On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-10-14 03:24:01
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まつりごとだけではなく、日本文化の柱のひとつもまた存亡の縁にあると思います

 手間の掛からないものだけが、もてはやされる気配を感じます。

 ぼくの根っこは、文章を紡ぐことです。
 子どもから少年の時代にかけて、美術、音楽、映画、詩、小説、記録文学、宇宙科学、社会科学、人文科学、外国語、自動車とさまざまなものが大好きで、これらと関わりつつ育ちました。みんなと基本、同じです。
 大人になるにつれ、スポーツをすることにも夢中で取り組みました。ぼくの運動神経は、年々、ゆっくりと前へ進んできた感覚があります。この年齢になった今も、それが止まりません。

 しかし根っこは文章です。
 職業として文章を書くということは、いつも申しているとおり、読み手がないと、成立しません。
 文章は、丁寧に意を尽くして書かれたものであればあるほど、読み手にも、じっくり落ち着いて読んでいただくことを、ごく自然に願うものです。
 今、じっくり読まれるでしょうか。

 読まれます。確かに、じっくり読まれます。
 しかし、じりじりとそれが少数者になっています。
 さらに、それがどんどん加速していくことを実感しています。
 滅びの縁に立って書いているのも同然です。
 崖の下の暗黒を直視しつつ、最後の抵抗で書いているのです。

 おととい10月12日の深夜、というか実際には日付が替わった13日の午前1時すぎから3時50分ごろまで、小説「わたしは灰猫」の最後のゲラ直しをしました。
 18年4か月を費やして隅々まで仕上げた物語と文章を、わずか2時間50分足らずで、たった一語であっても、唯ひとつの句読点であっても、書き直すのは、自分で積み上げたものを突き崩すようで、強い不安も感じます。
 それを克服しつつ、最後の最後の手を入れました。

 この書籍の冒頭には、すこし異例ながら、書き始めから18年4か月余をかけて脱稿に至った経緯が明示されています。
 その脱稿とは、ことしの7月25日です。
 しかし実際には、そのあとからゲラ ( 仮印刷 ) の直しを始めました。第四校までゲラを版元に出してもらいました。
 数え切れない回数を読み直し、手を入れ直した、おのれの生んだ文章を、もう一度、もう一度と、一字一句、丁寧に、かつ突き放して、読み直していきます。
 この飽きっぽい男がそれをやります。
 最後のゲラ直しが遂に終わったのが、つまり、10月13日の未明だったわけです。
 脱稿から、ほんとうの完成まで、さらに2か月と半月かかったことになります。
 起稿から、18年とおよそ7か月を経て、とうとう、ぼくの手を離れました。
 あとは出版社が印刷をされ、書店に送り、そして読者の手に渡るのです。きっと少数の読者でしょう。

 その最後の最後に、気が付きました。
 あれ?
 物語のタイトルを記したページが無いぞ、と。

 どんな本でも、開くと最初に、タイトル、著者名、出版社名だけを記したページがありますね。
 書き手としてのぼくは、書く時間を捻り出すのに悪戦苦闘して、そして本がやっと出ると、ちょっとだけ感慨を込めて、一瞬だけ、そのページを眺めます。
 読者のみなさんも、本好きのかたなら、そのページは何気に、お好きではないかと思います。
 ぼくのノンフィクション ( 記録文学 ) の最新刊「きみの大逆転」にも、そのページはちゃんとあります。

 ところが、ゲラにそのページがありません。
 まさか、「本の表紙 ( 装丁 ) に、タイトルも著者名も出版社名もあるんだから」と省略されてしまったのかと、出版社に聞いてみました。

 すると、編集者から、いやいや、そんなことはありませんという返事が来ました。
 ゲラには入れていないだけで、こんな扉を用意しましたと。







 
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