2020-09-13 09:58:22
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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にんげん、最後はメンタル (かなり推敲しました)
▼総裁選を明日に控えた日曜の朝に、思うこと。
にんげん、努力すればするほど、努力によっていわば次元が高くなればなるほど、最後は意外なほど、精神のあり方 ( スポーツの言い方だと、カタカナで申し訳ないけど、メンタル ) に左右されるということを、学生時代から社会人の今に至るまで痛感してきました。
国会に出てからの4年2か月、ほんとうは安倍晋三内閣総理大臣との直交渉をひとつの軸として、行動してきました。
そこから、いわば派生して官房長官とも直交渉があり、また政治記者時代からの人脈を活用しての現職閣僚らとの直交渉があり、さらに経済記者時代の人脈も含めて官僚群との日々の交渉があります。
そのとき、歴史に名を残すような人でも、最後はメンタルだなぁと実感することが多かったのです。
▼そう言うぼくは、どうか。
実務者ではなく論評する立場だった記者時代の18年9か月ですら、歴史に残る特ダネを獲得するかどうかの瀬戸際では、メンタルが鍵でした。
そのメンタルの壁をみずから作って失敗した、それまでの努力を一瞬で無にした事実も、小説化して描いたのが、「平成紀」 ( 幻冬舎文庫 ) だったわけです。
この小説のメインテーマではありませんが、大事な要素のひとつでした。
その失敗場面とは、昭和天皇が崩御された直後、総理官邸の廊下の場面ですね。
▼さて、安倍総理の辞任表明があり、そして総裁選が近づくにつれ、ぼくの魂深くの鬱屈は深まりました。
祖国を甦らせるための、ぼくなりの考え、具体策、信念と食い違うことばかりが起きるからです。
また、背後から弾が飛んできます。頭を狙うように弾が飛んできます。これは世の常です。すなわち覚悟の上です。
ただ、受益の側から、脅迫のような言葉をぶつけられてばかりいると、意欲が削がれます。ご本人は、自分の仰っていることが脅迫に近いという意識は無いと思います。それは非常に良く理解できます。しかしこういうことが、世の難題解決をむしろ難しくするのです。人間は感情がある生き物ですから。
実際には、ぼくの動きはまったく変わりません。意欲が削がれようが何をしようが、やるべきことをやるのが公務です。
▼普段からこうした奥深い鬱屈は実はたくさん抱え込んでいるわけですが、普段はそれに左右されることがありません。
しかし、ここ数日は、この鬱屈がぼくの胸を重くしていました。実際の動きは、前述のように、変わりません。同時に、胸の中は惨憺たるものがありました。胃腸が強いので、なにごとも無く済んでいます。
今朝、「最後はメンタル」という、おのれの言葉をみずからもう一度、胸に刻んで、まずは電話作戦を強化しました。日曜ですからね。
▼電話を難しい相手に掛ける、あるいは話しやすい相手でも難しい問題について掛ける、それは日曜でも夜でも即座に動くことができるという利点がある半面、相手の方々の事情、情況が分からないので、非常に掛けづらいということがあります。
だから留守電になったら、いくらか安心します。
相手の方が、ご自分の都合に合わせて掛け直すことができるかも知れない、できる、ではなくて「できるかも知れない」どまりだけど、相手の日常に勝手にいきなり割り込むよりはマシです。
しかし、ほんとうは掛ける前に、胸が潰れます。
もう一度言うと、相手の情況が分からないからです。こういう電話の相手方というのは、日曜だろうが何だろうが暇なはずは無いし、もしも暇なら、それは唯一の貴重なリラックスタイム、休息の時ですから、余計に具合が悪い。
それを承知で、今朝から電話作戦をさらに強化しています。
まずは電話で、すこしでもじりじりと事態の改善に努めるほかありませぬ。
ぼくらが少数派であるという事実は重いです。護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) は衆参の国会議員60人を集めています。それでもなお、少数派なのです。
その護る会も、一国一城の主の集まりであって、さまざまに濃淡があります。ただしこれは、むしろ当然のこと、さまざまな意見があることこそ正しい。
おしまいに、本音中の本音を申しあげます。
敗戦から75年の日本の多数派って、ほんとうに、おかしいよ。
考えてることも、やってることも、おかしいぞ。
世界を自分の足で歩いて現実を見てください。その現実から立ち現れるにんげんの真実を、まっすぐに見てください。
にんげん、努力すればするほど、努力によっていわば次元が高くなればなるほど、最後は意外なほど、精神のあり方 ( スポーツの言い方だと、カタカナで申し訳ないけど、メンタル ) に左右されるということを、学生時代から社会人の今に至るまで痛感してきました。
国会に出てからの4年2か月、ほんとうは安倍晋三内閣総理大臣との直交渉をひとつの軸として、行動してきました。
そこから、いわば派生して官房長官とも直交渉があり、また政治記者時代からの人脈を活用しての現職閣僚らとの直交渉があり、さらに経済記者時代の人脈も含めて官僚群との日々の交渉があります。
そのとき、歴史に名を残すような人でも、最後はメンタルだなぁと実感することが多かったのです。
▼そう言うぼくは、どうか。
実務者ではなく論評する立場だった記者時代の18年9か月ですら、歴史に残る特ダネを獲得するかどうかの瀬戸際では、メンタルが鍵でした。
そのメンタルの壁をみずから作って失敗した、それまでの努力を一瞬で無にした事実も、小説化して描いたのが、「平成紀」 ( 幻冬舎文庫 ) だったわけです。
この小説のメインテーマではありませんが、大事な要素のひとつでした。
その失敗場面とは、昭和天皇が崩御された直後、総理官邸の廊下の場面ですね。
▼さて、安倍総理の辞任表明があり、そして総裁選が近づくにつれ、ぼくの魂深くの鬱屈は深まりました。
祖国を甦らせるための、ぼくなりの考え、具体策、信念と食い違うことばかりが起きるからです。
また、背後から弾が飛んできます。頭を狙うように弾が飛んできます。これは世の常です。すなわち覚悟の上です。
ただ、受益の側から、脅迫のような言葉をぶつけられてばかりいると、意欲が削がれます。ご本人は、自分の仰っていることが脅迫に近いという意識は無いと思います。それは非常に良く理解できます。しかしこういうことが、世の難題解決をむしろ難しくするのです。人間は感情がある生き物ですから。
実際には、ぼくの動きはまったく変わりません。意欲が削がれようが何をしようが、やるべきことをやるのが公務です。
▼普段からこうした奥深い鬱屈は実はたくさん抱え込んでいるわけですが、普段はそれに左右されることがありません。
しかし、ここ数日は、この鬱屈がぼくの胸を重くしていました。実際の動きは、前述のように、変わりません。同時に、胸の中は惨憺たるものがありました。胃腸が強いので、なにごとも無く済んでいます。
今朝、「最後はメンタル」という、おのれの言葉をみずからもう一度、胸に刻んで、まずは電話作戦を強化しました。日曜ですからね。
▼電話を難しい相手に掛ける、あるいは話しやすい相手でも難しい問題について掛ける、それは日曜でも夜でも即座に動くことができるという利点がある半面、相手の方々の事情、情況が分からないので、非常に掛けづらいということがあります。
だから留守電になったら、いくらか安心します。
相手の方が、ご自分の都合に合わせて掛け直すことができるかも知れない、できる、ではなくて「できるかも知れない」どまりだけど、相手の日常に勝手にいきなり割り込むよりはマシです。
しかし、ほんとうは掛ける前に、胸が潰れます。
もう一度言うと、相手の情況が分からないからです。こういう電話の相手方というのは、日曜だろうが何だろうが暇なはずは無いし、もしも暇なら、それは唯一の貴重なリラックスタイム、休息の時ですから、余計に具合が悪い。
それを承知で、今朝から電話作戦をさらに強化しています。
まずは電話で、すこしでもじりじりと事態の改善に努めるほかありませぬ。
ぼくらが少数派であるという事実は重いです。護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) は衆参の国会議員60人を集めています。それでもなお、少数派なのです。
その護る会も、一国一城の主の集まりであって、さまざまに濃淡があります。ただしこれは、むしろ当然のこと、さまざまな意見があることこそ正しい。
おしまいに、本音中の本音を申しあげます。
敗戦から75年の日本の多数派って、ほんとうに、おかしいよ。
考えてることも、やってることも、おかしいぞ。
世界を自分の足で歩いて現実を見てください。その現実から立ち現れるにんげんの真実を、まっすぐに見てください。