On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-01-06 11:38:29
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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いないいないばあ

▼ほんらいの「いないいないばあ」は、命の讃歌です。
 産まれてから5か月か6か月頃の赤ちゃんに、お母さんが「いないいない」をして両手で顔を隠し、「ばあ」と手を開いて顔を見せると、きゃっきゃっと喜んでくれます。

 これは、赤ちゃんに初めて、記憶という機能が生まれてきて、記憶と期待どおりにお母さんの顔が現れて喜ぶということだと、発達心理学などで解明されています。

▼しかし、大人になった人間のなかには、卑しいたくらみに走る人もいます。
 ぼくは不肖ながら、一点の曇りもない選挙によって国会議員を務めているのですが、それを「いないいない」議員にする工作に明け暮れている日本人もいらっしゃいます。
 いまは、7月の参院選への再出馬が回避できなくなったと見て、落選させる巧妙な戦術をどんどん繰り出しています。

 これらは、すべて、成功しています。
 おのれをめぐることも、客観的、公平に見て、語ることができなければ、世界と日本を語る資格はありません。
 卑劣な工作は成功中です。
 ぼくは、どんどん「いないいない」になり、赤ちゃんの命の讃歌とは逆に、記憶から消されつつあります。誰の記憶から ? 日本の主人公、主権者であるみなさんの記憶からです。

 しかし、まだ負けは確定していません。
 戦いは継続中です。
 最後に「ばあ」があればいいのです。
 プロフェッショナルの仕事において、どんな経過だったかは結局、おおきな意味を成しません。「よく頑張りましたね」はアマチュアの世界です。プロフェッショナルであれば、結末こそが問われます。

 今が負けであれば、逆転の可能性があるということです。
 そして、青山繁晴の目的は、おのれが勝つことではありませぬ。
 あなたを扶 ( たす ) け、日本国が勝つことです。
 ほんらいの日本が甦り、先へ進んでいくことがあれば良い。わたしはそのために死すことができます。





 
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