On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-05-31 03:29:18
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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現場に戻って考えよう  そしてエントリーの最後に、あまりにも重い衝撃の、1枚の写真をお届けします



▼おとどしの3月23日、東京からジェットでまっすぐ南下して2時間半、硫黄島にて開かれた慰霊祭で、陸上自衛隊の婦人自衛官がきりりと美しく歌われたのは、二度でした。
 最初が、この写真の日米合同慰霊祭です。
 同じテントのなかに、自衛隊と海兵隊、それぞれの軍楽隊が共にいます。76年まえに、たがいに真正面から戦った同士だけが生むことのできる真の信頼と友情がそこにあります。

 二度目は、硫黄島の天山慰霊碑のまえで行われた、日本側だけの慰霊祭でした。それはひとつ前のエントリーをご覧ください。ここです。

 参列していたぼくは、どちらも、こみあげてくる涙を抑えることはできませんでした。
 いまだ、ふるさとに帰れないまま ( おとどしの時点で ) 74年が過ぎている英霊のかたがたが、どんな気持ちでお聴きになるか、誰でも胸に迫るからです。
 
 水の無い、いつでも灼熱の硫黄島で、日本の清い水が溢れる川、青き山々が魂に甦り、そして父、母、友だちと逢いたいと、あまりにも切なく、秘かに慟哭 ( どうこく ) されるでしょう。



▼みなさん、この写真を見てください。
 手前が、ぼくも降りたばかりの日航チャーター機です。自衛官を除き、すべての関係者がこの機で東京都小笠原村の硫黄島にやって来ました。
 向こうは、アメリカの生き残りの将兵、遺族を含むすべての関係者を運んできた軍用機です。
 日本は民間機、アメリカは軍用機。この違いが、日米の現状です。
 アメリカは国家をあげて、全国民が支えて、硫黄島の戦いを慰霊します。
 しかし日本は到底、国をあげて、あるいは全国民が支えて、とは言えません。国が関与はしていても、いちばん大切な国民はどうでしょう。硫黄島の真実を知っている国民は、極めて、少数派です。

 皇位継承をめぐる根本問題とそっくりです。
 日本国民は、政府からも、学校からも、メディアからも、ほんとうのことを伝えられず、教わらないのです。

 だから、ぼくは発信に協力してくださいませんかと、ひとつ前のエントリーでみなさんに伏してお願いしています。
 まず何よりも、みなさんが、日本の唯一の主人公である主権者が、ほんとうのことを知らねばなりません。

 お願いです。もう一度、ひとつ前のエントリーに戻られて、もしも協力していただけることがあれば、お願いします。
 ぼくもあなたも少数派です。
 想像を絶するぐらい、少数派に過ぎません。
 青山繁晴という国会議員はこの世に居ないことに、メディアの絶対多数派によって、され続けています。
 国会で質問しても、その質問も政府答弁も無かったことに、現に、されています。
 それでも不肖ながらぼくは、怯 ( ひる ) むことがありません。信念に基づく、確実な発信を続けています。とっくに限界は超え、頑健な身体も「もう、さすがに無理です」とちいさな声で訴え、それでも今なお、続けています。どうか、発信のあるうちに、それを受け止めて、受け止めるだけではなく、それを広げていただけませんか。
 頼みは、同じ少数派の、あなたさましか、居ません。



▼星条旗のまえをゆく、海上自衛隊の儀仗隊です。
 国際社会では、とっくに日本海軍の儀仗兵です。
 なぜ、国際社会と日本国内で、違うのか。なぜ、わたしたちは二枚舌の世界に住まねばならないのか。
 主権者が知るべきを知らないからです。

 オールドメディアだけではなく、政府が何度、客観性の高い世論調査を行っても『憲法の9条の改正を国会が発議すれば国民によって否定される』という結果が出ます。
 だから政治は逡巡したままです。
 ではなぜ、国民の多数派はそうなのか。
 9条が拉致事件を生んだという事実をご存じないからです。
 日本は平和国家ではありません。同じ国民、同胞を、はらからを、奪われたままでいながら、平和だと言っている国と社会です。これで子供たちに、何を教えるのでしょうか。

 知るべきを知らないことほど、恐ろしいことはありません。
 国会の現場からこれまでに無い発信を致し、その発信を受け止めてくださる国民のいらっしゃることが、いま、どうしても必要なのです。



▼アメリカ合州国海兵隊の、四つ星が襟 ( えり ) に輝く最高指揮官が、全日本人への敬意を込めて、主権者によって参議院に送り出されたぼくに丁寧にあいさつをされ、堅く、握手をしました。



▼家族のある、ふつうの日本男性2万人と、栗林忠道中将以下の職業軍人1千人が立て籠もった地下壕の入り口のひとつ。
 掘る道具も無いなかで、ここまで完璧な壕を掘り、そこを這いずり回って戦うことにより、米軍が計画していた「5日で占領」という計画を少なくとも31日間、遅らせ、それは米軍が硫黄島を使って本土を空襲することを遅らせ、その遅れによって生き残った女性から、わたしたちが生まれました。
 もちろん解釈のひとつです。
 野党の多くからすれば、あるいは日本国民の多数派からすれば「そうとは限らない」となるのでしょう。
 しかし、この解釈、ほんとうに違いますか ?



▼海上自衛隊の将兵と共に、あらためて地下壕に入ります。ぼくは何度も何度も、この地下壕に入っていますが、それでもこの日は、初めての壕でした。それほどまでに広範囲に、地下壕が掘られたのです。



▼地上に向けたこの高い穴から、壕の深さが分かっていただけるでしょうか。
 こうした縦穴から地上に出撃をし、また空気と光を入れていたと考えられています。戦時には、開口部は草で隠されたり、もっと小さくしてあったとも考えられます。

▼そして、このエントリーの最後に、この写真を見てください。



▼なんと、菊のご紋がくっきりと残る、盃を見つけました。
 間違いなく、最後の突撃をなさるときに、別れの水盃 ( みずさかずき ) を戦士が交わされた痕だと考えます。

 栗林閣下は、硫黄島に着任されたとき、自殺行為であるバンザイ突撃を否定されました。
 サイパンでもアッツでも、どの激戦の島でも行われていた日本軍の戦法を、軍の内部から否認されたのです。内部から変える試みが、ここにもあります。
 万歳をして射撃を浴び、顔と頭を割られ、手足をもがれ、内臓を抉 ( えぐ ) られて死し、死の苦しみののちには楽になる、それよりも、水無き灼熱と赤い一面の虫に苦しみ抜きつつ壕を掘り、戦いを引き延ばして空襲を遅らせ、最後の最後に、しっかりと作戦を立てて突撃する。
 これが敵国アメリカにも知られた名将、栗林中将 ( 戦死後に大将 ) が選び、やがて全将兵に浸透した戦法でした。

 この奇蹟の如く無傷に近い、天皇陛下の御紋が入った盃は、それをありありと語っています。
 何度も硫黄島に入り、地下壕を這ったぼくですが、初めて見ました。
 手に取ることはしませんでした。
 これは、ご遺骨の正式な収集隊が手にされるべき盃です。

 無傷というだけではなく、なぜか土も被っていません。
 そこに戦士がそっと、いま、置いたかのごとくでした。
 ぼくは、イラク戦争に先に行く陸上自衛隊の中佐 ( 陸自の二等陸佐は国際社会では中佐 ) と、水盃を交わし、「あとから俺も行くぞ。俺は丸腰、あなたは武装して、しかし武器を使えないのは同じです。死ぬな」と僭越ながら短く、申しあげたことを思い出し、この盃の意味するところを考えることができました。

 あぁ、何たることでしょうか。
 これが東京の島なのです。
 この1枚の写真の訴えるもの、その真の意味を語ることこそ、発信なのです。

 もう一度、あえて申します。
 どうか、ここから、あなたさまにできることを探してください。





 
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