On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-01-29 10:20:21
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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佐渡の金銀山をめぐる決定から一夜明けての土曜日、つくづく思うのは・・・

・・・まつりごと ( 政 ) は、恐ろしいということです。

 とにかく人間の弱さが世を支配しがちで、弱き心、すなわち嫉妬心や焦燥、思い込み、保身、自分だけが可愛いと思う気持ち、独占欲、小さな権力欲、そうしたものが世の主たる議論を形成し、新聞やテレビ、ネットで伝えら、広まる。 ( 世の議論のすべてでは決してありません。少数ながら、違う議論もまた、確かにあります )

 そういう主流の議論で持ち上げられた人は、いくぶんかは後ろめたさがあればまだいいけれども、多くの場合は、それに気分を良くして乗っかる。

 人間には、かけがえのない強さもある。
 それは、はっとするほどきらりと鋭く、綺麗に光っている。
 しかしそれは、すべてが過去になってから、ごく一部に顕れるだけで、それも多数には気づかれずに終わる。
 民主主義の政治は、その多数を持って行うほかありません。

 それと「狭量だけれど、嘘はつかないだろう。誤魔化しだけはしないだろう」と思っていた人物が、平然と、自分を守るためには嘘をつく。それだけではなく、実は自分自身に対しても嘘をつき、みずからの記憶を改竄する。
 こうしたことに思いがけず直面すると、ひとりの作家として、すなわち人間の真実を考えようとする立場からして、深く気持ちが沈みます。
 おのれは違うから、あの人物がそうというだけだから、と考えて済む問題ではありません。

 しかし救いはあります。
 それも、予想外のところにある。
 いまの祖国に、真の意味で気を引き締めている要人が、すくなくとも、ひとり、いる。
( ちなみに、ぼくは要人ではありませぬ。いち議員に過ぎず、さほど本が売れないもの書きに過ぎません )

 希望と絶望が深々と入り交じって、渾然一体なのが、人の世だと、少年の時代から思っていました。
 それは、ただ書を読み重ねての直感、あるいは大人になって体験するだろうことへの予感に過ぎなかったけれど、たった今、国会に居るぼくの眼前、いや、もっと深いな、もっと直截 ( ちょくさい ) 的だな、辛 ( つら ) いけれども体内で証明されているとも、考えています。

 何だか抽象的な書きぶりで申し訳ない。
 誰も傷つけないためには、こうした書き方しかありませぬ。






 
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