On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-10-11 23:07:38
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すぎやまこういち先生の柔らかさ

▼すぎやまこういち先生といちばん最初にお逢いしたのは、国会の議員会館の会議室でした。
 といっても、ぼくは当時、議員ではありません。その会に、民間の専門家のひとりとして招かれていただけです。
 何年前でしょうか。かなり遠い日のことです。10年は超えています。10年プラスアルファでしょう。

 この会は現職の議員が開いたのでしたが、そこに落選中の議員も多数、来られていました。
 いわゆる保守派、国を愛することに重きを置く現職議員と落選議員が集まっていて、すぎやまこういち先生はその落選議員の支援をされていたのでした。
(・・・国を愛することに重きを置かない国会議員がいる国というのは、これだけ世界を歩いてきて、日本以外にはまったく見たことも聞いたこともありません ) 

▼支援というのは、資金の面も含めてのことであると、すぎやまこういち先生からではなく当の落選議員から聴いていました。
 今も、その落選中の議員のみなさんの表情をよく覚えています。すがるような眼ですね。
 ぼくは政治記者出身ですから、議員の落選もたくさん見てきました。
 しかし、利害をまったく度外視して、ただ祖国のために落選議員を支援する作曲家という存在は初めて見ました。
 だから、すぎやまこういち先生は強く印象に残ったのです。

▼そのあとに、すぎやまこういち先生とまずは、メールのやりとりから始まりました。
 深更に作曲されるので、真夜中のやりとりです。

 ぼくのパソコンに、すぎやま先生からいただいた最初の頃のメールが残っています。
 世を去られたかたといっても私信ですから、そのままを紹介することはしません。
 ごくひとことだけを、記しておきます
 このメールの受信は、西暦2010年2月27日午前2時53分です。
 
「久しぶりにニッポンダンジの新しい知り合いが出来て嬉しい気持ちで一杯です。
 貴兄の頑張りを心より応援させて下さい」

 こう仰っています。
 ニッポンダンジとは、日本男児ですね。
 
▼「応援」とあります。
 ぼくは当時、独立総合研究所 ( 独研 ) の代表取締役社長・兼・首席研究員でしたが、独立総合研究所は当時も今も、寄付を一切、受け取りません。
 ぼくが国会議員になってから政治献金を一切、受け取らず、パーティ券も売らないのと同じです。

 そこで、すぎやまこういち先生はマネージメントをなさる奥さまとご相談されて、ぼくが独立総合研究所の社長当時に、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の複数年契約を、事務所 ( 法人 ) として、してくださっています。

 独立総合研究所は、営業活動、販売促進、宣伝活動をしない会社です。
「会社であるのは自立、独立のためであり、利益は追求しない。追求するのは国益である」という理念によるのですが、当然、先に何が待つか分かりません。
 ふつうの会社でも、先になにがあるのかという経営の難しさは同じですね。経済記者も経験していますから、よおくわかります。
 ただ独立総合研究所、独研は、内部留保を貯めませんから、別の苦難が常にあります。

 だから、TCRの複数年契約は、非常に助かります。
 ぼくが選挙中に社長を辞め、創業者株も無償で返上してもう5年3か月、独立総合研究所の経営状況には当然、一切、関知していませんが、今でもおそらく、たいへんに助かっていると思います。
 独研の理念はまったく変わっていませんから。

▼すぎやまこういち先生へのその恩義に加えて、先生と奥さまが、毎号のレポートを熱心に読んでくださっていることもそれとなく伝わってきて、強く励まされています。

 国会議員になってからのぼくは、レポートの企画・情報収集・執筆・仕上げを、独立総合研究所から委託されて遂行する立場になっています。
 すぎやま先生ご夫妻だけではなく、すべての会員がそれぞれ、しっかり読んでくださることほど、難しさを乗り越えて情報を収集するときや、引き込まれるような眠さに耐えて夜更けや未明にレポート原稿を書くときに、支えになることはありません。

▼前述の、落選されて苦闘されていた国会議員のうち多くが、無事に当選し議員に戻られています。
 そのなかで、すぎやまこういち先生に感謝され続け、たとえば議員活動の様子を伝えておられるかたが必ずしも、多数派ではない、その現実を、すぎやまご夫妻ではなく別のところから聴いています。

 しかし、すぎやまこういち先生は何も仰いません。
「かなりの資金支援もなさったのに、音信不通に近いひともいらっしゃるのですか ? 」とお尋ねしても、静かに笑っておられるだけです。
 ドラゴンクエストにしても、国を愛することを若いひとに伝えたいという熱い志は、ぼくには話されても、ほかの場所でそれを表に出されることは、まず無かったようです。
 まず、ゲームの愉しさ、それに徹して作曲されていたようです。
 だから、すべての関係者との連携も円滑に、充実していたのでしょう。

▼われらの、すぎやまこういち先生は、まっすぐな国士であると同時に、寛容で柔らかな魂の持ち主です。
 肉体はどうであれ、その魂は今も健在であることを、ありありと感じます。
 むしろ、90年の歩みとともに不自由になられた体を脱せられて、自由な、ほんらいのすぎやまこういち先生に戻られて、在ることを感じます。

 福島第1原発の吉田昌郎所長の魂魄がいまも、福島浜通りにいらっしゃるのを感じるように、すぎやまこういち先生の魂魄もまた、愛し抜いたこの祖国の街並みに、あの広くて熱いこゝろで、ぼくらと共にいらしてくださるでしょう。
 そしてきっと、愛する奥さまとご家族のそばにも、いらっしゃいます。






 
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