On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-01-17 05:37:22
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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生まれ故郷、神戸の27年

 阪神淡路大震災から27年となりました。
 6434人の御魂が、唯ひとつしか無い命の代わりに遺していかれた教訓を汲んで、これまで、たとえば憲法9条の改正についても発言してきました。
 9条のもたらす厄災は、拉致事件の発生、領土領海への中国、韓国、ロシアによる侵蝕、有事への致命的不安だけではないのです。自衛隊の災害派遣をも大きく歪めているのが、真実です。
 そのために、喪われなくてもよかった命が、生きながら焼かれました。
 ひとりの議員として、現場での取り組みを続けます。

 明るい神戸っこをはじめ、淡路、そのほか兵庫県全体、大阪、京都の亡くなられたかた、そしていまだに行方の分からない3人のかた、ふるさとの同胞が背負ったまさかの運命に、ほんとうは、言葉もありません。

 あの朝、ぼくは防衛庁 ( 現・防衛省 ) 担当の政治記者でした。
 まだ昏い街のあちこちから地獄の業火が噴き出している、ヘリからの映像を見て、これが神戸だとは最初の一瞬、思えませんでした。
 幼い頃から、地震の話など聴いたことがなかったからです。地震は、大学に行ってから住み始めた東京のことだと思っていました。
 都内の自宅の電話で母に掛けても、通じません。父はもう亡くなり、兄姉は結婚していて、母はひとり暮らしでした。
 外へ飛び出して、当時の公衆電話から掛けると、繋がりました。
 母の、生きている声、さすがに武家の娘の誇りで落ち着いている声を聴いてから、家に戻り、さっと着替えて、災害派遣の中心となる防衛庁へ飛び出していきました。
 あれから27年、自国民の大量死を招いた憲法9条が一字一句そのままとは、およそ信じがたいことです。
 何もかも遅い。遅すぎるのです。国会に居て、その現実に、頭から火が噴き出そうになるほんとうの気持ちを、じっと抑えて、いまは当事者のひとり、最前線のひとりとして戦います。





 
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