2022-06-21 14:56:19
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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あす6月22日の参院選公示日、その第一声はどこなのかというお尋ねを、怒濤のように ( ちょい大袈裟 ) いただいていますが・・・
( この写真は、6年前の参院選公示 ~ 西暦2016年6月22日 ~ の直前、6月半ば過ぎにまさか自分が出馬するとは思わず独立総合研究所の社長として出張に出ていたときです。
この年の1月4日から5か月間、当時の世耕弘成官房副長官と安倍晋三総理から出馬を求められていましたが、お受けする考えはありませんでした )
( それからわずかな日が過ぎて、2016年・平成28年の7月3日、まさかの選挙戦のただ中で慌ただしく、しかし美味しくうどんを頂いているところです。
撮ってくれたのは、一緒に遊説車に乗っていて当時はまだ独身で清水姓だった、現在の三浦麻未公設第一秘書です。
初日の選挙カーの事故で、首が烈しく痛み、目の前がずっと赤くなっているような状態で、首にはせめての保温サポーターをしています。保温って言ったって、参院選はいつも酷暑のなかですね。首だけはすこしでも冷えると、もっと凄絶に痛んだのであります・・・)
( その3日後、7月6日、つまりは投開票日までわずか4日になって、東京の「止め天神」にお参りをしました。いきなりのサプライズ出馬で、どこにもお参りに行く時間がなかったのです。
首は、コルセットは外していますが、サポーターはしています。
コルセットは遊説の合間に、短時間どうにか病院に行ってつくることができました。選挙カーのドライバーの立場を考え、健康保険は使いませんでした。かなり高価でしたが、効き目は無くはなかった。ただ、ほんとに暑かったぁ。
写真を見ると、暑さと痛み、いろいろなものが甦ります。過ぎてみれば、ことも無し、と言いたいしそう思っているけど、実はいまも後遺症が強く残っています。だから今回の遊説も、首の痛みは同行することになります。
ぐはは )
( そして7月10日の投開票日、当時の安倍総理が最初に赤いバラ、当選のしるしを付けたのが、不肖ぼくでした。そのときぼくは大阪のホテルでようやく目覚めたばかりでした。
テレビでその画面を見て電話をくれた三浦秘書によると、風呂に入っていたとのことです。
写真はその2日後、東京の自宅に帰って、青山繁子が、ぼくの顔を久しぶりに見て、だっこもしてもらって、安心しているところです )
( 投開票日から10日経った7月20日に、当選の前、すなわち民間の専門家時代にすでに決まっていた予定として、海上自衛隊の艦船に乗りました。
潮風から首をせめても守っています。
まだ国会に初登院する前です。
初登院したらまずやることのひとつとして、当時の防衛省の事務次官に会って、「防衛費は現在の倍の十兆円にすべきだ」と言おうと決めていました。
そして実際に言うと、防衛官僚のトップに登り詰めていたこの長い盟友はの事務次官は「そんなことできる訳がないから、言わないでください。絶対に無理です。言ったら青山さんも立場がおかしくなりますよ」と断言されました。
ぼくはそのあと、辛抱強く交渉と働きかけを水面下で続けました。拒否反応を示したのは、この次官だけではない・・・どころじゃなくて、総理をはじめ誰ひとり、最初は理解してくれませんでした。
それが今や、実質的に参院選の自由民主党の公約に登場するまでになりました。6年は、ありのままに申して無駄ではなかった証左のひとつだろうと考えます )
▼・・・さて、「第一声はどこか」という問いにお答えします。
それは、公職選挙法の違反になるので、公示にならないとお話しできません。
秘書さんや複数の関係者によると、すでに多くのかた、ほとんどの現職議員、候補者が事実上、明らかにして、人集めをしたり、支持団体や関係の深い企業に動員 ( ! ) を頼んでいるそうです。
これは与野党を問わず、どの党も同じことです。
しかし、ぼくと、議員会館の青山繁晴事務所は、しません。
もう一度、言います。
国会議員が法の抜け道を探して、どうする !
▼明日6月22日に公示になると、たぶん午前10時半前後に、届け出ができると思います。
そのあとすぐに、このブログなどでお知らせします。