
 ぼくは良き意味で、愉しい意味で、ある、という考え方です。
 純文学小説の重い宿題となっていた、この作品が終われば、エンタテインメント小説も書いていくことができます。

 ひとのために生きよという、誠にささやかな信念から、いちばんやりたい仕事の作家業、物書きを後回しにしてきました。
 その物書きとしての仕事も、まずは先にやりたい小説分野は、やりたいことですから後回しにしています。
 だから、ノンフィクションをずっと書いてきました。
 いちばん書きたいのは、前述したように小説です。物語です。その物語のうち両方、純文学とエンタテインメント小説とも同じく好きです。
 しかし最初の入り口は、商売っ気抜きの純文学と勝手に決めていました。

 最初の入り口は、「平成紀」で済んでいるはずですね。
 ところが、ある編集者たちによると、この平成紀は実は当時、ある賞の候補になりかけたそうです。そのときの議論で「この小説は明らかに事実にも基づいている。この書き手がまったくのフィクションを書けるかどうか見たい」という意見が出たそうです。
 これを伝え聞いたぼくは、なるほど、と思ったのです。
 というのは、ぼくは少年時代から実験小説が好きでした。実験小説というのは、同じ物語といっても、これまでにない実験的な試みをする作品です。
 よく知られているところでは、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」です。なぜかフランス文学に多いです。
 そのために「平成紀」も、ほんとうは実験しているのです。それは事実と虚構のあいだを探る、ほぼ歴史的事実、それも近年の、まだ評価が定まっていない事実をそのまま扱いながら、文学として成立している小説を目指したのです。

 したがって、上記の意見は面白いと思いましたから、第2作は、まったくモデルになる事実がない、登場人物もモデルか、それに近い人は全く居ない作品を書きました。
 やりたいことは後回しで、いまは国会議員にもなってしまって公務を山のように背負っているわけですから、それが18年半近くも掛かった原因ですが、この「何も無いところからすべてを創り出す」という難事であることも、ひとつの要因かも知れません。

 そして、「わたしは灰猫」も、ぼくとしては、ある実験をしています。
 それは読んでの愉しみになさってください。




 
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