2021-03-26 22:04:23
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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信じがたいでしょうが今、白梅の塔へ向かっています
▼白梅、しらうめの塔とは何か、知らないかたもいらっしゃるでしょう。
それは、すぐあとでお話しします。
▼きょう長丁場の予算委員会で平成3年度予算を可決、そのあと長時間にわたる参議院本会議に臨みました。
予算を含むすべての法案は、まず担当の委員会で採決し、可決されたら、本会議にかけられます。その本会議でも可決したら初めて、法になり、予算にもなります。
きょう3月26日金曜は、まず早朝8時から、自由民主党の国防議連に参加しました。
本日はとても重大な会でした。
敗戦後の歴史で最大の安全保障上の危機である尖閣諸島の防衛をめぐり、初めて、海上保安庁法の本格的な見直しを政府に問題提起する提言案について議論したからです。
不肖ぼくは真っ先に発言しました。その内容は、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」にて話します。
しかし結論を待たずに、会を中座せねばなりませんでした。
ぼくは余程のことがない限り、いかなる会も中座しません。
きょうは、その「余程のこと」でした。
すなわち予算委員会です。
▼午前9時から予算委員会。正午を過ぎても午後1時を過ぎても議論は終わらず、それでも午後1時を過ぎて、ついに予算案を可決。
議員会館へ戻って、さまざまに調整していたら、あっという間に午後4時15分からの参議院自由民主党の議員総会。
そして本会議へ。
3時間近い審議を終えて、本会議場を誰より先に出て、まだ無人の階段を駆けおり、政策秘書が運転してくれる議員車に飛び乗り、首都高の渋滞に青ざめながら、ぎりぎりで那覇行きの最終便に乗って、いま機内Wi-Fiで繋いで、みなさんに向けて、このブログを書いています。
▼かつて日本がアメリカ軍と沖縄戦を戦ったとき、少年と少女も、戦いに加わることになってしまいました。
みな、学業を先生とともに中断したのです。
少年は、鉄血勤皇隊として、たとえば戦車に突入を図り、少女は、学徒隊 ( 敗戦後の呼び方では学徒看護隊 ) として兵士の千切れた足を持って走り、壕に戻るとまた、苦痛で暴れる兵士の躯を泣きながら押さえて、医師が足を切断するのを手伝い、そして爆弾と銃弾が降り注ぐなかを水や薬を運ぶために走ってくださったのです。
この学徒看護隊のうち、沖縄師範学校の女子部と、沖縄県立第一高等女学校の生徒でつくる「ひめゆり学徒隊」は映画に何度もなり、その悲しい自決の壕は、皇太子殿下、妃殿下も訪ねてくださいました。現在の上皇陛下と上皇后です。
ところが・・・学徒看護隊は、ひめゆり隊のほかにも沢山あったのです。
ほかの学徒看護隊は、少なからぬ沖縄県民の記憶からも薄れていきました。
不肖ぼくは、26歳の新人記者のとき、たまたま白梅学徒看護隊の存在を知り、そこからずっとお参りを続けてきました。
白梅学徒隊は、沖縄県立第二高等女学校「二高女」の生徒たちと先生でした。
▼白梅の塔へのお参りは、ほんとうは、いつも急いでいなければなりません。
15歳だった少女も、いまは91歳です。
生き残ってくださっているみなさんのためには、ゆっくりしてはいられません。拉致被害者とそのご家族と同じです。
だから国会が6月か7月に終わるのを待ってはいられないので、一度、週末の強行軍でお参りを計画し、緊急事態宣言のために断念しました。
愉しみに待っておられた生き残りの少女たち・・・いまは90歳を超えていても、ハグをするぼくの腕の中ではいつもみなさん、15歳、16歳の少女に戻られる・・・そのみなさんを、とてもがっかりさせたのです。
▼だから今回、再発出の緊急事態宣言がようやく終わり、白梅の塔へ飛んでいくのです。
緊急事態宣言が終わっても、沖縄は厳しい感染状況にあります。
迷惑をかけないよう、細心の注意を払わねばなりません。感染症対策を徹底的にとりつつ、自決の壕と、白梅の塔にお参りします。
那覇に着くのは、深夜です。
23時を回ります。
あす、お参りをしたら、みなさんに真っ先に知らせます。
しかし日曜には、東京で独立講演会です。
だからトンボ返りです。
お参りには、尖閣諸島のある石垣市の盟友、中山義隆市長もわざわざ石垣島から駆けつけてくださいます。
那覇市議の盟友、奥間ちゃんこと奥間亮市議も来てくれます。
さらに、青山千春・東京海洋大学准教授の率いる学生諸君も東京から来てくれます。学生の費用はすべて、青山千春博士の自腹です。
今も自決壕にいらっしゃる少女たちは、喜んでくださるのではと、ささやかに願っています。
30日の火曜には、参議院総務委員会で「軍艦島」について質問することが決まりましたから、月曜は、そのための質問通告に基づき、NHKと総務省に対する説明を行います。
質問の骨子はもう通告してあります。
滅茶苦茶な強行軍ですが、なに、民間専門家の時代に戦地を這いずり回っていた時に比べれば、楽勝です。
▼空港に急ぐ車中で、白梅同窓会長の中山きくさんと電話で話しました。
きくさんが「青山さんの姿が、ときどき、予算委員会の中継のNHKに映ります。たいへんなんでしょう。そんななかに来て頂くなんて」と仰るので、ぼくは、ごく自然にこう答えました。
「きくさんや、きくさんの同級生のみなさんが、踏ん張ってくださったからこそ、いまのわたしたちがあるのです。こんなのは、当たり前です」
本音の中の本音です。
白梅の塔と硫黄島は、ぼく、いやぼくたちみんなの原点です。
もっと知りたいというかたは、すみません、「ぼくらの祖国」というロングセラーをお読みください。
それは、すぐあとでお話しします。
▼きょう長丁場の予算委員会で平成3年度予算を可決、そのあと長時間にわたる参議院本会議に臨みました。
予算を含むすべての法案は、まず担当の委員会で採決し、可決されたら、本会議にかけられます。その本会議でも可決したら初めて、法になり、予算にもなります。
きょう3月26日金曜は、まず早朝8時から、自由民主党の国防議連に参加しました。
本日はとても重大な会でした。
敗戦後の歴史で最大の安全保障上の危機である尖閣諸島の防衛をめぐり、初めて、海上保安庁法の本格的な見直しを政府に問題提起する提言案について議論したからです。
不肖ぼくは真っ先に発言しました。その内容は、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」にて話します。
しかし結論を待たずに、会を中座せねばなりませんでした。
ぼくは余程のことがない限り、いかなる会も中座しません。
きょうは、その「余程のこと」でした。
すなわち予算委員会です。
▼午前9時から予算委員会。正午を過ぎても午後1時を過ぎても議論は終わらず、それでも午後1時を過ぎて、ついに予算案を可決。
議員会館へ戻って、さまざまに調整していたら、あっという間に午後4時15分からの参議院自由民主党の議員総会。
そして本会議へ。
3時間近い審議を終えて、本会議場を誰より先に出て、まだ無人の階段を駆けおり、政策秘書が運転してくれる議員車に飛び乗り、首都高の渋滞に青ざめながら、ぎりぎりで那覇行きの最終便に乗って、いま機内Wi-Fiで繋いで、みなさんに向けて、このブログを書いています。
▼かつて日本がアメリカ軍と沖縄戦を戦ったとき、少年と少女も、戦いに加わることになってしまいました。
みな、学業を先生とともに中断したのです。
少年は、鉄血勤皇隊として、たとえば戦車に突入を図り、少女は、学徒隊 ( 敗戦後の呼び方では学徒看護隊 ) として兵士の千切れた足を持って走り、壕に戻るとまた、苦痛で暴れる兵士の躯を泣きながら押さえて、医師が足を切断するのを手伝い、そして爆弾と銃弾が降り注ぐなかを水や薬を運ぶために走ってくださったのです。
この学徒看護隊のうち、沖縄師範学校の女子部と、沖縄県立第一高等女学校の生徒でつくる「ひめゆり学徒隊」は映画に何度もなり、その悲しい自決の壕は、皇太子殿下、妃殿下も訪ねてくださいました。現在の上皇陛下と上皇后です。
ところが・・・学徒看護隊は、ひめゆり隊のほかにも沢山あったのです。
ほかの学徒看護隊は、少なからぬ沖縄県民の記憶からも薄れていきました。
不肖ぼくは、26歳の新人記者のとき、たまたま白梅学徒看護隊の存在を知り、そこからずっとお参りを続けてきました。
白梅学徒隊は、沖縄県立第二高等女学校「二高女」の生徒たちと先生でした。
▼白梅の塔へのお参りは、ほんとうは、いつも急いでいなければなりません。
15歳だった少女も、いまは91歳です。
生き残ってくださっているみなさんのためには、ゆっくりしてはいられません。拉致被害者とそのご家族と同じです。
だから国会が6月か7月に終わるのを待ってはいられないので、一度、週末の強行軍でお参りを計画し、緊急事態宣言のために断念しました。
愉しみに待っておられた生き残りの少女たち・・・いまは90歳を超えていても、ハグをするぼくの腕の中ではいつもみなさん、15歳、16歳の少女に戻られる・・・そのみなさんを、とてもがっかりさせたのです。
▼だから今回、再発出の緊急事態宣言がようやく終わり、白梅の塔へ飛んでいくのです。
緊急事態宣言が終わっても、沖縄は厳しい感染状況にあります。
迷惑をかけないよう、細心の注意を払わねばなりません。感染症対策を徹底的にとりつつ、自決の壕と、白梅の塔にお参りします。
那覇に着くのは、深夜です。
23時を回ります。
あす、お参りをしたら、みなさんに真っ先に知らせます。
しかし日曜には、東京で独立講演会です。
だからトンボ返りです。
お参りには、尖閣諸島のある石垣市の盟友、中山義隆市長もわざわざ石垣島から駆けつけてくださいます。
那覇市議の盟友、奥間ちゃんこと奥間亮市議も来てくれます。
さらに、青山千春・東京海洋大学准教授の率いる学生諸君も東京から来てくれます。学生の費用はすべて、青山千春博士の自腹です。
今も自決壕にいらっしゃる少女たちは、喜んでくださるのではと、ささやかに願っています。
30日の火曜には、参議院総務委員会で「軍艦島」について質問することが決まりましたから、月曜は、そのための質問通告に基づき、NHKと総務省に対する説明を行います。
質問の骨子はもう通告してあります。
滅茶苦茶な強行軍ですが、なに、民間専門家の時代に戦地を這いずり回っていた時に比べれば、楽勝です。
▼空港に急ぐ車中で、白梅同窓会長の中山きくさんと電話で話しました。
きくさんが「青山さんの姿が、ときどき、予算委員会の中継のNHKに映ります。たいへんなんでしょう。そんななかに来て頂くなんて」と仰るので、ぼくは、ごく自然にこう答えました。
「きくさんや、きくさんの同級生のみなさんが、踏ん張ってくださったからこそ、いまのわたしたちがあるのです。こんなのは、当たり前です」
本音の中の本音です。
白梅の塔と硫黄島は、ぼく、いやぼくたちみんなの原点です。
もっと知りたいというかたは、すみません、「ぼくらの祖国」というロングセラーをお読みください。