2020-12-03 06:14:09
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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「敗戦で頭をがーんと叩かれたまま、まだその衝撃から目が覚めない。それが、ありのままの、ぼくらですね」 (推敲しました)
▼きのう12月2日水曜の夕方、議員会館で、硫黄島の戦いを指揮なさった栗林忠道閣下の直系のお孫さんである新藤義孝・元総務大臣とふたりで、硫黄島の英霊にいかにしてふるさとに帰っていただくかをお話ししていて、たがいに時間を忘れました。
気がついたら、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催される「国会に憲法改正議論を求める ! 国民集会」の開会時間が迫っていました。
新藤さんも、ぼくも、それぞれ会場の憲政記念館へ向かいました。
写真は、冒頭発言をなさる櫻井よしこさんです。
壇上の国会議員席の末席から、撮りました。
末席というのは、謙遜ではありませぬ。櫻井さんの向こうには、各党の代表格のひとびとが並んでいます。
櫻井さんは、あくまでもフェアに、公正に、的確に、憲法審査会の議論を進めない国会の責任を追及なさいました。
ぼくは議員になって4年4か月あまり、ずっと憲法審査会の委員になることを希望してきましたが、実現しません。
一度はいったん内定と聞いていたのが突如、覆りました。
理由は、何も説明されません。ベテラン議員も含め他に希望者もいらっしゃるのでしょう。むしろ希望者が多いことを、改憲実現のために、こゝろから願います。
しかし別の理由があるのかも知れません。
そんなことでは、めげません。
ただ、あまりにおかしいと思うのは、自由民主党の9条改正案の扱いです。
参議院議員への当選からまだ、さほど日が経っていない頃、自由民主党の憲法改正推進本部が連日、開かれて、もの凄い数の議員が参加していました。
ぼくはその席で、「安倍総理 ( 当時 ) の仰る、自衛隊の明記だけでは、困った実情をむしろ固定してしまいます。自衛隊は、たとえば災害出動においても、これだけはしてもいいよというボジティヴ・リストを間違って持たされているから救える国民を救えないということが実際に起きています。一方で、9条の2項を削除するという案のままでいろという意見も、国会の発議すらできないままになるから、現実には9条改正をやらないのと同じになります。したがって、9条はそのままにするという安倍総理案に加えて、その9条の規定は、自衛の措置を妨げないという新しい項を置くべきです」という趣旨を発言しました。
当時はまだ、「日本の尊厳と国益を護る会」 ( 護る会 / JDI ) もなく、あまり多くの議員と話してもいなかったにもかかわらず、その場で6人の議員から「青山案を支持する」と声が上がりました。
それにも勇気づけられて、その後、細田博之・憲法改正推進本部長 ( 当時 ) をはじめ、憲法改正推進本部の首脳陣をおひとりづつ回って、話しに話し、おひとりだけを除いて、全員の賛成を取り付けました。 ( そのおひとりは、そそれから時を置いて、残念至極にも亡くなってしまわれました。もっとお話がしたかったです )
そして、細田本部長の断が下り、議論に参加した議員のみなさんから一任も取り付けられ、この「自衛の措置を妨げない」という案を、言葉面はいくらか変えても実質的に盛り込んで、自由民主党の新しい9条改正案が決まり、他の3項目と合わせて、正式決定したのです。
ぼくは安倍総理と意見の一致するところも、父系一系による皇位継承の安定をはじめとして、あります。
同時に、消費増税や海外同胞への支援を含め、意見の違うところもあります。
これまでも一貫して、ありのままに申してきたとおりです。
その意見が合わないところの、もっとも深刻なひとつがこれです。
安倍総理はその後もずっと、自衛隊の明記だけを口にされ、上記の正式案は無きが如くでした。
それを入れると公明党が到底、呑めず、国会発議がさらに遠のくという判断だろうと考えます。
しかし、わたしたち日本人は、何度も何度も憲法を変えられる社会に居ません。それなら、ずっと前に、改憲は実現しています。
自衛官ご自身がほんとうは困り、国民もいざとなると救われないことに繋がる根本問題を、逆に固定化する改憲ではいけません。固定化したらなかなか変えられないのが、歴史の古い、古い豊かな歴史が誇りの日本のもうひとつのリアリティなのです。
何事にも、良し悪しの両面があります。
すくなくとも、自由民主党で正式決定した案はきちんと踏まえていただきたい。
けれども、きのうの集会で自由民主党を代表してなされた発言でも、「自衛隊の明記」のみでした。
▼この写真は、国民民主党の山尾志桜里・憲法調査会長が発言なさって、席に戻られるところです。
発言中に、ある自由民主党議員が「到底、噛み合わない話をしてるね」とぼくの耳元で仰いました。
ぼくは「しかし9条には言及されましたよ。9条に言及されるだけ、マシです」と答えました。
同時に、ぼくは改憲が改憲にならない怖れ、すなわち野党と妥協しすぎることへの懸念も、胸の深くでずっと持っています。
それは、この著名にして有能な議員にはあえて語りませんでした。
語るべき時機は、やがて来ます。
▼こうした会は、国会議員の紹介が終わると、議員の多数が途中退席します。
ぼくは、ちいさな信念として、そのようなことをしません。
もちろん、よほどの理由、やむを得ざる原因がある場合もあるでしょう。ぼくにも、充分に起こり得ます。しかし、かなりの困難がそのために起きても、基本、中座しません。
議員紹介で、最後に近いあたりで名を呼ばれたとき、「戦います」と声を出しました。
考え抜いてのことです。
声を出した議員も、みなさん、「頑張ります」でした。
間違いなく本音です。ぼくは本気で、それを信じています。だからこそ、護る会も結成したのです。
しかし一方で、国民の誰が、政治家の「頑張ります」を信じるでしょうか。既存の仕組みに安住していることを、主権者が見抜いているからです。安住したまま頑張っても、何も変わりません。
それを外から言うのではなく、踏まれても蹴られても無視されても、憲法審査会の委員に就くことができずとも、内部から変えるよう、ただただ戦います。
そのうち敗死しようとも、です。当然至極です。
▼このエントリーのタイトルの言葉は、おとといだったかな、防衛省の幹部らと議員会館でイージス・アショアの中止後をめぐって議論したときに、申しあげました。
かねてから、ときどき、申しあげています。
ひとのことは言わずに、ぼく自身を含めて申しあげています。
幕末の草莽の志士たちも、鬱屈を抱えたまま、奔走していたでしょう。
鬱屈、憂鬱、悲痛苦、それを無くそうとするのではなく、ありのままでいいのです。
ありのままに生きて戦って、無駄に死ぬのです。
それもまた、「わたしは灰猫」も「きみの大逆転」も含め、ぼくの拙い著作のすべてに通暁する、根幹のテーマです。
明るい子どもだったぼくは、この頃は、とくに国会議員となってからは、夜半、いえ終日、内心の鬱屈とも戦う日々です。ははは。
護る会は、組織的な勧誘を一切、しません。
しかし、朝の部会などに熱心にお見えになる議員のうち、ご本人がお気づきかどうかは分かりませんが、自由民主党と国家の現実に、鬱勃たる思いを抱いているであろうお顔のひとには、稀に、「護る会に入りませんか」と声を掛けてしまうのです。
鬱勃とは、ほんらいは、うちに秘めたものが遂に外に溢れ出すという、ある意味、肯定的な意味もある言葉です。
秘めた憤激なくして、戦うことはできません。
ぼく自身は、眠りを犠牲にする生活、みなさんに「夜の真ん中は寝る」と約束したことをまるで守れない生活が、むしろ極端に悪化しています。
ほんらいのおのれは、明るいだけじゃなく、のんびり寝ることが大好きです。怠け者ですから。
新動画も、眠りと休息の欠けた顔ばかり見せています。
あまりに、みなさんに失礼です。ちょっと、どうにかしようと、してみます。
きのうの憲法集会に、駆けつけていらっしゃった主権者のみなさん、それぞれに素晴らしい目をなさっていました。
魂から、ありがとうございました。演壇の隅っこから、拝む気持ちでした。