2021-03-29 01:02:08
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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白梅学徒看護隊の中山きくさんを囲んで
沖縄県那覇市内のホテルの会議室を確保し、密にならないよう感染症対策をとりつつ、白梅同窓会長の中山きくさんにお話を聴きました。
写真の右端に、わずかに、東京から来てくれた学生が映っています。
とても熱心に、身じろぎもせず、聴き入ってくれました。
白梅が校章だった沖縄県立第二高等女学校の同級生が戦死あるいは自決なさったときの、中山きくさんは16歳。いまは92歳です。
ぼくが白梅の塔、そして自決壕にお参りをしてきた長い年月の途中で、きくさんたちと運命の出逢いも致しました。
写真は、お話しが終わって、きくさんが主人公のまんがパンフレットをぼくが手しているところです。令和3年3月27日の土曜日です。
きくさんが持ってきてくださった資料について、お聴きしています。
きくさんのカバンを代わりに持とうとしたのですが、きくさんは見事な身のこなしで、肩に掛けられました。
92歳とはとても、とても思えません。
しかもこのカバン、かなり重いのです。
それをみんなに説明しています。
左から、ヘイワース美奈・独立総合研究所 ( 独研 ) 研究本部社会科学部研究員、不肖ぼく、白梅同窓会長の中山きくさん、青山千春・国立大学法人東京海洋大学海洋資源環境学部海洋資源エネルギー学科准教授、東京海洋大学の学生さんふたり、奥間亮・那覇市議会議員。
白梅の塔と自決壕へのお参りは、石垣市の中山義隆市長も参加してくださいました。
その写真はここにあります。
お参りのあと、中山市長は政務に行かれました。きくさんとは、白梅の塔でしっかりお話になっています。
中山義隆市長と奥間亮市議は、ぼくの重要な盟友です。
護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) 代表としてのぼくの、沖縄の最前線における同志でもあります。
学生ふたりは、いわば日本本土の若い世代の代表のつもりで、参加してもらいました。
礼儀正しく、そして「白梅の少女たちのお陰で、今のわたしたちみんながあります。今の日本があります」という大切なところを、深く理解してくれたのが、素晴らしかったです。
ぼくはヘイワース美奈独研研究員とふたりで沖縄から東京へトンボ返りし、独立講演会の4時間半プラス10分か15分を、無事に、主権者のみなさんと対話できました。
今回も、11歳から90歳まで参加してくださいました。
感染症対策を徹底してとっていますから、定員の半数でおこなっていますが、熱気は充分に伝わってきました。みなさん、ありがとうございます、こゝろから。