On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-08-29 06:46:21
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【推敲しました】  総裁選について  序の補足

▼ひとつ前のエントリー「総裁選について その序」(これです)で述べたことを、整理すると、「令和3年秋の自由民主党総裁選挙は、これまでと同じであってはいけない。まったく新しい取り組みが必要だ」と令和2年秋に考え、それを伝えた国会議員は、この1年近くで、3人だけでした。
 その3人はいずれも、おたがいに秘を守ることを前提にしています。秘を守ることが必要なあいだは、おたがいに、他に漏らさないことを意味します。

 これとは別に、今月、令和3年8月に入ってから、総裁選における深い協力を不肖ぼくに依頼された国会議員は、2人です。
 このおふたりには、前述のぼくの考えについては一切、述べていません。

▼産経新聞の阿比留記者が、ネット番組でぼくの名を出されたそうです。
 多くの問い合わせが、このブログに来ています。
 一部はいつものように詰問、非難です。ただし、ごく一部です。
 阿比留記者のように、おおくの人から信頼される記者が名を出されれば、ぼくに確かめようとする主権者がいらっしゃるのは、ごく自然なことです。

 しかし、ぼくは阿比留記者から一切、何も取材を受けていません。
 あずかり知らぬところでなされた発言に、基本、対応しません。

 阿比留さんは、ずいぶん前に、もちろんぼくが民間専門家の時代に、知友の紹介で一緒にごはんを食べたことがあります。
 もう10年は経つのではないかなと思います。
 そのあと、お付き合いも何もありません。

 阿比留さんの記事、特にコラムは良く拝読していて、素晴らしい記者だと思います。
 前から良かったですが、最近はますます質が高くなり、その着眼点、論旨、文章、いずれも光っているなぁと感嘆しています。もちろん社交辞令は入っていません。
 今回のことについては、ぼくが記者だったとき19年近くの記者生活の全体を通じて、相手に当てる、すなわち当事者に確認せずに記事にしたり、公に発言することはありませんでした。
 その意味で、なぜ、ぼくにお聴きにならないのかなと不思議には思いました。
 今回、阿比留記者は産経新聞に記事を書かれたのではなく、ネット番組で、発言されたとのことです。
 産経新聞の記事として書かれたのではなかったことが、阿比留さんにとって、ぼくに取材なさらなかった理由なのかも知れませんね。

 いずれにせよ、ぼくは自分に起きたことだけで、その人を判断したりしません。
 意外かもしれませんが、寛容であるように心がけていますし、自然に、その程度の寛容さはあります。
 阿比留記者は、産経新聞のみならず日本にとって欠かせない、大切な記者ですから、今後も奮闘されるよう願っています。

 阿比留記者の発言をめぐって「阿比留さんに喋ったのか、喋ってないのか、どっちなのか」と問うコメントもありますから、事実のまま、述べておきます。
 一切なんの取材も、接触も、ありません。
 
▼たいせつなことは、この秋の総裁選を、自由民主党の古い体質のまま行ってはならないということです。
 同時に、日本に、共産党の影響力が初めて及ぶ政権を生んではならない、ということです。
 これまでの動画で、それを語り続けています。

 そのためには、おのれの望む人生をさらに徹底的に壊して一身を捧げ尽くすかまえがあるということです。
 まず自分自身を焼き尽くす覚悟がなければ、総裁選を論じることなどできませぬ。
 覚悟だけでも足りません。評論をしているのではなく、みずから選んで当事者で居るのですから、行動せねばなりません。
 だから行動しています。
 成就するようにこそ行動していますから、今はまだ、すべてが水面下です。

 今後、次第に表に出す部分も出てくると考えます。
 この「総裁選について」というエントリーを設けたのは、そのためです。
 最終的には、広く主権者に明かすべきと判断した部分については、それに限っては、すべて無条件で公開します。





 
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