On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-07-23 22:06:49
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安倍さんは護る会に何を言い遺されたか  初めて全文を公開します


( 議論をじっと聴きつつ、考えておられる表情の安倍晋三・元内閣総理大臣。
 その後の参院選で、まさか、あのような日が来るとは、誰も夢にも思いません。
 すべて一寸先は闇と言うほかありません。
 しかし一方で、すべてに予兆はあります。安倍元総理の遺志を活かすにも、予兆を見逃さない謙虚な生き方が必須と考えています。
・・・写真は、自由民主党本部で開かれた「積極的な財政出動が優先か、それとも財務省の強調する財政規律が優先か」を議論する会合です。
 画面の左端には、安倍さんの長い経済ブレーンである本田悦朗・元スイス大使がいらっしゃいます。その隣には、考え方のずいぶん違う小林慶一郎・慶大教授がおられます。
 この会合は、意見の対照的な識者の意見を公平に聴くという特徴があります。
 会合があった夜には、ときどき安倍さんと電話で経済政策を話し合いました。安倍さんの見解は鋭く明快で、財務省の本音と体質を的確、かつ批判的に分析なさっていました。
 その意味でも、安倍さんを喪った損失は、限りなく大きいのです )

このエントリーで記した、みなさんへの約束を実行します。

 これまでの派閥とはまったく異なる新しい議員集団、「日本の尊厳と国益を護る会」 ( 護る会 ) は令和2年10月、国会内で創立1周年の記念総会を開催しました。
 護る会は、令和元年6月の創立です。記念総会の時点で創立から1年と4か月でした。武漢熱のために開催を延ばしていたのです。
 安倍晋三内閣総理大臣の2度目の辞任表明が、令和2年8月28日、そして内閣総辞職が9月16日です。
 わたしは護る会代表として安倍さんに何度か電話し、この記念総会で講演していただくことを要請しました。それが可能な体調であることは、安倍さん自身に確認していました。

 これを受けてくださった安倍さんは、とても大切な講演をなさいました。
 総理退陣後に初めて、政治活動を再開された場ともなりました。
 では、その内容を公開します。


【「日本の尊厳と国益を護る会」(護る会)創立1周年記念総会における安倍晋三・元内閣総理大臣の講演】
 ( 令和2年10月 )

「青山さんが代表を務めるこの護る会には、様々な提言を総理時代にも頂きました。その安倍政権の時に、私は運命的な使命を感じたのでございます。
 まず、村山談話と河野談話について、上書きすると決意いたしました。
 上書きとは、無きものにすることではありません。大方から理解されなければ、国際的にもこれら談話に終止符を打つことは出来ないと考えたわけであります。
 村山談話は、ある日突然、日本が世界に戦争を仕掛けてすみませんでしたという談話です。その時に世界はどうだったのかが全く無い。
 当時の世界は、西欧諸国の広大な植民地が広がっていました。日露戦争は植民地支配のもとにある多くのアジア・アフリカの人々を勇気づけたのです。
 村山談話には、侵略そして植民地支配ということが書かれていますが、私は、この主語を日本ではなくて国際社会に変えたのです」

「主語を日本から国際社会に変えるとは、どういうことか。
 事変、侵略、戦争、あらゆる武力による威嚇、または行使は国際紛争を解決する手段として使ってはならないということを、日本は述べるんですね。
 駄目ですよ、ということを述べる。
 そしてまた、植民地支配から永遠に決別しなければならないという、日本の意思を示す。
 世界と共に日本はこういう決意をした、先の大戦を振りかえってその反省のもとに我々もそういう決意をした、国際社会と共に決意をしたわけであります」

「まさにこれは、日本のみがやっていたということではなく、国際社会が反省すべきであるという観点とですね、日本はどういう世界を求めているのかという、いわば日本の指針と理想を述べさせていただいたところでございます。
 そのあと、まさに普遍的価値を共有する国々と、世界の平和と安全を守るために積極的な役割を果たす積極的平和主義について述べ、高らかに理想と進むべき指針を訴え、結んでいくという形にさせていただいたことでございました」

「それともう一点は、河野談話に終止符を打つということでございました。
 ( 護る会幹事長の ) 山田さんにも、当時は野党で質問をして頂き、その質問に答える形で我々は、河野談話がどういう経緯でもって形作られたのかということを政府としてもう一度検証させていただきました。
 まさにこれは、事実の探求ではなく外交的な努力だったということを明確にさせていただいたというところでございます。
 その後、安倍政権においては村山談話とか河野談話という言葉は一切使っておりません。河野太郎 ( さん )  ( ※  安倍内閣当時の外相 ) も使っていないわけであります」

「もう一点だけ、先ほどスパイ防止法について、青山さんからお話をいただきました。
 ただ、今は特定秘密保護法ができましたから、10年の懲役というものが事実上スパイ活動を行った人に対しては科すことはできるのでございます。
 ( 護る会が ) さらに、それを補うことが必要とお考えであればまた、ご検討いただきたいと思うのでございます」

「拉致問題について先般、( 横田 ) 滋さんのお別れの会がございました。
 1977年の11月15日に ( 横田 ) めぐみさんが拉致をされたのでありますが、1977年というのは大変象徴的な年でありました。
 1977年の9月19日にですね、久米裕 ( ゆたか ) さんが宇出津 ( うしつ ) で拉致をされます。
 この時、警察はですね、実は平壌の短波放送を傍受をしておりまして、そこで乱数表をのっとってですね、数字を7854とか言うのを聞いて、実は解読をしていたんです。
 それによって金世鎬 ( キムセホ ) を逮捕します。実行犯として金世鎬 ( キムセホ ) を実は逮捕したんです。乱数表を押収しています。様々なスパイ活動を行っていた証拠を押収するんですが、しかし当時の日本を支配していた雰囲気の中で検察は残念ながらこれを立件することを諦め、釈放してしまいます。
 金世鎬 ( キムセホ ) を釈放してしまう。
 今は、実は国際手配をもう一回安倍政権においてしているわけでありますが、当時は釈放してしまったんです。
 もしあの時に毅然とした態度を取っていれば・・・その約2か月後、その2か月後に横田めぐみさんは、11月15日に拉致をされた。
 9月19日に金世鎬 ( キムセホ ) を逮捕していながら、もしこれを堂々と日本の国家意思を示していたら彼らは拉致の作戦を考え直したかも知れない、こう思います。
 もうひとつ象徴的な出来事がありました。これはその年の9月28日にダッカにおいて日本の赤軍によって日航機がハイジャックされ、そしてハイジャック犯の要求に従って超法規的な措置をしました。
 当時、福田赳夫先生が『一人の命は地球よりも重い』という言葉を発して、それが批判されましたが、では他に道があったのか ?
 能力においても法律上も、日本はそれを武力制圧をして解決するという手段を持たないんですから。
『人命は地球より重い』と言うしか、私は、なかったんだと思います。
 しかしその後ですね、10月13日に、その後の1カ月後の10月13日にですね、ルフトハンザ機がハイジャックされます。これをドイツは武力制圧をしてハイジャッカー達を殺して救助に成功しました。
 明確な違いです。
 ある意味では戦後憲法を改正した国と憲法を改正しなかった国のですね、違いもあるんだろうと、こう思うわけであります。
 1977年は、まさに戦後の日本の姿が典型的にあらわれたのではないかと、こう思うわけでございます。
 今、申しあげましたように果たしてめぐみさんの拉致を防ぐことが出来たのではないか。これが私たちの反省ではないのか、こう思うわけでございまして。
 今後、護る会の皆さんには、そういう問題意識の元にどうか自民党の座標軸になっていただくことをお願いいたしましてご挨拶とさせていただきます。
 ありがとうございました」

【安倍元総理の講演、ここまで】

▼このあと、安倍元総理は、護る会の各議員の質問に、長時間にわたってすべて答えられた。
 護る会に託されたご遺志は、深く、重い。






 
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