On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-04-18 23:11:30
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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忙中閑なし  それで良し  どうという事もありませぬ



▼6年前の西暦2016年、その5月、オーストラリアの首都キャンベラにて国防省や海軍と議論を終え、国防省の前の広場に出ました。
 素晴らしい青空です。
 オーストラリアの政府高官も軍人も、とても率直に、厳しい議論に応じてくれて、爽やかな気持ちでした。

 当時は、独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員です。独立総合研究所の研究員と共に出張していました。背後の建物が、オーストラリア国防省です。
 これが、民間の専門家として最後の出張になるとは、夢にも考えていませんでした。われ、運命を知らず。

▼この直後とも言える翌月、6月中旬に、『国益のために選挙に出ざるを得ない』とついに覚悟を決め、6月22日の公示の直前に、突如として出馬表明をすることになります。
 この写真を、同行の優秀な研究員、ヘイワース美奈さんに撮ってもらったとき、そんなことになるとは1ミリも思っていませんでした。

 この2016年は、お正月明けの1月4日から、2月、3月、4月、そして5月と、当時の世耕弘成官房長官からずっと出馬を要請されていました。しかしオーストラリアの青空のもとでも、まったくその気は無かったのです。
 オーストラリアは中国から遠いので、ほんものの青空です。ぼくら日本人は、中国の大気汚染によって、日本晴れを喪っていることにもっと怒るべきだと、世界を回るにつれ思っていました。

 この出張の大きな目的のひとつは、日本の潜水艦をオーストラリアが導入するよう、民間の立場から働きかけることでした。しかし防衛省からも自衛隊からも、何も一切、頼まれていませんでした。
 また、仮に導入が決まっても、独立総合研究所やぼくに利益がある訳ではありません。1円の利益にもなりません。仲介手数料が入るとか、そんな契約など一切していませんでした。ただただ出張費が掛かるだけです。出費だけあって、売り上げゼロ、利益ゼロ。
 それが当時も今も、独立総合研究所、独研なのです。自律、独立を保つために株式会社でいますが、会社の利益は追求せず、国益を民間から追求します。

 そんな会社が成り立つはずはない ?
 現に成り立っているのです。創立は西暦2002年4月、すでに20年の長きにわたって無事に存続しています。
 ぶれない信念と強靱な意志があれば、道は拓けるのです。

▼さて今日は、この日からほぼ6年後の4月18日月曜です。
 ぼくは6年前の参院選のさなかに、みずからの判断で、独立総合研究所の初代社長を辞し、首席研究員も辞し、創業者株もただで返上して、独研を去りました。
 そして明日は、内閣委員会で経済安全保障推進法案について質問に立ちます。

 ぼくは内閣委員会には属していません。予算委員会の委員を6年ずっと務め、経済産業委員会と政府開発援助(ODA)沖縄・北方特別委員会で、それぞれ理事を務めています。属しているのは、この3つの委員会です。
 しかし内閣委の太田房江理事から「青山さんの専門性を活かして質問してほしい」と熱く要請され、即、お受けしました。
 その後、党内の手続きを経て、国会としても「委員の差し替え」という正式な手順を終えて、質問します。
 ( ただし質問が終われば、内閣委の委員を辞任して、元の立場に復帰します )

▼この質問の準備、そして明日は「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録も行いますから、このふたつの準備に忙殺されています。
 それに加えて、もう予約が始まっているノンフィクションの新刊「ぼくらの選択」 ( 全3巻の一挙発刊 / 雄志篇虎穴篇天命篇 ) について ( 1 ) 大部の書き下ろし執筆 ( 2 ) 6年間の膨大な写真のなかからこの書に載せる写真を選ぶこと ( 3 ) その写真のキャプション執筆が続いています。
 そしてもちろん不断の公務、また、ウクライナ戦争や中国の野心に対峙するための不断の情報収集と議論を国内外に対して水面下で展開することがあります。
 ・・・24時間が240時間でも、おそらく足りないでしょう。

▼誰だって、忙しいのです。
 誰だって、生活と仕事がたいへんなのです。
 ぼくがどうこうということはありません。

 ただ、キャンベラでほんものの青空をみていたぼくが、この生活を知っていたなら、果たして議員になったかどうか。
 と、思うこともありますが、いや、それは違う。
 おのれの生活と人生を壊す決意をしてから、選挙への出馬を決めたのですから。

 そして、お気づきのひともいらっしゃると思います。今、再び、まさかの覚悟と決心をしている訳ですね。
 1期で辞めるつもりだった参議院議員、その2期目に打って出ることを決めたのですから。
 6年前の決心、6年後の決心、いずれも日本の国益のためであると言い切ることができます。

 どんな経緯、どんな理由があろうとも、一切合切、おのれが決めたことです。
 青空のようなみんなの人生、紺碧の空の日本、それをつくるために連帯したい。その願いと祈りが胸にこみあげています。





 
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