2020-08-19 02:14:41
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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ぼくはツイッターをやりませんし、やっていません。ツイッターを始めたのは公設の議員事務所です。
▼先のエントリー(ここ)で詳細に記したとおりです。
そのエントリーを読まれたうえで「青山さんはツイッターを始めたのですか」という問いが来ます。
もう一度、申しますが、ぼくはツイッターをやりませんし、やっていません。
新しくツイッターを始めたのは、ぼくではなく、秘書団です。したがって、そのツイッターは、お知らせに徹していると思います。
その秘書団とは、国会法に基づいて国会議員に必ず置かれる公設秘書3人、いずれも国家公務員特別職です。その秘書団は、議員会館に公設される議員事務所で務めを果たします。ぼくという議員の場合は、当然、「青山繁晴事務所」となるわけです。
こうしたことを、法律の定めた仕組みを含めて、丁寧を心がけて、時間をかけて先のエントリーに記しました。
そのエントリーをしっかり読まれたうえで「青山さんがツイッターを始めたのですか」となぜお聞きになるのか、ぼくにはもう分かりません。
ツイッターは、それほどまでに大きな意味を持つのかなという、たった今の日本社会の雰囲気の一端は、おかげさまで伝わりました。
ツイッターは、サンフランシスコに本社がある企業、ツイッター株式会社の、ビジネスです。
言うまでもないことですが、あくまでひとつのビジネスです。
使う、使わないは、どこまでも、わたしたちひとりひとりの自由意志ですね。
ぼくは使わないし、しっかり仕事をしてくれている公設秘書団は、秘書団の判断として活用する。
それだけのことです。
余談ですが、従前から「ブログは時代遅れ」、「もっと短く、即応性のあるツイッターで発信すべきだ」とぼくは、言われ続けています。
しかし、やりません。
ツイッターが十数年前にそのビジネスを始めたときから、「面白いことをやるな」と客観的に考えていました。
ぼくは政治記者の前に、経済記者を務めていましたし、ICT技術の全般とその社会現象に、もちろん深い関心があります。
そのうえで、ツイッターのまさしく「短く、即応性がある」というセールスポイントに、ぼくは同意しません。
メリットが沢山ある。同時に、日本社会と世界を歪める側面をも持つだろうと、ツイッターの草創期に考えました。ぼくの生き方には合わないとも考えていました。今も同じ考えです。
ぼくの公設秘書団を含めて、ほかのかたがツイッターをどしどし活用されるのは、その判断にお任せし、支持します。
また、ぼくの公設秘書を務めてくれている3人は、どこまでも賢く活用し、デメリットをできるだけ避けるだろうと期待し信じています。
そのエントリーを読まれたうえで「青山さんはツイッターを始めたのですか」という問いが来ます。
もう一度、申しますが、ぼくはツイッターをやりませんし、やっていません。
新しくツイッターを始めたのは、ぼくではなく、秘書団です。したがって、そのツイッターは、お知らせに徹していると思います。
その秘書団とは、国会法に基づいて国会議員に必ず置かれる公設秘書3人、いずれも国家公務員特別職です。その秘書団は、議員会館に公設される議員事務所で務めを果たします。ぼくという議員の場合は、当然、「青山繁晴事務所」となるわけです。
こうしたことを、法律の定めた仕組みを含めて、丁寧を心がけて、時間をかけて先のエントリーに記しました。
そのエントリーをしっかり読まれたうえで「青山さんがツイッターを始めたのですか」となぜお聞きになるのか、ぼくにはもう分かりません。
ツイッターは、それほどまでに大きな意味を持つのかなという、たった今の日本社会の雰囲気の一端は、おかげさまで伝わりました。
ツイッターは、サンフランシスコに本社がある企業、ツイッター株式会社の、ビジネスです。
言うまでもないことですが、あくまでひとつのビジネスです。
使う、使わないは、どこまでも、わたしたちひとりひとりの自由意志ですね。
ぼくは使わないし、しっかり仕事をしてくれている公設秘書団は、秘書団の判断として活用する。
それだけのことです。
余談ですが、従前から「ブログは時代遅れ」、「もっと短く、即応性のあるツイッターで発信すべきだ」とぼくは、言われ続けています。
しかし、やりません。
ツイッターが十数年前にそのビジネスを始めたときから、「面白いことをやるな」と客観的に考えていました。
ぼくは政治記者の前に、経済記者を務めていましたし、ICT技術の全般とその社会現象に、もちろん深い関心があります。
そのうえで、ツイッターのまさしく「短く、即応性がある」というセールスポイントに、ぼくは同意しません。
メリットが沢山ある。同時に、日本社会と世界を歪める側面をも持つだろうと、ツイッターの草創期に考えました。ぼくの生き方には合わないとも考えていました。今も同じ考えです。
ぼくの公設秘書団を含めて、ほかのかたがツイッターをどしどし活用されるのは、その判断にお任せし、支持します。
また、ぼくの公設秘書を務めてくれている3人は、どこまでも賢く活用し、デメリットをできるだけ避けるだろうと期待し信じています。