2022-06-02 13:36:44
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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(写真と若干の言葉を足しました) きょう6月2日は、父の命日です
( 京都の嵐山に立つ、当時の繊維会社の役員です。左からふたりめが、代表取締役社長だった、父です。そして右端は、社長車の運転手さんです。役員の記念写真に、運転手さんに入ってもらうのが、父らしいと思いますから、好きな写真です。ぼくはこの頃、小学生だと思います )
▼父は、繊維会社の現職社長のまま、医療過誤で、窒息死を遂げました。
父と母はそれぞれ、ぼくが国会議員となる前に亡くなりました。
母が政治家嫌いだったのとは対照的に、父は、建設大臣の後援会長を務めたり、政治に関心が強かったです。
国会議員となっても政治献金を受け取らず、パーティ券も売らず、団体支持お断りという生き方を、もしも亡き両親が知ったならば、母は、政治家に対するイメージがすこしは変わったなぁとか言ってすこし喜び、父はいつものようになにも言わず、たぶん心配しただろうと思います。
『おまえ、そんな変わったことをやって、大丈夫なのか』、と口には出さずに、ぼくの顔をちらりと見たでしょうね。
▼父を突然、喪ったのは、いまも痛恨の極み、諦めきれない気持ちが残っています。
ぼくは共同通信で、大阪支社の経済部記者から東京本社の政治記者になったばかり。
夜回り先で、小雨のなか、父のまさかの急死を知ったときの悲痛は、いまも消えることがありません。