2023-08-23 19:19:28
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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静かな池のほとり
( こんな池のほとり ? いえ、違います。これは民間の専門家時代に海外出張で撮った、大きな池です。湖と言った方がいいでしょうね。
もっと小ぶりな日本の池で、緑が水面に垂れていました。・・・しかし、海や河ではなく、湖や池のほとりに立つと、下に述べる恥ずかしさが甦ることがあります)
慶應義塾高校 ( 塾高 ) のみなさん、こゝろから、おめでとうございます。
仙台育英学園高校のみなさん、悔しいと思いますが、暑さにも打ち克っての準優勝、素晴らしいです。
塾高が夏の甲子園で107年ぶりに優勝する最後のところを、原稿執筆中にたまたまテレビで視ました。
おかげで、久しぶりに塾歌を聴けて、それもたいへんに嬉しく、懐かしかったです。
ご存じのかたもいらっしゃるでしょうが、ぼくは慶應義塾大学文学部をみずからの意思で中退し、早稲田大学政治経済学部の経済学科を受験し直して入り、卒業しました。
慶應は心優しくて、中退者のぼくでも、三田会 ( みたかい ) というOB会の一員としてみてくれています。共同通信社の記者から転じて三菱総研の研究員になったとき、三菱の三田会からの連絡が来てびっくりしました。
早稲田のOB会は稲門会 ( とうもんかい ) といいます。
両方にご恩があるというわけです。
ひとりで早慶戦をやった変な奴、とも言えます。
慶應を辞めたあと、静かな池の畔を、ある女性と歩いていて、いろんな歌をすこし歌ったりしていました。
そのとき、塾歌も、思わず口ずさみました。
慶應は、応援歌の「若き血」が有名です。ちなみにぼくは早稲田でもあるので、早慶戦で作られたヒドい替え歌も歌えます。わはは。
慶應に居た時代から、世に知られた「若き血」も大好きでしたが、あまり知られていない「塾歌」はもっと好きでした。 ( 慶應義塾全体の歌ですから、大学も高校も共通です )
世の中をよくするためには経済学を学ぼうと思ったのが、早稲田大学政経学部経済学科に行った動機でしたから、慶應が嫌で辞めたのではなく、いくらかの懐かしみも込めて歌ったのです。
ところが、その女性は、いい歌ねともなんとも言いませんでした。
その時、ぼくは自分を恥じたのです。
女性は家庭の事情で、大学に行けなかったのです。慶應も早稲田もありませんね。もしも大学に行けていたら、こんな勉強をしたかったと話してくれたこともありました。
それなのに、黙ってよく聴いてくれたと思います。
もちろん、とてもとても若い、恥多き時代です。
そのときの池の水面の気配までよく覚えています。
今でも、申し訳なくて、顔が赤らむ思いです。
だから・・・今回の塾高の栄光を「恵まれた立場の高校生が勝っても喜べない」という声もネットにあることを、理解できます。
そのうえで、慶応義塾高校のみなさん、仙台育英学園高校のみなさん、あらためて、晴れ晴れとおめでとうございます。
それぞれ、どんなにか長く苦しい鍛錬があったでしょうか。
ちなみに、卒業したのはあくまで早稲田ですから、世界でいちばん好きな応援歌は「紺碧の空」、宇宙でいちばん好きな校歌は「都の西北」であります。