2021-09-17 19:08:37
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【書き加えました】 何度も申していますように、まつりごと ( 政 ) が総裁選だけになっては、絶対にいけません
▼きょう9月17日金曜、自由民主党の総裁選の告示日で申せば、ぼくという議員の総裁選への関わりは、どのようなものだったか、それをありのままにお伝えします。
午前11時からの高市候補のいわゆる「出陣式」 ( ぼくは好きな言葉ではありません。自分では決して使いません。それは5年まえの参院選で当選したとき、メディアからどれだけ『万歳』を求められても、お断りしたことと共通の感覚があります・・・ )、そして午後1時からの4候補の立ち会い演説会、このふたつの行事は、推薦人となって総裁選に関わっている義務として、参加しました。
しかし午後3時からの4候補の共同記者会見は、北朝鮮の巡航ミサイル、弾道ミサイルの問題に対処するために、ほとんど視ることができませんでした。
北朝鮮が今回、撃った巡航ミサイルは、射程が1500キロに及ぶ、日本を主たる標的に想定したと考えられる新型です。
また弾道ミサイルは鉄道から発射するという奇抜な発想の、これも発射方式については新型です。
「また撃ったか」と横目で見ていていいものではありません。
だから、こちらを優先しました。
そもそも、この共同記者会見は、候補者以外の議員が参加するものではなく、ミサイルの脅威に対峙していなくても、テレビの中継で視るだけでした。
▼先ほど、このぼくが視られなかった共同記者会見では、質問に答えて、皇位継承のあり方について4候補がそれぞれお答えになったと聴きました。
他の人の情報なので、内容については、おのれで全体を詳細に確認していかねばなりません。
( 次から次へと、まつりごとの重大課題が出てくるうえに、武漢熱、国民の仕事、学業、生活をめぐる苦境、これらをはじめ危機がちっとも解消していないので、こういう「あとで確認」という時間を捻り出すのが、ほんとうに大変なのですが・・・ )
現段階で申せるのは、女系天皇の否定と旧宮家からの皇統譜にお戻りいただくことを表明なさったのが、高市候補だけではなかったこと、すなわち岸田候補もそうであったのは、ありのままに申して、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の運動の成果のひとつだとは考えています。
護る会の代表として我田引水で申しているのではありません。
なぜ、そう言えるか。
護る会が2年と3か月前に活動を始めるまでは、女系天皇の否定どころか、皇位継承をめぐって深く議論すること自体が、自由民主党でも自公政権でもタブーになっていたのです。
ましてや、旧宮家からの皇室復帰を具体的に語ることなど、あり得ないことだったのです。
今は、その「タブーだった」という事実を自由民主党の多くの議員が忘れているだけです。
成果があがるというのは、こういうことです。成果があがって情況が変わると、変わる前の情況は都合よく人間の記憶から消えます。
だから成果を誇っても意味がないのです。
前記も、成果を誇っているのではなく、「日本はすこしづつ前進している」ということを知っていただくためです。
護る会は「自由民主党がタブーにしている重大課題に、逃げずに取り組む」ということを根本理念にして発足しました。
皇位継承だけではなく、中韓による国土侵蝕の阻止は、公明党の影響もあってタブー、スパイ防止法の制定は「右翼と言われるからタブー」だったのです。
わずか2年と3か月あとの総裁選で、旧宮家からの皇室復帰による父系一系の継続が、ふたりの候補から語られ、国土侵蝕の阻止は、第一歩となる法が成立し、スパイ防止法は、護る会が政府に「経済安全保障17か条」の実践を提言し、それを核に議論が進み始めています。
隔世の感があります。
そしてー
河野候補が「父系一系による皇位継承」を明言されないことに、反対です。
また野田候補が「女系天皇も選択肢」と仰ったことは、論外として、反対です。
▼総裁選について、上記の義務、「出陣式への参加」、「立ち会い演説会への参加」という推薦人としての義務以外に、ぼくが昨日から今日にかけて時間を使った課題は、護る会が各候補に質問書を出していることへの対応です。
出口太 ( いでぐち・ふとし ) 公設政策秘書を中心に、わずか3人しか居ない秘書さんと連携しておこないました。
この質問書への回答は告示日前日のきのう、9月16日を〆切としていました。
岸田候補と高市候補からは、期限までに回答がありました。
しかし河野候補からは、今のところ、すなわち9月17日の午後7時までの段階で回答がありません。
また野田候補は、締め切り日当日の16日に出馬表明されましたから、きょう17日に質問状をお渡しをしました。
そして当然、野田候補が対応なさる時間を確保せねばなりませんから、〆切を9月21日火曜まで延長しました。
これに伴い、河野候補の事務所には「野田さんの立候補によって〆切を延ばしましたから、回答をお出しください」と、あらためてお願いしました。
したがって、各候補の回答を、主権者と、自由民主党の党員・党友へ公表することも、22日以降となります。
また、検討しているネット討論会の開催は、各候補の時間を調整していただくことに四苦八苦しています。「5分、10分の時間もないんです」と、護る会に理解のある候補の陣営からも言われました。最後まで努力を続けます。
▼護る会から、高市候補以外の推薦人も出ています。
それを代表であるぼくの「責任」と仰るご意見も届いていますが、それはどうでしょうか。
とるべき責任は、いかなる責任もとります。
しかし、何度も申しあげているとおり、護る会は総裁選のための議員集団では、まったく、カケラもありません。
また推薦人は、その候補の主張を全部、鵜呑みにできないと推薦人になってはいけない、などということは無いと考えます。
たとえば「この候補と、自立した議員である自分は、この点で意見が違うが、この点で一致できるから推薦する」ということもあり得ます。
あるいは「この候補と意見が違う点も一致する点もあるが、指導者としての人間力を評価するから推薦人になる」ということもあり得るでしょう。
ゼロか100かという考え方、あるいはそれに近い考えは、日本ほんらいの民主主義ではないし、日本国を前には進めないと考えています。それでは行きつ戻りつするだけに陥るでしょう。
長いあいだずっと、「一致点を探しましょう」と呼びかけています。
しかし護る会の理解者でいらっしゃるだろう、良心的な主権者から、「護る会から高市候補以外の推薦人になる議員が出ているのは、代表の責任問題だ」というお声が出ること、それは、ぼくの非力の証明、努力不足の結果です。
諦めず、膝を屈せず、淡々と取り組み続けるしかありません。
▼また、「青山さんが総裁選で特定の候補の推薦人になるなど良くない。ましてや自分で総裁選に打って出ようとしていたなど、まったくけしからんことだ。失望した」というお声もいただいています。
いかなる異見も尊重する姿勢に変わりはありません。
しかし、同意はできません。
日本を変えるために、自由民主党を内部から変える努力をずっと続けています。そのために自由民主党の議員で居ます。そうでありながら、総裁選について「我関せず」という態度をとることが正しいでしょうか。
「失望した」という言葉を見るたび、失望という日本語が嫌いになってしまいそうで、哀しいですね。
ぼくの毎日は、こゝろの奥が哀しい日々です。みなさんのきっと多くと、おなじです。
午前11時からの高市候補のいわゆる「出陣式」 ( ぼくは好きな言葉ではありません。自分では決して使いません。それは5年まえの参院選で当選したとき、メディアからどれだけ『万歳』を求められても、お断りしたことと共通の感覚があります・・・ )、そして午後1時からの4候補の立ち会い演説会、このふたつの行事は、推薦人となって総裁選に関わっている義務として、参加しました。
しかし午後3時からの4候補の共同記者会見は、北朝鮮の巡航ミサイル、弾道ミサイルの問題に対処するために、ほとんど視ることができませんでした。
北朝鮮が今回、撃った巡航ミサイルは、射程が1500キロに及ぶ、日本を主たる標的に想定したと考えられる新型です。
また弾道ミサイルは鉄道から発射するという奇抜な発想の、これも発射方式については新型です。
「また撃ったか」と横目で見ていていいものではありません。
だから、こちらを優先しました。
そもそも、この共同記者会見は、候補者以外の議員が参加するものではなく、ミサイルの脅威に対峙していなくても、テレビの中継で視るだけでした。
▼先ほど、このぼくが視られなかった共同記者会見では、質問に答えて、皇位継承のあり方について4候補がそれぞれお答えになったと聴きました。
他の人の情報なので、内容については、おのれで全体を詳細に確認していかねばなりません。
( 次から次へと、まつりごとの重大課題が出てくるうえに、武漢熱、国民の仕事、学業、生活をめぐる苦境、これらをはじめ危機がちっとも解消していないので、こういう「あとで確認」という時間を捻り出すのが、ほんとうに大変なのですが・・・ )
現段階で申せるのは、女系天皇の否定と旧宮家からの皇統譜にお戻りいただくことを表明なさったのが、高市候補だけではなかったこと、すなわち岸田候補もそうであったのは、ありのままに申して、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の運動の成果のひとつだとは考えています。
護る会の代表として我田引水で申しているのではありません。
なぜ、そう言えるか。
護る会が2年と3か月前に活動を始めるまでは、女系天皇の否定どころか、皇位継承をめぐって深く議論すること自体が、自由民主党でも自公政権でもタブーになっていたのです。
ましてや、旧宮家からの皇室復帰を具体的に語ることなど、あり得ないことだったのです。
今は、その「タブーだった」という事実を自由民主党の多くの議員が忘れているだけです。
成果があがるというのは、こういうことです。成果があがって情況が変わると、変わる前の情況は都合よく人間の記憶から消えます。
だから成果を誇っても意味がないのです。
前記も、成果を誇っているのではなく、「日本はすこしづつ前進している」ということを知っていただくためです。
護る会は「自由民主党がタブーにしている重大課題に、逃げずに取り組む」ということを根本理念にして発足しました。
皇位継承だけではなく、中韓による国土侵蝕の阻止は、公明党の影響もあってタブー、スパイ防止法の制定は「右翼と言われるからタブー」だったのです。
わずか2年と3か月あとの総裁選で、旧宮家からの皇室復帰による父系一系の継続が、ふたりの候補から語られ、国土侵蝕の阻止は、第一歩となる法が成立し、スパイ防止法は、護る会が政府に「経済安全保障17か条」の実践を提言し、それを核に議論が進み始めています。
隔世の感があります。
そしてー
河野候補が「父系一系による皇位継承」を明言されないことに、反対です。
また野田候補が「女系天皇も選択肢」と仰ったことは、論外として、反対です。
▼総裁選について、上記の義務、「出陣式への参加」、「立ち会い演説会への参加」という推薦人としての義務以外に、ぼくが昨日から今日にかけて時間を使った課題は、護る会が各候補に質問書を出していることへの対応です。
出口太 ( いでぐち・ふとし ) 公設政策秘書を中心に、わずか3人しか居ない秘書さんと連携しておこないました。
この質問書への回答は告示日前日のきのう、9月16日を〆切としていました。
岸田候補と高市候補からは、期限までに回答がありました。
しかし河野候補からは、今のところ、すなわち9月17日の午後7時までの段階で回答がありません。
また野田候補は、締め切り日当日の16日に出馬表明されましたから、きょう17日に質問状をお渡しをしました。
そして当然、野田候補が対応なさる時間を確保せねばなりませんから、〆切を9月21日火曜まで延長しました。
これに伴い、河野候補の事務所には「野田さんの立候補によって〆切を延ばしましたから、回答をお出しください」と、あらためてお願いしました。
したがって、各候補の回答を、主権者と、自由民主党の党員・党友へ公表することも、22日以降となります。
また、検討しているネット討論会の開催は、各候補の時間を調整していただくことに四苦八苦しています。「5分、10分の時間もないんです」と、護る会に理解のある候補の陣営からも言われました。最後まで努力を続けます。
▼護る会から、高市候補以外の推薦人も出ています。
それを代表であるぼくの「責任」と仰るご意見も届いていますが、それはどうでしょうか。
とるべき責任は、いかなる責任もとります。
しかし、何度も申しあげているとおり、護る会は総裁選のための議員集団では、まったく、カケラもありません。
また推薦人は、その候補の主張を全部、鵜呑みにできないと推薦人になってはいけない、などということは無いと考えます。
たとえば「この候補と、自立した議員である自分は、この点で意見が違うが、この点で一致できるから推薦する」ということもあり得ます。
あるいは「この候補と意見が違う点も一致する点もあるが、指導者としての人間力を評価するから推薦人になる」ということもあり得るでしょう。
ゼロか100かという考え方、あるいはそれに近い考えは、日本ほんらいの民主主義ではないし、日本国を前には進めないと考えています。それでは行きつ戻りつするだけに陥るでしょう。
長いあいだずっと、「一致点を探しましょう」と呼びかけています。
しかし護る会の理解者でいらっしゃるだろう、良心的な主権者から、「護る会から高市候補以外の推薦人になる議員が出ているのは、代表の責任問題だ」というお声が出ること、それは、ぼくの非力の証明、努力不足の結果です。
諦めず、膝を屈せず、淡々と取り組み続けるしかありません。
▼また、「青山さんが総裁選で特定の候補の推薦人になるなど良くない。ましてや自分で総裁選に打って出ようとしていたなど、まったくけしからんことだ。失望した」というお声もいただいています。
いかなる異見も尊重する姿勢に変わりはありません。
しかし、同意はできません。
日本を変えるために、自由民主党を内部から変える努力をずっと続けています。そのために自由民主党の議員で居ます。そうでありながら、総裁選について「我関せず」という態度をとることが正しいでしょうか。
「失望した」という言葉を見るたび、失望という日本語が嫌いになってしまいそうで、哀しいですね。
ぼくの毎日は、こゝろの奥が哀しい日々です。みなさんのきっと多くと、おなじです。