On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-07-27 23:09:49
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【修整しました】  台風の波に乗る人を初めて見て

▼サーフィンも、オリンピックで見るのは、凄く新鮮で印象的ですよね。

▼すみません、ちょい青スポのつもりで読んでください。

 ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋軍司令部 ( PACOM / 現INDO-PACOM ) に繰り返し行って議論を続けてきましたから、飛行機の待ち時間のあいだに波に乗ったりしてきました。
 最初のとき、サーフボードに自然に立つことができて、自分でもびっくりしているうち、波の先っちょが足の下に来ると、突然に空中に運ばれるかのように猛速で大きなサーフボードが進むのがわかりました。
 ほんとうに初めてだったので、ターンというのはやり方が分からず、そのまま真っ直ぐに乗っていると、沖合から浜辺まで着いてしまいました。
 すると、浜辺で寛いでいたアメリカ人の女性が拍手をしてくれました。
 この人はたまたま、浜辺に置いたサーフボードにぼくが腹ばいになって、立ち方だけをコーチ役の現地サーファーから聞いているのを、横で聞いていたのです。
 つまり、生まれて初めてボードに乗るというのを知っていたわけです。

 コーチ役サーファーも初対面だったのですが、「あんたは、どういう人 ? なぜ乗れる ? 」と聞きました。
「アルペンスキーヤーだから、かな」と答えたことをよく覚えています。
 このサーファーの人は、スキーというものを見たことも、考えたこともないそうでした。
 だから不思議そうな顔をしていました。
 ぼく自身は、高速で走る長いものに乗ってバランスを取る、というのが躯に染み込んでいるのだろうと考えました。
 雪国出身ではないので、最初はスキーもどうやって滑るのか、曲がるのかが、根本的に分かりませんでした。
 そこで、まず頭で理屈を呑み込んで、雪国出身の先輩らに馬鹿にされ笑われながら自分なりの理論をつくって、膝の動きだけでターンするスキーを考え、それを練習で躯に染み込ませていったから、その蓄積がサーフボードのうえで一気に出てきたようにも勝手に思ったのでした。

▼その後も、仕事でハワイ真珠湾の米軍司令部に行くことが多く、サーフィンは下手っぴなターンぐらいは覚えました。
 しかし東京オリンピックの、台風の波に乗る五十嵐選手、都筑選手を見て、腰が抜けました。口が開きました。

 台風の波は、砂を巻き上げて、なんとも恐ろしい色をしています。
 あの色だけで身が竦 ( すく ) むのではないでしょうか。
 高い波、大きな波と言うだけなら、ハワイのノースショアに行けば年中行事です。
 しかし、あのように不規則に高く荒ぶる波に乗るというのは、オリンピックに出てくるようなひとでないと、許されざることですよね。

 その不規則な波が襲来するなかで運、不運もあり、五十嵐選手、都筑選手とも、銀と銅というのは口惜しかったようですが、いや、素晴らしかったです。
 サーフィンは、パリ五輪でも種目として生き残ることがすでに決まっているので、両選手とも、きっと揃って金メダルです。
 次に繋がる銀と銅、こゝろからおめでとうございます。





 
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