On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-12-26 04:22:54
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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天井が明るい

 少年の頃、読んだ本に「天井が明るい」というタイトルの本がありました。
 今、さらっと検索してみても、出てきません。
 とっくに廃刊になっているでしょうね。
 作家でも何でもない、ふつうの人が書いた本だったから。

 ぼくは、書店に行って、ぶらぶらと多種多様な分野の書棚、文学から自然科学までを見て歩くのが、好きでした。
 好きだとも特に意識しないほど、自然なことでした。
 淳心学院の中高校生だったとき、白鷺城と呼ばれる姫路城の真横の学校から、大きな駅だった姫路駅の方向へ商店街を抜けて歩き、帰途につきます。
 その商店街の終わりに大型書店があり、いつも、そこを覗いてから、姫路駅前のバスターミナルへ行きバスに乗って帰宅していました。

 現代詩の専門誌があるのを知ったのも、この書店の店頭だったから、中高校生の時代に現代詩に馴染んだのもこの本屋さんのおかげです。

 この「天井が明るい」という本も、本屋さんブラ歩きのとき、たまたま手に取ったのです。
 まだ若い女性、といっても当時のぼくからするとかなり年上の女性が病に冒され、難しい手術が終わって麻酔から目覚めたとき、天井が明るく見えて自分が生き残ったことを知ったという本でした。

 当時のぼくは、文字通りに世界中の童話から小説まで渉猟するだけではなく、こうした無名の人の売れない本も、かなり熱心に読んでいました。
 この本にあった著者のお顔の写真まで、ありありと覚えています。
 すこし大柄な印象の女性で、入院中のパジャマ姿でした。
 今朝、国内出張先で定宿のホテルにいて、まだ真っ暗な窓の向こうの夜の残りを見ながら、ふと、この「天井が明るい」というタイトルが浮かんだのでした。
 このタイトルだけで、病床の上で麻酔から目覚めたときの感覚が分かるなぁと、少年時代から感心していたので、ずっと頭に残っています。
 ぼくに今、病があるとか、少年時代に病に苦しんだとか、まったく違いますから、誤解や心配はなさらないでください。
 そうではなく、自分にない病者の感覚が分かるので、この本も愛読したのだと思います。

 長じて、もの書きになっていることを、天と読者に感謝します。
 ことしの秋、相次いで世に問うた記録文学「きみの大逆転」と物語文学「わたしは灰猫」、まるで一緒に歩むかのように、わずかづつながら読まれ始めている感覚が今、あります。
 公務によって常に重く、苦しくのし掛かっているストレスが、お陰で、ほんの少しですが軽くなる気がします。
 と言っても、まだ増刷すら掛からない、「わたしは灰猫」は極小の増刷が1回ありましたが、「きみの大逆転」はそれもない状態ですが・・・。
 4年半まえ、選挙に出ざるを得ないと覚悟するとき、複数の編集者から「国会議員の本、というだけで色眼鏡で見られて、青山さんの本が売れなくなってしまう。やめてください」と言われたとおりではあります。
 しかし逆に見れば、偏見を乗り越えて読んでくださる読者も、少数派であっても確かに居る、いらっしゃるということです。

 みなさん、魂の奥から、こゝろの底から、ありがとおっ。





 
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