On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2024-05-07 03:53:39
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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ことしのゴールデンウィークも、休みは1日もなく終わりましたが、国と主権者にわずかながらでも寄与いたすように努めました



▼きのう、米国ハワイ州の真珠湾にあるアメリカ国立の戦争記念施設を訪ね、主権者の有志のみなさんに、真珠湾攻撃の現場では米国がむしろ日本に最大限の敬意を払っている、その知られざる事実を、あらためて解説しました。
 写真は、その始まりです。
 米国政府の所長と、うれしい再会の握手をします。

 この海沿いの戦争記念施設から、道1本挟んだ山には、アメリカ軍の現在の司令部群がずらりと並んでいます。
 そこでは、退役直前のアキリーノ海軍大将 ( 米軍インド太平洋軍司令官 ) や、新たにアメリカ海軍太平洋艦隊司令官に着任したばかりのケーラー海軍大将らとそれぞれ、この連休を活かして、胸の奥を開く議論を重ねました。
 この所長さんは、これら軍人とは立場が違いますが、日本と日本人をたいせつになさる点ではまったく同じです。



▼参加された主権者に、写真公開の許可を取ってあります。
 晴天のもと、みなさんの目が輝いています。
 所長さんは周りに気を遣われたのか、腰をかがめていますが、実際には大きな人です。



▼中国が、この真珠湾における展示をすべて、寄付金の大攻勢で変えようとしています。
 米国が、わたしたちが刷り込まれてきた思い込みとは真逆に ( できればこの書を参照なさってください。祈るようにそれを願います ) 、日本の帝国海軍にも深い敬意を払い続けてきたことを、無かったことにしたいのでしょう。

 そのためであるという確証は得られませんが、変化は、やはりありました。

 ただ、ワイキキの陸軍記念館と比べると、その変化はまだ小さいです。
 ワシントンDCのペンタゴン ( 国防総省 ) の知友はかつて、ペンタゴンの幹部用食堂でわたしに「真珠湾のわれわれの国立施設について、あなたがさまざまに話してくれることは、重要な参考になっているよ」と話しました。
 どの程度、役に立っているかは分かりません。
 しかし努力を、日本ではカケラも評価されずとも、続けるほかありません。
 わたしたちの先人は、ひとつしか無い命を捧げられたのですから。
 わたしのちいさな努力など、それとは比べものになりませぬ。

▼真珠湾の現状と、今回の主権者への説明ぶりは、このブログでも、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」 ( ここ / 数十秒で完結するショート動画はここ ) でも、もう一度、しっかりお話しします。
 主権者の大半は、この現場に行けない、行っておられないのですから、それもわたしの義務のひとつだと考えています。

 ただ、帰国したこの深夜から未明は、もうここまでが精一杯です。
 身体の疲れは、いくらかはありますが、大したことはありませぬ。
 それより、帰国して、このブログを開いて、なかの一部のコメントにほんとうに心が冷えました。
 他のかたがたの独自の主張をすべて是とし、わたしの発信も行動もすべて非とし、それが正義だとほんとうに考えておられることが、罵声と呼ぶほかないコメントから、ありありと伝わります。
 海外に居るより、魂を支える祖国に戻ると、どっと心身の疲労が噴き出てきます。
 きょう5月7日はすぐ、国会審議です。
 このままその準備をして、朝から国会議事堂に向かいます。
 この未明のブログ執筆はここまでにします。



▼それでも、遠く真珠湾にまで駆けつけてくださる主権者もいらっしゃいます。
 少数派であっても、いらっしゃいます。
 確かに、いらっしゃいます。
 わたしが総裁選にいかに挑むか、その土台になるこの書を手にされているかたが複数、いらしたのも、うれしかったです。

 現場には手触りがあります。
 こうして実物の戦闘機と同じ地を歩き、わたしなりの解説を聴きつつ、そのかけがえのない手触りを有志の主権者は実感していただけたのではないかと思います。

▼帰りの飛行機のなかで、暗殺された安倍さんとの交流を、これまで秘めてきたところまでを含めて記す本の原稿を進めました。
 暗殺からまもなく2年、400字詰め原稿用紙ですでに200枚を大きく超える原稿を書きながら、どうしても完成ができずにいた本が、安倍さんとの魂の会話とともに、ようやく再び、脱稿へ動き始めています。

 ポメラニアンの青山繁子を元にした新しい小説・フィクションと同時進行です。
 しかしまずは、このノンフィクションの完成です。

 この生活の中で執筆時間をどうやって確保するのか。
 確保はできないのです。朝、昼、夜は公務が絶対で、まったく隙はありませぬ。
 真夜中から未明にかけても、時差のある諸国の知友との公務があります。それは公務の中でも、今回の海外出張と同じく、まったく自主的な公務ですが、祖国と主権者への貢献のためにはどうしても欠かせません。
 ではいつ書くのか。
 たとえば、真夜中と未明の仕事の合間に短く食事を取ることがあります。わたしの食事の現実は、まったく不規則ですから。
 そのとき、横に置いた原稿をちらちら眺め、正直、胃やその他に良くないのでしょうが、手を伸ばしてすこし原稿を打ちます。
 こうした数分が、とても大切なのです。
 わたしがこれまで出した本はすべて、こうした数分の刻みで、出版を実現してきました。

 もしも気持ちの良い風に吹かれて、原稿に専念すれば、どれほど、初めての幸せを感じられるだろうかとは思います。
 しかし、それはできません。
 それでも、わたしに文学の話を聴きに来る人が、動画サイトの運営者のなかに、信じがたいことですが居たりします。ここにその、まことにレアな動画があります。
 また、不肖わたしの行動・活動をめぐって起きる、一般には明かすことのできない出来事や、それに対する本音を、ここへ聴きにおいでになり、一緒に考えてくださる人も居ます。

 わたしに救いはありません。救いは何も求めません。しかし、そうしたみなさんには、この曇り空の夜明けにも、深く感謝しています。





 
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