On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2020-12-28 09:36:23
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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この風景をアンカー時代に眺め続けていました



▼関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の水曜版に毎週、生参加していたとき、関テレの要請で前日入りして関テレ報道部の記者やディレクターたちと議論し、ホテルに泊まっていました。
 これが9年半の長きにわたり続いたのですが、その途中から、このホテルが指定されました。
 立派なホテルですが、指定された理由の第一は「局に近いから」ということだとお聞きしていました。

 火曜の夜に入って、水曜の朝、毎週この風景を見ていました。
 今もまったく変わっていません。
 写真にある水辺から、ボート部の人たちが練習でボートを漕ぎ出したり、さすが大阪、水陸両用バスが出ていくのを初めて見たり。
 今朝はいずれもありませんが、目に浮かびます。

▼風景は変わりませんが、ぼくの仕事をめぐる情況はすっかり変わりました。
 しかし、たとえば、ひとつ前のエントリーに記した「中韓をはじめとするビジネストラックなるものの入国を即、やめよ」といった発信を、アンカーが続いていれば必ず、おこなうでしょう。
 立場は変わっても、発言の内容、考え方、そして行動のあり方、いずれもまったくアンカー時代と変わりません。

▼アンカーは良心的な報道番組でした。
 硫黄島の英霊を取り戻すための発信も、白梅の少女たちをめぐる発信も、アンカーがあってこそ、おこなうことができました。
 この番組は、関テレがFNNからの配信を待つのではなく、当時の報道局長、報道部長やプロデューサー、ディレクター、記者たちの群像が「自分たちで良い報道番組をつくろう」と一大決心をなさってスタートした番組でもありました。
 このアンカーに、ぼくもまた、育てていただきました。
 感謝しています。

▼国会議員になってから、TVタックルや朝生については番組参加をお断りしました。
 一方で、恩義ある関テレには、お断りしたことがありませぬ。
 たかじんさんの最期の日々を番組でご一緒したテレビ大阪も同様です。
 ぼくとしては、アンカー時代と同じく意欲があります。
 しかしオファーがないですね。

 ぼくは芸能プロダクションなどに一切、関わらない、属さない方針もまったく変えないので、局からオファーがないといかなる番組にも関わることができません。
 関西に入るたびに、「最近、青山さん全然見ないね。話も全然、聞かれへんやん。何してんのん」と尋ねられます。そのたびに、たいへん申し訳なく、こゝろがチリチリします。
 ごめんなさいね。
 視聴者・国民にとっては、ぼくが国会議員であろうが無かろうが関係なく、聴きたい話は聴きたいですよね。知るべき事実は知りたいですよね。

▼5日間に及んだ国内出張は、感染症対策を施しつつ、今日で終わります。
 出張のために犠牲になった仕事もありましたが、おかげで、武漢熱のさなかの日本海側や関西の経済状況が肌身で分かりました。

 きょう未明3時過ぎ、年内最後の東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の仕上げを、このホテルで始めました。
 配信業務を担う独立総合研究所は、今日が仕事納めだそうです。
 ( ぼくは独立総合研究所を4年半前の選挙中に完全に退任しています。独立講演会でみなさんと対面し話すこと、TCRのための情報収集と執筆、仕上げをすることはいずれも、独立総合研究所から委託されて遂行しています )
 その独立総合研究所の担当者が、朝一番で全会員へ配信してくれて、すでに配信が終わりました。

 これで年内の原稿は、信頼する編集者の強い希望で1月に再び世に問う、新書「救国 超経済外交の戦闘力」の原稿2本と大部のゲラ直しだけになりました。
 ホントは断捨離をしたい。勝手にどんどん送られてくる本の山と、ぐんぐん山が高くなる資料の山を整理したい。しかし大晦日だけではとても、とても無理っぽいなぁ。






 
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