2022-07-17 11:04:13
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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安倍さんが護る会に言葉を遺されていた
▼おとどし令和2年10月のこと、「日本の尊厳と国益を護る会」 ( 護る会 ) は国会内で創立1周年の記念総会を開きました。
護る会の出発は、令和元年の6月ですから、実際には1年と4か月が創立から過ぎていました。武漢熱のために開催を延期していたのです。
安倍晋三内閣総理大臣が二度目の辞任を表明なさったのが、令和2年8月28日、実際の辞任が9月16日です。
護る会が、記念総会の開催時期を模索しているとき、安倍さんの突然の辞任が起きたとも言えます。
不肖わたしは護る会代表として安倍さんに、この記念総会で短めの講演をなさることを提案しました。
新薬によって体調がすでに回復されていることを、安倍さんから電話でお聞きしていたからです。
最初、安倍さんは「まだ、どんな話も断っているから」と慎重でした。しかしやがて、実弟の岸信夫防衛大臣と共に参加されるとお答えになりました。
総理退陣から初めて、政治活動を再開する場となったとも言えます。
▼そして当日、元気に背筋を伸ばして参加された安倍元総理は、極めて印象的な講演をなさいました。
その内容を原稿に記し、地方紙の雄にして良心派である「北國新聞」 ( ほっこくしんぶん / 本社金沢 )に令和2年10月30日に送稿しました。
連載コラム「北風抄」です。 ( このコラムはわたしだけではなく複数の執筆者がいます。また掲載は、送稿から少し後です )
そのタイトルは「安倍前総理、本願を語る」でした。
現職総理の重荷を降ろした安倍さんが、思いの丈を迸 ( ほとばし ) るように話されたからでした。
▼そのとき、コラムに収めきれなかった安倍さんの言葉が沢山、残りました。
そこから1年8か月、その言葉を保存しています。
わたしは職業的作家ですから、モバイルパソコンには、数多くの原稿と資料が詰まっています。
原稿は、それを発表する場所別のフォルダに保存します。安倍さんの「書き切れなかった言葉」は、「北國新聞連載コラム」というフォルダのなかに置いたままになっていました。
コラムの原稿を書く度に、その保存ページがちらり、眼に入るのです。
しかし、まつりごと ( 政 ) は生き物ですから、この過去の言葉を原稿にする機会が果たしてあるかなぁ、と思っていました。
▼そしてきのう、このエントリーで記したように、北國新聞の最新のコラムを書きました。
参院選のあと初めてのコラム、さて、何を書くか。
テーマは、山のようにありますね。みなさんも、さまざまにお考えになれるでしょう。
自由に頭を遊ばせて、テーマを思考するなかで、安倍さんのいまだ記さざる言葉を久しぶりに見てみました。
即座に、これだと、考えが決まりました。
▼原稿はきのうに送り、二度のゲラ直しを経て、もう確定しています。
あす月曜の北國新聞朝刊に載るわけですが、自分の書いた原稿であっても、北國新聞の著作権のためにこのブログに載せることは出来ません。 ( 郵送でも読みたいという方は、ここなどを通じて、北國新聞にお尋ねになることはできると思います。新聞社から何も頼まれてはいません )
▼そこで考えました。
みなさんにはやはり、安倍さんが何を仰ったかを知っていて欲しいですね。
今となれば、安倍さんの、護る会に対する、遺言となってしまいましたから。
いずれ、安倍さんの発言のポイントを、このブログに載せます。
このブログの読者にも、北國新聞の配達地域のかたがたがいらっしゃいます。北國新聞の購読者もきっと、いらっしゃるでしょう。
だから北國新聞にコラムが掲載される前には、安倍さんの発言を紹介することはしません。
あす7月18日月曜の北國新聞朝刊に掲載されて、しばらくしてから、このブログに安倍発言のポイントを記しましょう。
愉しみに、すこし、お待ちください。
▼写真は、その令和2年10月の護る会記念総会です。
真ん中に、安倍さんがいらっしゃいます。
護る会は人数が多く、衆参両院の国会議員は多様な忙しさを抱えていますから、総会を開いても、全員が漏れなく集合することは難しいです。
この時も、全員では全くありませんでした。しかしそれでも、退陣後の安倍さんを初めて見る機会でもありましたから、かなり多くの会員議員が参加されました。
・・・みなさん、そして、このなかで、ご逝去 ( 暗殺 ) 、落選、引退によって国会にすでにおられない議員が実に10人に及ぶのです。
この時からまだ、1年と8か月ほどしか過ぎていません。
厳しいという意味では、どれほど厳しい世界かが分かると思います。
ところが護る会そのものは、このあとも、そして昨年10月末の総選挙で何人もの会員議員を落選で喪いつつ、増え続け、成長し続けています。
今回の参院選では、ひとりの特別会員、すなわち安倍晋三元内閣総理大臣を凶弾で喪い、ひとりの会員議員を落選で喪い、ひとりの非公開の会員議員を落選で喪い ( 非公開なのはご自身の希望です ) 、それからひとりの会員議員が引退なさいました。
その結果、選挙前の74人から今、70人です。写真の当時より、かなり多いです。
護る会の生命力、それも、これまでの議員集団には無いものだと、客観的に考えています。
安倍さんは上述の講演の最後に「護る会は、どうか自民党の座標軸になっていただきたい」と仰ってくださいました。
その「遺言」を胸に、これからも前へ、前へ、現場の真っ只中で進みます。