2021-11-19 23:31:05
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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憤激しつつ敵を知る そして憤激を抑えつつ、何が、誰が敵かをみなに伝える
その敵とは、日本の内なる敵です。
敵はひとりでも一種類でもありませぬ。
いったい何のことか。
できれば、ここをご覧ください。
ほんとうは、胸の裡 ( うち ) で呆れ果て、怒り狂い、あくまでも既得権益にしがみつく連中にもはや我慢できず力任せにぶっ叩こうかと思い、また味方の顔、味方の声をして足にぶら下がり引っ張るかたがたにも疲れ果て・・・
・・・いや、すべてを呑み込んで、我慢を続け、疲れをみせず、どなたにもにこにこして、懸命にユーモアも交えようと努め、ようやく下手な話をば、みなさんに差し上げているのが、ここなのですよ。
我慢するのは当然です。
なぜなら、敬愛するケンジ・ミヤザワは仰っているではありませんか。
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
宮澤賢治が大々好きです。
「注文の多い料理店」や「セロ弾きゴーシュ」のような、何がテーマかはっきりしないものが、とくに、子どもの頃から好きです。
上記はみなさんがよくご存じの通り、有名な「雨ニモマケズ」の一節ですね。
「雨ニモマケズ」を、ぼくは詩とは考えていません。それも子どもの頃からの印象、いや、ありのままに言えば子どもながらにじっくりと考えた思考の結果です。
手帳に記した、みずからへの宣言だったのでしょう。
最後には、南無安立行菩薩と記されています。
賢治は宗教家ではありません。法華経をひとに詠んで聞かせようと賢治が思ったとは、ぼくには考えられません。
病の高熱で倒れて遺書を書いた、その翌々月に手帳に記したのが「雨ニモマケズ」です。
死を身近に感じつつ、もしも再起があるとするなら、こうしよう、こんなひとにきっと成ろう、そのおのれへの宣言だったと考えます。
ぼくの仕事机にはいつも、「注文の多い料理店」の初版の復刻版があります。
なんとも言えないほど、秘かに、そして丁寧に、励まされるのです。
鬱屈の魂にとって、わずかな、ありがたい、静かな支えです。