On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-11-07 09:54:38
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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不安に抗する、その人間像

 世間は週末、つまりお休みです。
 武漢熱、それがもたらす、あまりにさまざまな苦しみ、アメリカ大統領選挙が日本にも引き起こす新たな不安、そのさなかですが、少なくないひとがお休みだと思いますから、ちょっと余計なことも言わせてください。

 いや、ほんとうは次から次へと不安の湧き起こる日々だからこそ、ちいさな余談も申しあげたい。

 明後日、11月9日月曜について、いつも秘書さんが作ってくれるぼくの日程表の、いわば隅っこには、こう書いてあります。

 灰猫 見本・取次搬入 ( 都心部書店夕方発売 )

 ぎゃ。

 例によって、ぼくはいろんなことを匿名の方々から言われ放題です。
 いわく、「タイトルは、灰猫、だけの方が良かったんだよ」
 しっかり、ため口です。全体の文章は、説教調でもあります。
 わはは。

 あなたさまには、そうなんですね。
 まったく問題ありませぬ。文学作品の受け止め、読み方は、その表題を含め、まさしく人それぞれです。
 それこそが、素晴らしいです。

 そして、おそらくご存じのとおり、書き手は決して浅くはない意味を込めて「わたしは」を加えたわけですね。
 どんな意味が込めてあるのか。
 それも読者の愉しみだと、ひとりでも、ふたりでも思ってもらえると嬉しいです。

 秘書さんたちは、日程表をなるべく簡潔に、縮めて書こうとします。
 それは任務として極めて正しいのです。
 あとからあとからどんどん入ってくる日程は非常に多いですから、できるだけ文字数を削って書かないと、表が長々と伸びるばかりです。
 だからぼくの日程表としては「灰猫」でもいいのです。
 一方で、「わたしは灰猫」という題を最後に定めたのもまた、18年と4か月の執筆の歩みのひとつです。

 日程といえば、おととい木曜ときのう金曜は、予算委員会でした。
 暗黒国会のなかの予算委です。問題提起のためにこそ、そのように表現しています。
 すると、自分の持ち場がそんな風でよいのか、内部から変えると言っていたのではないのかと仰る人が現れます。
 ようやくに日程のすべてを終えて、夜に自宅に戻り、ほっと力を抜いて、ブログを見ると、そのような長文があります。
 もちろん、深い疲れに追い打ちを受けて、嫌な気持ちになります。なりますが、それを一瞬で抑えて、ありのままに申しましょう。
 ・・・はい、そうですね。
 そうですから、総理をはじめ政府側におべんちゃらを言わない、内部から変えようとする、ほんとうの「与党質問」になるように、これまで予算委員会でも他の委員会でも質問してきました。
 ほんとうにそうかどうかを、どうぞ、公開されている議事録でお確かめください。

 野党を野次り返すのは簡単ですが、それでは、野党の一部の、人間性を疑うような挙動の人々と、同じところに堕ちてしまいます。
 同じ闇に棲む住人同士になるだけです。
 ぼくに一票を投じてくださったかたがた、街頭演説に輝く眼で集まってくださった、あの、みなさんのために、そんな浅い、軽いことは、やりませぬ。
 だから、野党のなかにもしっかりいらっしゃる、こゝろあるひとびとと、こつこつ見えないところで話し合いを続けています。

 愚痴など言っておりません。
 疲れて帰ってきたときに、こういう言葉に必ずと言っていいほどぶつかるのもまた、この仕事の特徴です。
 どんな仕事でもそれはあります。会社からようやく帰ってきたら、上司、部下、同僚らからちょっと無神経なメールが来ていたり、電話がかかったりもあると思います。
 ただ、議員の仕事は人目に晒されるのもまた務めなので、さらっとご覧になった限りの感情や考えをもとに、およそ想像外のものも必ず、来ます。
 しかも、大切なことは、こういう言葉を放たれるひとであっても、悪気が全くなかったり、志がしっかりあったり、なさるのです。
 その言葉はたまたまのことであり、実際は理解もされているし、祖国を思ってもおられます。

 だから愚痴っても、腹を立てても、いけません。
 もしも、この議員という立場を選ばれるのなら、こういう言葉をありのままに受け取めるのも、間違いなく、必須の務めのひとつです。
 ぼくが願うのは、祈るのは、選挙という凄絶なものに挑むその前に、仮に選挙という試煉に打ち克っても、毎日、毎夜、毎朝、こうした現実も待っていることを、あらかじめ、どうぞ知っていてください。
 そうでないと、間違いなく、あなたは潰れます。
 見かけ上は無事に議員を続けていても、魂のなかでは、確実に潰れます。

 さて、月曜からは、どきどきです。
 公務を果たしつつ、まさしく魂の奥では、どきどきです。
 18年4か月前に生まれた、生みだした人物が、ついに、みなさんの眼前にすっと、第1ページの第1行から、現れます。
 ノンフィクション分野の書が世に出るときと、そこがまったく違います。

 ぼくは死ぬまで、ひとりの物書きです。
 いや、死してなお、ひとりの物書きです。
 ノンフィクションも小説も、その中に登場する、実在の人物の像も、想像された人物の像も、あとに残りますから。
 ちなみに、「わたしは灰猫」の登場人物は、もはや、この世にいるとしか思えません。
 すべての登場人物が、まったくモデルのいない人物なのですが・・・。

 不安に抗する人物像と、できれば、出逢ってください。

 お伝えしたように初版の発行部数が非常に少ないので、冒頭に記した日程表にある「都心部書店」にまったく現れないか、現れてもごく少ないとは思います。
 ただ、編集者によると、書店からの問い合わせはやや予想外に多いそうです。
 書店で本を実際に手に取られるみなさん、そこには本を探しに来られたひとも、買い物のついでに寄られたひとも、書店員さんもいらっしゃるわけですが、そのかたがたに、あの登場人物たちが会うのも、うーん、すっごい楽しみです。
 その日まで、あとわずかとなりました。
 






 
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