On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-07-13 03:35:10
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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安倍晋三さんをめぐる真実 そのひとつ



▼この写真を見たことがあるという人は、かなりいらっしゃると思います。
 安倍さんの国葬で映し出された写真の1枚でもありますし、かつて総理官邸のフェイスブックにアップされた写真でもありますから。
 ただし、わたしは最近に、この下の写真も含めて関係者からいただき、その諒解のもとでこの個人ブログに掲載しています。

▼これは西暦2013年4月、再登板からまだ半年も経たないうちに、安倍晋三内閣総理大臣 ( 当時 ) が硫黄島を訪問されたときの姿です。
 硫黄島で予定された日程を終え、次の訪問先の父島へ向かうために、写真の海上自衛隊機 ( 飛行艇 ) に搭乗される直前に、滑走路にひざまずかれたのです。

 これを「土下座」と解釈されるかたもいらっしゃいます。
「硫黄島の英霊への敬意を込めて土下座までなさった」と善意に解釈されるかたもいらっしゃるし、「やはり右翼的だから土下座した」と、いつものような解釈をするメディアもあります。
 これらの自由な解釈に、どうこう申しあげることは致しませぬ。

 ただ、わたしは、これを土下座とは考えていません。
 安倍総理は、ひざまづかれて、滑走路の下に閉じ込められたままであろう英霊に、ある誓いをなさったのです。
 なぜ、そう考えるか。
 誓いとは、何か。
 それは次の写真のあとに申します。



▼西暦2007年5月28日、第一次安倍政権の発足からおよそ8か月のとき、現職閣僚の松岡利勝農水大臣が、自決なさいました。
 そして、安倍さんの朋友でもあった松岡さんの遺骸を載せた霊柩車を、安倍総理は、総理官邸の正門で見送られました。
 この日、たまたまわたしと安倍総理は、総理官邸で昼食をとる約束がありました。
 安倍さんから招かれたのです。わたしが民間の専門家、シンクタンクの独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員の時代です。

 招かれて昼食の日時が決まったあとに、松岡さんの自決事件があり、わたしは昼食がキャンセルになると思い、総理官邸に確認の電話をしました。
 ところが官邸の返事は、「 ( 安倍 ) 総理は、青山さんとの予定はそのままやると仰っています」という意外なものでした。

 総理官邸を訪ね、案内された部屋は広く、真ん中のテーブルに2人分の昼食、安倍総理とわたしの食事がもう置いてありました。
 ご飯に味噌汁、干魚に漬物、まるで朝ご飯のように質素なランチでした。
 わたしのほかに誰も居ません。
 窓辺に寄ると、ちょうど、安倍総理が官房長官らと共に松岡さんの霊柩車を見送るところが下方に見えました。

 そのあと安倍総理は、SP ( 警護官 ) らと部屋に入ってこられ、指示をなさって人払いをされ、広い部屋に安倍総理と二人きりになりました。
 わたしは、民間人が入ることは原則禁止、自由な行動は厳禁されていた硫黄島に、防衛省の防衛政策局長 ( 当時 ) との長い交渉の末に許可を得て入り、自由行動も認められて、日本の守備隊が玉砕するまで36日間持ち堪えた地下壕にも入ったことを話し続けました。

「総理、あの36日間があって、米軍の本土爆撃が遅れたから、わたしたちが生まれたのです。それなのに、1万人以上の同胞、英霊を島に取り残したままで故郷にお帰りいただいていません。
 日本兵は悪者だったという教育を、総理もわたしも、敗戦後に生まれたすべての日本人が受けて育ったから、放ったらかしで平気なのです。
 一方で、わずかな生き残りの元兵士のかたがたと、学生をはじめ篤志のある国民と、厚労省、防衛省・自衛隊が連携して、島の隅々からご遺骨の収集を進めてこられました。
 ところが、米軍が造った滑走路の下だけは、どうにもできないできました。多くの英霊が滑走路の下敷きのままになっている恐れがあります」

 安倍総理は、質素な昼食を、総理として体調を維持する務めとしてでしょう、どんどん食べながら、次第に怪訝な顔になられ、こう仰いました。
「青山さん、あなたにだけはこうして今日、予定通り来てもらった訳は分かっているよね。松岡が自殺して、 ( 政権の維持が ) どんなに苦しくなっても、外交、安全保障の話だけは専門家から聴いて、きちんとやっていくためだよ。
 アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮、韓国、これらとどうやっていくかという話をしてよ。なんで、硫黄島の話ばっかりなんだ」

 わたしはこう応えました。
「総理、わたしは硫黄島の滑走路にひざまづいたのです。わたしもまた、滑走路に飛行機でどーんと降りて、そして飛行機を降りたらこの足で、英霊を踏みつけにしています。そのことにお詫びを申しあげるためです。そして誓いました。英霊のみなさま、必ず滑走路を引き剥がして、みなさまにふるさとへ帰っていただきます。そう胸の中で申しあげました。
 総理、おそらくこの政権はもはや長続きしません。自由民主党内の抵抗が強すぎます。
 しかし安倍総理はきっといつか再登板なさいます。そのときは、どうか、硫黄島に行ってください。伏して、お願いします」

 寛容な安倍総理は、この非礼な言葉も含めて、わたしの申すことをすべて聴いてくださいました。
 しかし最後には『話題が違ったままだろ』という怒りを露わにされたまま、昼食を終えて、部屋を出て行かれました。
 その背中も、よく覚えています。
 いつもは飄々としている背中に、呆れたような表情が滲んでいました。
 このおよそ4か月後に、安倍総理は突然の辞任をされました。

▼そして西暦2012年12月に、再登板を果たされました。
 今度は順調にいくと思っていたら、翌年の春になって、ほんとうは体調が悪化されました。
 わたしは、秘密裏に総理官邸の執務室に入りました。潰瘍性大腸炎の悪化よりも、再登板後ずっといわば飛ばしてきたための疲労に見えました。
「総理、官邸が1日フルの休みを用意してくれていますね。お休みください」と申しあげると、安倍総理は顔を上げ、「いや、その日を使って硫黄島に行くよ」と仰いました。

 わたしは驚いて、「総理、この時期 ( 4月 ) の硫黄島はもう、すごく暑いです。休んでください」と申しあげました。
 すると「青山さん、あんたが、硫黄島に行けと言ったんだよ」と仰いました。

▼そして、硫黄島訪問を実行され、その去り際、すなわち同行の記者団がみな、次の訪問地の父島へ向かってしまったあとに、河野克俊海幕長 ( 当時。のちに統幕長 ) や秘書官らの目の前で突然、滑走路にひざまづかれたのです。
 それが2枚目の写真です。安倍総理の動作としては、これが先です。

 わたしはその場に居ませんでしたが、あとから「総理は、踏みつけにして申し訳ございませんと仰いましたよ」と関係者から聴いて、びっくりしました。
『最後は怒って出て行かれたのに、わたしの言葉を、正確に覚えておられたんだ』と考えました。

 そのあと安倍総理はさらに、両手を滑走路につかれました。
 それが1枚目の写真です。

▼両手を滑走路につかれたときのことを、わたしはその後、安倍総理ご自身から聴きました。
「青山さんが言ってたように、この滑走路を引き剥がして、必ず、 ( 英霊を ) 故郷に取り戻しますよと誓ったんだよ」

 わたしは内心に湧きあがる感動を抑えつつ、「総理、わたしが調べた限りでは、まず代替の滑走路を硫黄島内に造ることから始まって総額400億円から500億円ほどかかります。これをまず解決せねばなりません」と申しました。
 すると「単年度で終わる事業じゃないからね。何年かにばらしたら、予算は調達可能だと思うよ」と、安倍さんらしい明るい笑顔で仰いました。

▼その後、硫黄島の滑走路はボーリング調査などを行い、ご遺骨の存在を確認する作業が続いています。
 簡単な作業ではありません。なかなか確認できません。
 また、硫黄島は、生きている熱い火山島です。その地下で、80年近くを経た人骨がどうなっているのか、無事に見つけられるのか、確言できる学者もいません。前例がないからです。
 そのために、「もし代用の滑走路まで造って引き剥がしたところに、あまり英霊をみつけられなかったとしたら、納税者のみなさまにどんな申し開きをするのか」という懸念を、わたしに話した政治家や当局者もいらっしゃいます。
 しかし、民間の硫黄島協会との連携のもと、安倍さんを暗殺で喪った今なお、わたしたちの志は衰えてはいません。

 硫黄島をめぐる安倍晋三内閣総理大臣の行動とお考えは、安倍さんの歴史観、国家観、人間観を語ってあまりあるものだと思います。
 それも土台にして、あらためて安倍さんの一周忌を終えた今、わたしたちはどうするのかを一緒に考えるために、ここで語りました。




  
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