On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-07-18 04:04:11
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靖國神社のみたままつり第三夜祭にて、硫黄島をはじめとする英霊、白梅の少女たちら戦没者のみなさまに深きも深い感謝を捧げてきました



▼東京や金沢、函館では、7月がお盆ですね。(東京は一部を除く)
 靖國神社は東京の九段にありますから、7月にお盆の行事として、英霊をお慰めするための「みたままつり」が開かれます。

▼おととい7月16日に開かれた「みたままつり第三夜祭」にお伺いをし、本殿にて、正式な祭礼に参列をしてきました。

 靖國神社に到着いたしてから、まず山口建史宮司、村田信昌権宮司 ( ごんのぐうじ ) 、松本聖吾総務部長・禰宜 ( ねぎ ) としばし懇談しました。
 山口宮司から、このみたままつりが敗戦後に始まったことをあらためてお聴きしました。
 靖國神社がGHQによって国家の護持を奪われる屈辱と混乱のなかで、いわばこゝろを鎮めて、英霊をお慰めするためのお祭りを始められたわけですね。
 そこにいささかの感動を覚えて、先人への敬意と感謝を申しあげました。

 そのみたままつりが、去年は、中国産の武漢熱によって中止に追い込まれました。
 今年は開催されたものの、やはり武漢熱の厄災によって、みんなの楽しみの露店の出店は中止、その他のたいせつな奉納行事も中止です。
 しかし伝統の献灯、つまり灯明 ( とうみょう ) を奉納すること、それから神社から求められて揮毫雪洞 ( きごう・ぼんぼり ) を納めることは健在です。
 
 宮司、権宮司、禰宜と、靖國神社の近未来と未来についても懇談するうち、定められた時刻となり、神職の先導をお受けして本殿に昇り、英霊、戦没者のみなさまをお慰めする祭礼に臨みました。
 おだやかに神々しく、どこまでも丁寧にして心温かな儀でありました。
 国会議員は、偶々 ( たまたま ) 不肖わたくしひとりでした。

 靖國神社に正式参拝するときは、いつも涼やかな風が静かに頬を撫でます。
 この日もそうでした。
 祭礼の途中から、硫黄島の戦士や白梅の少女たちが語りかけてこられるのが、ありありと分かって、背筋が伸びました。
 新たな決意と覚悟をささやかに致したのを、よくご存じで、まことに僭越ながら喜んでいてくださる気配を感じ、『もっともっと、願いにお応えせねばならない』と自戒しつつ、玉串を捧げ、二拝二拍手一拝を致しました。

▼上掲の写真は、そのあと、境内に出て、不肖ながら奉納した揮毫雪洞のまえに、禰宜の松本さんと立っています。
 松本聖吾総務部長は、長い盟友です。
 明晰な頭脳と確固たる信念を持たれ、靖國神社の柱となるおひとりです。
 インディペンデント・クラブの会員と遊就館で研修するときも、いつも同行して、見事な解説をなさってくださいます。

 靖國神社の現状は、中韓という外国に不当な干渉を受け、内閣総理大臣の参拝がなく、天皇陛下のご親拝も中断されています。
 それでも多くの国民が支えてくださっていることが支えです。
 その支えを活かせるように、現状を少しづつでも脱していかねばなりません。
 松本さんは、その同志です。



▼考えた末に、ことしの揮毫雪洞は、このようにしました。
 拉致被害者の救出への決意も含めて「すべての日本国民と祖国を護ることに、この一身を捧げ続けます」という意思をあらためて込めるために、「護る」という簡潔な、万感の二文字に致しました。



▼こちらは、献灯です。
 雪洞も、献灯も、日が暮れるとなかから灯り、美しくなります。
 ぼくは、そこまで境内にとどまることが出来たことがありません。
 もしも写真に撮られたかたがいらっしゃるなら、見たいですねー。

        ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─

※ おまけ



▼5年まえ、参議院選挙の途中に、おのれの意思でやむを得ず代表取締役社長・兼・首席研究員を退任し、創業者株も返上して、完全に去ってしまった独立総合研究所。
 そしてもはや永遠に、社長に戻ることはないと、これもみずからの意思によって決めています。

 しかし「外交や国防、国家危機管理、資源エネルギーを、官任せにしないで民も取り組む」という理念を掲げる独立総合研究所、独研の灯火、ともしびは消してはなりません。
 三代目社長のもとで献灯してくれているかなぁと探すと、ありました、ありました。
 思わず、にっこりです。

※※ 追記

 このエントリーはほんとうは、靖國神社をおたずねした金曜日の夕刻に書き始めたのです。
 ほかの仕事をしながらではありますが、書いては消し、書いては書き直しで、アップが何と、3日目の日曜日の朝になってしまいました。
 なぜだろう。
 自分にそれを問うてみると、実は、はっきりしています。

 決意や覚悟が、いささかでも不遜であってはならないからです。
 ですから言葉をどこまでも慎重に選び抜きました。
 まるで、物語の「わたしは灰猫」を18年4か月も掛けて書いたときを思い出すかのようでした。





 
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