2022-02-02 23:54:55
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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(だいぶん書き足しました) ネット全盛、これからますます全盛、だからこそ・・・
・・・ネットだけではなくてね、実際にお逢いして、眼を見あって、一緒に考えましょう。
しかも、深きも深い水面下情報を、共有しましょう。
さらに、質疑応答を、活き活きとやりましょう。
それが、スポンサーの一切無い自主開催のウルトラ長尺、独立講演会です。
4時間半以上、ぼくはずっと立って、みなさんと向かい合います。
みなさんは、できるだけリラックスして、ゆったりと座っていてほしいです。
翌日のぼくは、声が枯れています。
しかし、びっくりするぐらい励まされているのです。
そしてみなさんからも、「勇気が出ました」「元気が湧いています」というコメントを、この地味ブログにいただきます。
先日、厚生労働省の担当官と、じっくり話し合いました。
意見が一致したのは、「こんなウイルス、見たことが無い」ということです。
中国製の人工ウイルスだと、ぼくは考えています。それを厚労省の、この寝ないで働き続ける担当官にも話しました。
そんなものに負けないためにも、感染症対策を徹底的に施して、国と自治体のルールをすべて守って、独立講演会に臨みます。
3月12日の土曜日、東京は有楽町です。
ここをご覧になってくださいね。
待っています。
あなたを、待っています。
※冒頭の写真は、西暦2016年1月23日に、早稲田大学の大隈講堂で第49回の独立講演会を開いたときです。
舞台から、ぼくが撮りました。ちょっと見にくいですが、すべて、聴衆のかたがたです。
独立講演会の大きな看板が出ています。
これは大隈講堂の内部です。
控え室から、この廊下を辿って、舞台へ進みます。
左は、内閣総理大臣を務めた、早稲田大学の創設者、大隈重信公です。
大隈講堂では何度か独立講演会を開きましたが、あるとき、連続5時間の講演を終えてこの廊下に戻ると、大隈公のそばに思いがけなく、ふたりの男性が待っておられました。
おひとりは、伝説の編集者として敬意を抱いていた、花田紀凱さん。もうおひとりは、良心的な若手編集者、沼尻裕兵さんで、いずれも初めての出逢いでした。
驚いていると、花田さんが「連載の原稿をお願いしたい」と仰いました。
それが現在の、月刊Hanadaの連載エッセイ、「澄哲録片片」 ( ちょうてつろく・へんぺん ) なのです。
冒頭の写真の第49回の独立講演会を開いたときは、日本初の独立系シンクタンク、独立総合研究所 ( 独研 ) の代表取締役社長・兼・首席研究員でした。
その日から19日前の1月4日、安倍晋三内閣総理大臣 ( 当時 ) の命を受けられた世耕弘成・内閣官房副長官 ( 当時 ) から、参議院議員選挙への正式な出馬要請を受けました。
そして、このときから6月中旬まで断り続けたのでした。
しかしながら西暦2016年6月22日の公示日のまさしく直前に、万やむを得ず、出る覚悟を決めたのでした。
ただし1期のみで、自由な立場に戻るつもりでした。
選挙戦でも、その気持ちをありのままに語りました。
いま再び、万やむを得ず、いえ、万々万やむを得ず、6年後の同じ日、2022年の6月22日となる見通しの公示日にもう一度、立候補を届け出て、これも6年後の同じ日、7月10日になるらしい投票日に臨むことになりました。
衆参両院の現職議員が72人集う、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の代表としての責任も、そのようにして果たさねばなりませぬ。
さぁ、3月12日土曜の第124回を数える独立講演会で、そのことも、みなさんと一緒に考えましょう。
みなさんが日本の主人公です。
すべての国会議員はただの代理人です。