On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-06-06 17:11:29
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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重荷考

 重い荷を肩と背中に背負っていることは間違いないにしても、五年近くを経たこの頃、ふと軽く感じることがある。
 荷は明らかに増しているのに、むしろふと、軽く思う。
 ほんの一瞬のことで、また内心の深い鬱屈がのし掛かってくるのだけれど、軽く感じた感覚は残っている。

 なぜだろうと考えると、アルペンスキーでふっと湧く感覚、息を呑む急斜面がすっと、何でもない斜面に変わる瞬間がある。
 あれと似ていなくもない。

 闘志に生きたひと、ウィンストン・チャーチルが好んだという古代ローマの詩人の一節も頭に浮かぶ。
 ホラティウスだ。
 ぼく自身はそう好きでもないけど、チャーチルが、国民の声を聴くために地下鉄に乗り、そこでこの一節を口にすると、英国市民のひとりが唱和したという、伝説かな ? フィクションかな ? それは分からないけど、理解はできる。
 誰でも、理解はできると思う。
「遅かれ早かれ人は死ぬ。であれば強敵には立ち向かって死ね。祖先と神々のために」

 この5年、ストレスは百倍ではきかない感がある。
 気ままな攻撃が多方面から、それは民間専門家の時代も同じだけど、その多方面からの「多」の次元が違う。
 しかしこれは当たり前だ。
 当たり前だから、ふっと、気にしなくなる。

 気にしなくなってもいちばん、残るのが、味方とされるところから思い切り足を引っ張られ続けること。
 しかし、これもまた、もはや当たり前になった。
 だから、一瞬ではあっても、ふっと軽くなる。

 どうぞ、意の向くままになさってください。

 そう、無言の言葉がふと、浮かんだりする。
 ぼくはあんまり、そう考えるタイプじゃないけどね。

 どなたでも、みな、それぞれの人生の重荷を背負っている。
 おのれの荷だけが重いとは、ゆめ、考えない。それがいちばん大切だ。

      ――――――――――――――――――

▼日曜のきょうは、朝から、家族のひとりのための重要なエスコートがありました。
 Escort. ぼくはそもそも、この言葉が好きです。ほんらいの意味が好きです。護り衛る。まもり、まもる。

 それを無事に終えて、いまは蒸し暑い室内で、なぜか冷房をかける気になれないまま、火曜に迫った国会質問の準備です。

 強烈に分厚い法改正の全文、それから現在の法ができるまえの旧法の全文、それを読み込みながら質問を考えていきます。

 その途中で、上記のようなことを、いくらか考えました。
 金曜にいったん書き終わった東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の第1187号の仕上げもあります。
 余計なことを考えている暇はないけど、新しい小説のことも、考えています。
 新しい、つまり次に完成させる書きかけの小説という意味ですが、構想は実に小学生の時から始まっていますから、新しい、の意味がふつうとは違うかも知れません。
 ここから2作、物語がこの世に現れるはずです、もしも、ぼくの1日が240時間あれば、ね。

 それから、新潮社と書く約束をして何年も経ったノンフィクション、序章といくつかの章は書いて止まっている作品を仕上げていくことも、これは考えているのではなく、少しづつ書いています。

 日曜も、もう夕方。
 みなさん、元気の出る月曜をお迎えください。





 
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