2021-05-09 14:29:33
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【さらにさらに書き加えました ← 】【さらに書き足しました ← 】【すこし書き足しました】 悪夢 あえて本音を話すことを許してください
ブログに頂くコメントのなかに、「私はたぶん、悪夢というものを一度も見たことがありません」という趣旨の一文があり、ちょっと感心し、うれしくなりました。
それは幸せですよねー。こゝろのありようとしても、最善ではないでしょうか。
ちなみに、おのれを振り返ってみれば、国会議員となってあと2か月ほどで満5年。
おそらく悪夢を見なかった日は一度も無い、あ、あるある、徹夜せざるを得なかった日・・・というアンビリバボーな日々であります。
今朝もきっちり見ましたよ~、大悪夢。
あんまりリアルだったので、しばらく夢だとは思えませんでした。
国会議員になってからの悪夢といっても、政治家が登場してきたり、国会議事堂が舞台になっていることは、意外でしょうが、これは一度も無いのです。
おのれをかえりみるに、これまた意外かもしれませんが、国会や自由民主党でのさまざまなことは重荷になっていません。
そりゃ、沢山のことが押し寄せてきます。複雑怪奇もあります。向こうから押し寄せるだけではなく、こちらから積極関与して、攻めていきます。護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) はその攻めの典型です。
すべてに軽々と対応しているとまでは言わないけど、重荷ではありませぬ。
なぜ負担にはならないか。
真っ正面から、一切に対応するだけだからです。
利権漁りや地位争い、献金稼ぎ、すべて無縁です。だから常に心境は、あっさり、淡々としています。悪夢も見ようがありません。
失政が相次いでいると考えていて、部会や対策本部でそのように発言し、護る会の提言も、それだからこそ行っています。失政が改まらないことに対して憤怒も感じます。ただし、それは、こゝろの底を歪めることはありません。真正面から対峙するだけです。
背負うのはすべて主権者からです。
ぼくはそれで良いと思っています。
異業種のひとよ出でよ、いつもそう申しています。志あるひとの人生に影響を及ぼしている場合もあるでしょう。だから現実もしっかり伝えておきます。
もしもあなたが国会議員になれば、必ず、主権者のさまざまな要求に苦しみます。懸命にやればやるほど、ばらばらな求めに苦しみ抜きます。
得心できない場合があっても、無理無体に近い話が多くなっても、撥 ( は ) ねつけることはできません。
主権者からの一切合切すべてを、少なくともいったんは全身全霊で受け止めねばなりませぬ。
そこから逃れるのなら、もはや議員を続けてはいけません。
それが主権者の代理人の責務であり、公務です。
この頃、悪夢はどんどん烈しくなっています。
理由は、ごく冷静にはっきり分かっていますが、申しませぬ。
父が亡くなったのは、ぼくが共同通信政治部の新人だった時です。67歳の現役社長が、国立病院のまさかの医療ミス、いやほんとうは担当医師の怠業で突然に亡くなりました。いまだに受け容れがたい気持ちがあります。
母はそのあと、ずいぶんと長生きをしてくれました。介護も懸命に致しました。91歳の大往生と言ってもいいでしょう。しかし魂が抜け出たあとの母の両眼に、この世への未練をぼくは、はっきりと感じました。91歳といっても、本人にとっては関係が無いのです。
このように父にも母にも、その死を認めたくない気持ちがぼくにあるのに、夢に出てくることがほぼ無かったです。
おそらく、不慮の死を遂げた父であっても、子と親の関係としては、充分に生きた感覚があるからでしょう。
母は、介護していると幼児に戻ってしまって、あの毅然とした母のおおきな変化は、介護経験のある方の多くがそうであるように、ぼくも悲しかったです。
それでも、幼い頃から少年時代にかけて、武家の娘という母の誇り、拠りどころをかけて母がぼくの背骨を造ってくれた大恩は、忘れることがありません。母とも、子と親の関係としては幸福だったと思います。
だからこそ、夢に出てくることは無かったのだろうと思うのです。
ところが、最近の悪夢には、父も母も、それぞれ別に、出てきます。
今朝は、母がやって来ました。
あれ、父も母も、心配してるのかな、と思わなくもありません。
しかし心配は無用です。
民主主義には、さまざまコストが掛かります。
独裁主義にはないコストです。人間はこゝろの弱い生き物なので、コストが一見は掛からないようにみえる独裁主義を根絶できないのです。現在の中国の姿は、それです。
民主義国家である日本の国会議員にみずからなったひとは、この民主主義の高いコストを担うことは、当然に、求められます。
ぼくに起きているのは、そういうことであり、父や母に心配してもらうことではないと考えています。
あとに続くひとはどうしても必要です。
官僚がおのずから「この議員の言うことには耳を傾けよう」と思うほどの豊かな専門性、本物の現場体験を持っていること。
徹底的に、無私であること。
個性豊かな同僚議員、野党議員まで含めて、強烈な個性と楽々、お付き合いできること。寛容であること。
いずれも、不可欠なことです。
こうした条件を乗り越えて、どうぞ、ここへやって来てください。
そして暮夜、あるいは明け方、ひとり悪夢も見るのです。
主権者、国民の身代わりだと思って、見るのです。
日本の尊厳と国益を護る会 ( 護る会 ) も待っています。
そして支えもまた、主権者しかありませぬ。主権者の支えなくして護る会もありません。
それは幸せですよねー。こゝろのありようとしても、最善ではないでしょうか。
ちなみに、おのれを振り返ってみれば、国会議員となってあと2か月ほどで満5年。
おそらく悪夢を見なかった日は一度も無い、あ、あるある、徹夜せざるを得なかった日・・・というアンビリバボーな日々であります。
今朝もきっちり見ましたよ~、大悪夢。
あんまりリアルだったので、しばらく夢だとは思えませんでした。
国会議員になってからの悪夢といっても、政治家が登場してきたり、国会議事堂が舞台になっていることは、意外でしょうが、これは一度も無いのです。
おのれをかえりみるに、これまた意外かもしれませんが、国会や自由民主党でのさまざまなことは重荷になっていません。
そりゃ、沢山のことが押し寄せてきます。複雑怪奇もあります。向こうから押し寄せるだけではなく、こちらから積極関与して、攻めていきます。護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) はその攻めの典型です。
すべてに軽々と対応しているとまでは言わないけど、重荷ではありませぬ。
なぜ負担にはならないか。
真っ正面から、一切に対応するだけだからです。
利権漁りや地位争い、献金稼ぎ、すべて無縁です。だから常に心境は、あっさり、淡々としています。悪夢も見ようがありません。
失政が相次いでいると考えていて、部会や対策本部でそのように発言し、護る会の提言も、それだからこそ行っています。失政が改まらないことに対して憤怒も感じます。ただし、それは、こゝろの底を歪めることはありません。真正面から対峙するだけです。
背負うのはすべて主権者からです。
ぼくはそれで良いと思っています。
異業種のひとよ出でよ、いつもそう申しています。志あるひとの人生に影響を及ぼしている場合もあるでしょう。だから現実もしっかり伝えておきます。
もしもあなたが国会議員になれば、必ず、主権者のさまざまな要求に苦しみます。懸命にやればやるほど、ばらばらな求めに苦しみ抜きます。
得心できない場合があっても、無理無体に近い話が多くなっても、撥 ( は ) ねつけることはできません。
主権者からの一切合切すべてを、少なくともいったんは全身全霊で受け止めねばなりませぬ。
そこから逃れるのなら、もはや議員を続けてはいけません。
それが主権者の代理人の責務であり、公務です。
この頃、悪夢はどんどん烈しくなっています。
理由は、ごく冷静にはっきり分かっていますが、申しませぬ。
父が亡くなったのは、ぼくが共同通信政治部の新人だった時です。67歳の現役社長が、国立病院のまさかの医療ミス、いやほんとうは担当医師の怠業で突然に亡くなりました。いまだに受け容れがたい気持ちがあります。
母はそのあと、ずいぶんと長生きをしてくれました。介護も懸命に致しました。91歳の大往生と言ってもいいでしょう。しかし魂が抜け出たあとの母の両眼に、この世への未練をぼくは、はっきりと感じました。91歳といっても、本人にとっては関係が無いのです。
このように父にも母にも、その死を認めたくない気持ちがぼくにあるのに、夢に出てくることがほぼ無かったです。
おそらく、不慮の死を遂げた父であっても、子と親の関係としては、充分に生きた感覚があるからでしょう。
母は、介護していると幼児に戻ってしまって、あの毅然とした母のおおきな変化は、介護経験のある方の多くがそうであるように、ぼくも悲しかったです。
それでも、幼い頃から少年時代にかけて、武家の娘という母の誇り、拠りどころをかけて母がぼくの背骨を造ってくれた大恩は、忘れることがありません。母とも、子と親の関係としては幸福だったと思います。
だからこそ、夢に出てくることは無かったのだろうと思うのです。
ところが、最近の悪夢には、父も母も、それぞれ別に、出てきます。
今朝は、母がやって来ました。
あれ、父も母も、心配してるのかな、と思わなくもありません。
しかし心配は無用です。
民主主義には、さまざまコストが掛かります。
独裁主義にはないコストです。人間はこゝろの弱い生き物なので、コストが一見は掛からないようにみえる独裁主義を根絶できないのです。現在の中国の姿は、それです。
民主義国家である日本の国会議員にみずからなったひとは、この民主主義の高いコストを担うことは、当然に、求められます。
ぼくに起きているのは、そういうことであり、父や母に心配してもらうことではないと考えています。
あとに続くひとはどうしても必要です。
官僚がおのずから「この議員の言うことには耳を傾けよう」と思うほどの豊かな専門性、本物の現場体験を持っていること。
徹底的に、無私であること。
個性豊かな同僚議員、野党議員まで含めて、強烈な個性と楽々、お付き合いできること。寛容であること。
いずれも、不可欠なことです。
こうした条件を乗り越えて、どうぞ、ここへやって来てください。
そして暮夜、あるいは明け方、ひとり悪夢も見るのです。
主権者、国民の身代わりだと思って、見るのです。
日本の尊厳と国益を護る会 ( 護る会 ) も待っています。
そして支えもまた、主権者しかありませぬ。主権者の支えなくして護る会もありません。