2021-10-26 11:03:07
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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声が出ない まったく、ひと声も出ません それでも英霊の声に応えたい
▼にんげんの躯とは、つくづく面白いものです。
ゆうべ、選挙遊説から、自宅へ戻った、その直後にまったく声が出なくなったことに気づきました。
かかってきた電話に出て、声が出ないのです。ぎゃ。
遊説中は、枯れに枯れてトンデモの声にはなっていたけど、出てはいました。
帰りの飛行機のなかでも、車中でも、とにかく自宅に帰ってひとりになるまでは、声は出ていたのです。
外での役割を終えたと躯が判断した瞬間、声を倉庫にしまってしまった感じです。
ま、これは、にんげんの面白さである当時に、ぼくの躯の特徴でもあります。
ぼくは新陳代謝がたいへん活発で、それもあってか人間ドックでの体内年齢の判定は32歳です。
だから腸の動きも活発なようです。
ところが遊説中は、遊説が十何時間、休みなく続いても、トイレに行く必要がまったくありません。
どんなに冷えても、同じです。もともと暑さ寒さをあまり感じません。
別に我慢はしていません。
無意識の、自然なことなのです。
かつて丸腰で、イラク戦争、パレスティナ紛争、旧ユーゴ紛争の戦地を歩いた時もそうでした。
とりあえずは眠れるところに入るまで、まったく便意も尿意も催しませんでした。
なかなか便利な、使いやすい躯です。
▼ゆうべ10月25日月曜の夜は、兵庫県加古川市での渡海紀三朗候補の応援を終え、志ある加古川青年会議所 ( JC ) のみなさんに神戸空港まで送ってもらいました。
神戸空港は、ぼくがずっと滑走路の延伸を主張している空港です。海上に造られた空港ですが、関西国際空港と違って陸から道路一本で繋がったりしていません。大地からそのまま繋がっている、危機管理に有利な優れものの空港です。
ぼくの生まれた港町、神戸の地盤沈下が目立っています。あの元町ですら、シャッター商店街となりつつあります。
画期的な転換が必要ではないでしょうか。
話を元に戻すと、その神戸空港まで送ってくれたのは、運転が加古川JCのかっこいい日本女子、しょうこ ( 彰子 ) さんでした。運転が、レーシングドライバーの端っこにいるぼくから見ても、上手でした。
助手席には、加古川JCの戦う日本男児、なるひこ ( 稔彦 ) さんがいて、ぼくに2冊の小冊子を渡してくれたのです。
一冊は、「ボクのまちの宝さがし」。
たとえば帝国陸軍の加古川飛行場の跡を紹介しています。
ここは、特攻隊の訓練もなされたところです。
説明文には、こうあります。
「17歳から20歳前後といった優秀な青年が ( 中略 ) 国や地域、愛する人を守るため、そして家族や子孫の事を想い、自らの一度限りの人生を犠牲にして散華されました。その青年の想いを受け止め、国や地域をより良くするために生きる、という志を持たなければならないでしょう」
稔彦さんは「青山さんが ( 独立総合研究所の社長時代に ) 講演して、硫黄島の英霊の話をしてくれました。それがみんなに強く残っているんです」という趣旨を話してくださいました。
▼そして、もう一冊が、写真の「祀 ( まつ ) る者が祀 ( まつ ) られる」です。
これは薩州、鹿児島の知覧特攻平和会館をめぐるマンガです。
初代館長であり、特攻隊の生き残りであった板津忠正さんと、そのご長男をめぐる物語です。
取材に協力なさった宮本雅史・産経新聞編集委員は巻末に、こうお書きになっています。
~ 以下、引用 ~
「特攻隊に対して『無駄死にだった』という偏見が多くなった。それが許せなかった ( 後略 ) 」。こう語る板津さんは殺気立ち、特攻隊員の御霊が乗り移ったような気迫を感じました。
~ 引用ここまで ~
▼ぼくはこの2冊を、神戸空港から羽田への機中で、眠気に耐えて一気に拝読しました。
どんなに疲れて眠くても、読まずには、いられなかったのです。
ご関心のあるかたは、加古川JCに問い合わせてみてください。電話079-423-3076です。
メールは、master@kakogawa-jc.org です。
▼さて今日10月26日火曜はこのあと、福岡に飛びます。
われらが鬼木誠、まこっちゃん、おにきちゃん、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の創建メンバーにして、現・副代表、さらに現・防衛副大臣の応援です。
絶対に国会に戻ってもらわねばならないひとです。
今日の予定は以下の通りです。
10月26日 ( 火 )
★福岡2区
18:00 鬼木誠候補・個人演説会@天神スカイホール メインホールA
鬼木ちゃんとは街頭演説に出たくて、最後の最後まで調整したのですが、残念ながら予定が合いませんでした。
どうぞ、上掲の個人演説会へお出でください。
▼それまでに声を戻さないといけません。
上述の、ぼくの躯の便利機能が働いて、いざとなれば声が出ることを願うばかりです。
ちなみに、青山千春博士はこれです。
これは出航の準備中に、送ってきてくれた写真です。
このあと乗船中です。
海洋調査船にて、きょうも、日本の海が抱擁する自前資源、メタンハイドレート&メタンプルームを実用化するために戦っています。
みんなして、英霊の応えましょう。
あらためて、その決心と覚悟をともに考えたい、総選挙の第8日目です。