On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-05-02 18:10:36
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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★激しくうつらうつらして寝ながら書いたので間違いがありました。修正します 【その1】 官僚による国会議員すなわち主権者の代理人への底知れぬ侮蔑  そして官僚と国会議員が談合してつるむ自堕落  これが日本の亡国だ



▼日本から真珠湾へは、昏い太平洋を越えていきます。
 くらい海を越える、そうです夜明け前の黒い波が、次第に朝の新鮮な光を受けて輝き始めるころ、わずか82年まえには、わたしたちの先人が空母艦載機を操縦して、真珠湾に殺到したのでした。

 そのアメリカ合州国ハワイ州真珠湾には、当時も今も、米軍にとって世界でもっとも重要な司令部があります。
 それは、米軍のうち太平洋軍の統合司令部です。
 統合司令部というのは、陸軍、海軍、空軍、海兵隊、宇宙軍、さらに太平洋特殊作戦軍、在日米軍などすべてを統合する巨大司令部ということです。
 そして、広大な太平洋、アジア全域、オセアニアを「担当」地域としています。

 アメリカは、勝手に他の主権国家とその地域を「担当」しているわけですね。
 太平洋軍の「担当」には、わたしたちの日本も含まれ、中国、北朝鮮という世界の厄災である独裁国家も含まれ、ロシアも監視しています。
( 太平洋軍は現在、正式にはインド太平洋軍という名称です。インド軍とは関係ありません。アメリカ軍です。中国を包囲するために、太平洋からインド洋まですべて海軍力を展開するという意思表示です )

▼その司令部は、高度な軍事機密の塊ですから、当然、壁は高く厚いです。
 およそ23年ほど前に、民間の専門家としてその壁の中に入る初交渉を始めたときは、交渉が実って入れるという気が全くしませんでした。
 米軍はインテリジェンスを使ってわたしのことを徹底歴に調べ、「通訳なしで、また自由な立場で、直接に議論ができる珍しい日本の専門家」 ( 当時の米海軍中将 ) として認めてくれて、壁の向こうへ入れました。
 いったん入ったら、米軍は嘘のようにオープンに、中身のある、公平な議論に応じてくれます。

▼とても辛いことですが、かつての誇りある帝国陸海軍が惨たる敗戦を喫した、深い理由が、そこから分かってきたのでした。
 米軍は、緒戦の真珠湾では太平洋艦隊 (・・・写真はまさしくその太平洋艦隊司令部です。左から、防衛省のホノルル領事館に出向していたキャリア行政官、わたしの知友のヴォーン弾道ミサイル部長、わたし、海上自衛隊の連絡将校 ) に大打撃を受けながら、その敗戦からむしろ謙虚に学びました。
 それは、航空戦力が大切であることです。
 そして、わずか半年後のミッドウェー海戦で、増強した航空戦力を駆使し、日本の連合艦隊を実質的に壊滅近くまで追い込みました。

 もっとも重大なことは、日本海軍は、南洋の島々に展開する日本陸軍に武器弾薬、兵士、医薬品、食料、水を供給する能力を奪われたたのでした。

 それにもかかわらず、日本海軍は、陸軍に敗北を教えず、あろうことか明治憲法下で唯一の主権者でいらっしゃった昭和天皇に上奏することすら、しなかったのでした。

 あえて申します。
 日米戦争の開戦からわずか半年後、西暦1942年の夏までにすでに敗北はほぼ定まっていたのです。
 帝国海軍の保身のために、それが陸軍にも陛下にも国民にも知らされず、わたしたちの先人はそれから3年以上も後の1945年の夏まで戦い続けたのでした。
 ミッドウェー海戦でロジスティクスを喪ったことを、ありのままに少なくとも海軍、陸軍、主権者の陛下で共有し、遠慮も保身もない議論を、まさしく国民と国家のためにおこなって、たとえば対米講和を決めていたらどうなったか。

 1942年夏にもしも対米講和を申し入れても、アメリカは受容しなかったかもしれない。
 しかし、講和を蹴られて敗戦であっても、戦争はそこで終わり、日本を再建する貴重な人材を多く死なせた硫黄島の戦いも、少年少女からお年寄りまで耐えがたい苦痛をもたらした沖縄戦も、アメリカの戦争犯罪によって妊婦も赤ちゃんもどろどろに溶かされて殺された広島と長崎への原爆投下も、みな無かったのです。

▼わたしは国会議員になってから、東大の非常勤講師に招かれました。
 敗戦から80年近く続く日本社会の現実からすると、左派の国会議員ならあり得るかもしれません。
 自由民主党の現職議員を、正式な非常勤講師にする東大の懐の深さには感嘆します。
 しかし東大をはじめ日本の大学では、上記のように「なぜ負けたか」という講義も研究もほとんど無いことを、あらためて実感しました。
 戦争が侵略だったかどうかの不毛の議論や研究は国費を投じて延々と繰り返し、一方で「なぜ負けたか」、「二度と負けないためには何をどうすればいいか」の議論も研究もはほぼ皆無なのです。

 これは異常です。
 敗戦後の同じ教育を受けたわたしたちには、異常と感じなくとも、国際社会に出てみると、まさしく異様な光景です。

 わたしは東大で、だからこそ懸命に教え、非常勤講師が終わった今も、東大の自主ゼミを無償で開講し、ことしも前期の講義を新しい学生たちに開始したばかりです。
 そのなかから、改革派の行政官・官僚になる卒業生も、何人も現れています。
 しかし彼らにも、国会にいるわたしにも、想像を絶する苦闘が続きます。

 新たな異変が起きたのは、4月25日の火曜のことでした。

 ・・・長すぎるエントリーになるのと、アメリカ合州国ハワイ州真珠湾の米軍統合司令部と、アメリカ太平洋艦隊司令部と台湾有事をめぐって議論するための準備、それからノンフィクション新刊の原稿の執筆、このために、エントリーを分けます。
 4月25日火曜に何が起きたのか、そこから【その2】として、明日以降にアップします。





 
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