2023-08-23 03:50:22
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【推敲しました】 祖国よ わたしたちに立つ秋 ( とき ) が来ます
ひとつ前のエントリーをご覧になった、たくさんのみなさんが気づいてくださったとおり、神宮 ( 一般的な呼び方では伊勢神宮、お伊勢さん ) の五十鈴川です。
その前日にお訪ねした斑鳩の中宮寺は、急に思い立ってのことでしたが、神宮への参拝は、議員会館の青山繁晴事務所とのあいだで神宮司廳 ( しちょう ) の総務課が慎重に調整してくださった正式参拝です。
中宮寺が8月20日の日曜、神宮が21日の月曜です。
国会が閉会中であり、かつ多様な日程に隙間が生まれた機会に、こうした長駆の連続参拝が実現したことを深く感謝しています。
不肖わたしは民間の専門家時代から毎年、神宮に正式参拝を致しています。
上記のとおり、日程の隙間を活かして調整するので、時期はさまざまです。
神宮参拝は、慣例通りに、まず外宮 ( げくう ) の参拝から始まりました。
若手の出仕 ( しゅっし。神官の職階のひとつ ) が同道してくださいました。
明るい人柄の、神宮のこれからを支える雰囲気の神官です。
中宮寺で予感したように、雲ひとつ無い日本晴れとなりました。神官は「この頃は天候不順でしたから良かったです」と喜んでくださいました。
ただし、みなさんがお察しの通り、凄まじい炎暑です。
しかし神宮において当然のこととして黒いスーツにネクタイです。
外宮にて、この日最初の御垣内参拝 ( みかきうちさんぱい ) を致しました。
その写真は、ありませぬ。写真撮影のできない区域です。
( ご存じのかたには蛇足になってしまいますが、念のため、記しておきます。
御垣内参拝とは、神宮の正式参拝です。特別参拝とも呼ばれます。白い絹の御帳~みとばり~の内にて参拝を致します。お札授与所で初穂料をお納めすれば、どなたでも可能だと思います。わたしは民間専門家の時代からこの参拝をおこなっています )
御垣内参拝のまえに記帳を致すと、わたしの前が、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の若手ホープにして元F1パイロット、山本左近代議士でした。
うれしかったです。敬虔な精神で議員の務めを果たされていることが伝わってきました。
外宮の参拝を終え、内宮 ( ないくう ) に移りました。
ここでは宮掌 ( くじょう。神官の職階。前述の出仕のひとつ上 ) が同道してくださいました。
その神官の勧めをいただき、五十鈴川で清めを致しました。
何もかもが焦げるような炎暑であることに変わりないのですが、五十鈴川の流れは、いつもと変わらずに清涼なのです。胸の裡 ( うち ) で驚嘆しました。
多くの同胞が、わたしと同じように清めておられました。
このあと、内宮にて、日本国の根幹で在らせられる天照坐皇大御神 ( あまてらしますすめおおみかみ。天照大御神 ) への御垣内参拝です。
そのまえに記帳を致すと、今度は岸田総理の次でした。
1ページにふたりの記帳ですから、現総理と同じページに隣り合わせたわけです。
御垣内参拝のあと、神官が撮ってくださいました。
「ここでの撮影は大丈夫です」と、この優しい、知識豊富な宮掌が仰いました。地元の伊勢出身だそうです。
御垣内参拝を済ませたあと、神官の勧めに従って、まず、行動のための祈りを捧げる荒祭宮 ( あらまつりのみや ) 、そして良い風の吹くことをお祈りする風日祈宮 ( かざひのみのみや ) に参拝を致しました。
それぞれ、ひとりの自由民主党参議院議員として、たいせつな意義のあることだったと感謝しています。
写真はいずれも、参拝が終わってから、神官が撮ってくださいました。
参拝するうち、スーツとシャツの全身が水を浴びたように、汗で重くなりました。
多くの参拝者がそうであったと思います。日本人の敬虔な精神に、あらためて深い敬意を捧げます。
神官に丁寧に感謝を申して、こゝろを残しつつ神宮をあとにしました。
しかしふと、あとひとつのお宮だけ、ひとりにて参拝しようと考えました。
そして偶然に至ったのが、この倭姫宮 ( やまとひめのみや ) でした。
そうです、神宮を創建なさった、倭姫命 ( やまとひめのみこと ) です。日本書紀では「倭姫命」、古事記では「倭比売命」ですね。
垂仁天皇の第四皇女でいらっしゃいます。
もう夕刻も迫り、参拝者はどなたもいらっしゃいませんでした。
ここは、外宮と内宮のちょうど真ん中に位置するとも言います。
まことに不遜ながら、お気持ちが今も伝わるように感じました。
▼こうして、斑鳩の中宮寺、伊勢の神宮の、大袈裟に申せば異例の連続参拝を終えました。
中宮寺の前日8月19日土曜は、京都劇場にて第141回独立講演会だったのです。
移動距離が長いわけですが、落ち着いて原稿が書けますから、むしろ東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の新しい分の執筆が進みました。
有志のみなさんから熱意をいただいての参拝に、新しい意義を感じたのです。
京都劇場では、わたしが気づかないうちに、ふだん見ないことが起きたのでしょうかと、このエントリーで参加者のみなさんにお尋ねしました。
すると、非常に多くのひとから、同じ現象の報告をいただきました。
どういう話のタイミングで起きたかも、沢山のひとから教えていただきました。
有志のみなさん、9月には東京でお目にかかりたく思います。
会場は、この7月と同じく、東京ビッグサイトです。
ここに情報があります。あと2日半だけの申し込みとなりました。
▼無条件の公開情報の発信にも、命を削ってでも、努めています。
最新分のショート動画を昨夜もアップしています。ここに並んでいます。
▼神宮で同道してくださったお二人の神官は共に、伊勢の皇學館大学の出身です。
わたしは中高をミッション・スクール ( キリスト教の淳心学院。亡き母がクリスチャンでした。わたし自身はクリスチャンではありません ) で学びましたが、古文の先生が皇學館大学の出身でした。年配の、非常に学識の深い先生でした。このときは皇學館大学というものを知らず、その名称にも驚いたことをよく覚えています。
神官の養成を担う大学の数少ないひとつである皇學館大学は、ほんらいは国立大学 ( 旧制の官立大学 ) でした。それをGHQによっていったん廃学にされた歴史を持っています。
わたしは、神宮および靖國神社を国が護持するとともに、皇學館大学を国立大学にすべきだと考えています。
GHQの頸木 ( くびき ) は今なお、日本を束縛しています。
ほんとうは、みずから頸木を外さずに居ます。
祖国を甦らせる道は、急坂です。急な坂がこれからも、いや、これからこそ長く続きます。
御垣内参拝では、自然石が一面に敷かれた道なき道を歩いて、神前に進みます。
いくたび参拝を重ねても、歩き易くはありませぬ。内心では苦手に思ってきました。
このたびの参拝では、あぁ、この試練を知れと仰っているのかと、思い至りました。
より謙虚に、より大胆に、急坂を登っていく覚悟をこの未明に新たにしています。
みなさんに、心と体の健康と、よき夜明けがありますように。