On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-09-28 03:26:07
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)

【写真説明を訂正しました】  日本の次の進路を切り拓いた安倍さん、その国葬を終えた夜から、夜明けに向かって


( 現・群馬県知事の山本一太さんが、自由民主党の参議院議員だったとき、党本部のカフェで収録するネット番組に参加を求められました。
 一太さんは当時の安倍晋三総理を強く支持されていて、写真のようなマリオの帽子を被った安倍さんの巨大人形が飾られていました。
 時は、西暦2016年、平成28年の9月7日。ぼくが思いがけず参院選に出て7月10日に初当選してから、まだ2か月にならない頃です。
 選挙に出るべきという要請を断り続けていて、この年の6月、参院選の公示までわずか数日という時機に、安倍さんから「青山さんが国会に来ると、外務省が変わるな。経産省も変わる。それから自民党議員も変わる」という思いがけない電話をもらってからも、まだ2か月半です )


( それから1か月後の、2016年10月6日の参議院予算委員会です。
 安倍総理が答弁なさっています。
 委員席の最前列の端っこに、ぼくが居て、集中して総理答弁を拝聴しています。

 この時から参議院議員の1期6年を通じて、同期議員のなかでひとりだけ予算委員を務めるとは思っていないし、まさか2期目の選挙に出るとも考えていません。
 質問なさっているのは、有村治子さんです。現在、護る会~日本の尊厳と国益を護る会~のメンバーです。
 当時はまだ、護る会は姿を現していません。ただ、ぼくと、いま護る会幹事長の山田宏議員のふたりには、護る会の構想が兆していました。
 ぼくの横の先輩議員、ただし若手のかた、それから1列うしろの同期議員3人のうち2人、さらに質問席の隣のベテラン議員、みなさん落選や引退で現在は国会にいらっしゃいません。答弁中の安倍総理の真後ろの閣僚も、落選して引退なさっています。
 選挙で集まる国会議員というものの、厳しい現実がそこにあります。

 ・・・そして、この時から5年9か月あとの2022年、令和4年7月8日に、安倍さんが元総理となって凶弾に斃れ、きのう9月27日に国葬が執り行われるとは、この場に居る閣僚、議員、行政官、国会職員、衛視、誰ひとり予想していないでしょう )




 国葬から半日ほどが経ち、ほんとうの悲しみが襲ってきました。
 夜が明けると、きょうも公務です。
 その準備、情報交換、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の執筆と仕事をしているうち、名状しがたい喪失感、悲痛が、通奏低音のようにわが胸を襲います。

 みなさん、ありとあらゆる事どもを、前へじりじりと進む原動力に変えるほかありませぬ。

▼国葬の翌日のきょう、9月28日水曜も国のまつりごとは続きます。
 まず、朝9時から自由民主党本部で「経済安全保障推進本部」の役員会が開かれます。
 わたしはこの本部の幹事長代理です。
 議論のテーマは「わが国が目指すべき経済安全保障の全体像 ( 提言案 ) 」です。

 そのあと議員会館の青山繁晴事務所へ戻り、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録をおこないます。
 学生インターンの18歳、増野優斗くんが、いつもの通り打ち合わせ皆無という恐るべきやり方に耐えて、MCを務めてくれます。

▼それが終わると、時間がないのでおそらく昼食は抜きで休みなく、佐渡金山の世界遺産登録について文化庁、外務省、内閣官房の3者と議論します。
 それが終わると、自前資源開発について資源エネルギー庁と議論です。
 さらに続いて、離婚後の子供の親権について法務省と議論します。

 そのあと議員会館を出て、再び、自由民主党本部へ向かいます。
 党本部で開かれる、「国防部会と安全保障調査会の合同会議」に参加し、防衛省・自衛隊の給与法一部改正と、9月25日に北朝鮮がまたしても撃った弾道ミサイルについて議論します。

 終わると急いで、議員会館へ再び戻り、安倍元総理暗殺事件をめぐる奈良県立医大の記者会見と、司法解剖の矛盾点について警察庁と議論します。

▼これら息つくいとまのない公務、その始まりのひとつは、上掲の写真説明にある、安倍総理 ( 当時 ) からの「外務省、経産省、自民党議員が変わるな」という異例の電話にあると言えます。
 ただし、その電話だけで決意したのではありません。
 電話によって、生まれて初めて、目の前に迫る現実として選挙に出るかどうか悩んだということです。

 そして実は、安倍さんに断りの電話を入れようとしました。
 おのれの人生が粉々に壊れるのが眼に見えていたからです。政治記者の経験から、それが分かっていました。

 断ろうとしていることを知った青山千春博士が、海洋調査船に乗り込む晴海埠頭から、「後悔しますよ」と簡潔に言ってきました。
 当時は独立総合研究所の社長秘書、清水麻未、現在は産休中の三浦麻未公設第一秘書が「社長、国益のためです」とこれも簡潔に言いました。 ( ぼくは独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員でした )

 最後は、『俺は、きっとこの決心のために、苦しみ抜くだろう』と覚悟したうえで、当時の世耕弘成官房副長官と、安倍総理に「お受けします」とお返事をいたしました。
 
 わずか6年と2か月強のあいだに、ここまで変わり、その果てに、暗殺と国葬が待っているとは、世界と、それぞれの人生は何と凄絶なものでしょうか。

 セ・ラ・ヴィ。
 ぼくはフランス語を知りません。
 それでも、フランスの世紀の名歌手エディット・ピアフの分厚い伝記をかつて読んだとき、こころに残った言葉が浮かびます。
「それが人生さ」。

 安倍晋三・元内閣総理大臣閣下の死を、無駄にすることは、ありませぬ。
 これからも、一緒に考えましょう。
 どこまでも、みなさんと共に。
 国会議員としてのぼくにあるのは、それだけです。
 国葬でたまたま一緒に並んだ議員が、ぼくが団体支持をすべてお断りし後援会を作らず献金を受けずパーティもやらないことを知って驚かれていました。

 そうです、ぼくが一緒に歩むのは、なにも利害の関係がない、あなたさまだけです。
 安倍さんの「自民党議員も変わるな」という言葉は、それを予め知っておられたからではないかと、いま夜明けを控えてあらためて思います。





 
  • 前の記事へ
  • 記事の一覧へ
  • 次の記事へ
  • ページのトップへ

 

コメントは原則非公開です。それをご理解のうえ、投稿してください

名前
タイトル
メールアドレス
コメント
認証入力
画像認証 CAPTCHA Image 画像変更

※入力欄はすべて必須です。
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。

もう一度、コメントがすべて「原則非公開」であることを確認され、投稿ボタンを押してください。

  • ページのトップへ