2024-05-29 03:52:21
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
日本の主人公の迫力 きびしい『絶対秘』の条件のなか、たがいを信頼しあって築いた連帯
▼ここしばらく、ブログに新しいエントリーをまったくアップできずに居ました。
エントリーは書くのです。しかし時間切れで完成できません。
長時間の国会質問とその準備をはじめ、とにかく公務が忙しくて、公務以外のことで辛うじてできているのは「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の動画の収録です。 ( 動画はここです/ 数十秒で完結するショート動画はここです )
この収録は、撮影スタッフとのアポイントメントを三浦麻未公設政策秘書が調整してくれて、撮影時間が決められています。人に迷惑を掛けるわけにいかないから、どうにかして、やります。
あと、実に24年と2か月のあいだ配信を続けていて、おのれでも『まさか、ここまで続くとはナァ』と思わないでもない会員制レポートの、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) も、この5月、契約上の配信数の倍の8本のレポートをすでに執筆/配信しています。
これも会員を心配させるわけにいかないので、短時間にぎゅっと集中して、書き、丁寧に仕上げます。
( 主見出しと小見出しは、無条件で公開しています。→ これをクリックしてください )
それから、冒頭の写真の「支部総会」であったり、独立講演会であったり、決まっている予定は、あまりに当然ながら絶対にドタキャンなどはありません。すべて遂行しています。
そして、国内外の情報を不断に収集すること、政策をめぐる水面下の交渉を弛( たゆ )まず、諦めず、続けること。
それらも何があっても変わりません。
そのなかでブログは、いつも未明に書き始めて、夜明けに時間切れとなり、「下書き保存」にして、早朝から国会に出て行きます。
ぼくは、主権者のみなさんへの発信は、極めて大切な責任のひとつだと考えています。
だから、ブログが滞るのは辛いです。
発信は、ほかにもあるわけです。「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」は、この動画を始めてから3年10か月で視聴が3億2千万回を超えています。ブログは無くてもいいのかも知れません。
しかし、ブログを楽しみしてくださる方も、動画より数はおそらくずっと少なくても、いらっしゃいます。
ブログへのコメントのなかには、司法機関が現在、捜査をしている、限度を超えた中傷の書き込みもあり、意欲をかなり削がれたのも事実です。
しかし、こうやってアップできずにいると、逆に、ふたたび意欲が湧いてきました。
▼さて写真のように、去る5月25日の土曜に大阪の中之島公会堂にて、支部総会を開きました。
支部総会とは何か。
議員会館の青山繁晴事務所から、自由民主党の党員になってくださっている主権者の集まりです。
自由民主党の国会議員は、全国どこかの党支部の支部長になる義務があります。
ふつうは当然、その議員の地元の支部長になるわけです。
しかし、ぼくは地元をつくらず、地元に置くはずの後援会もつくらず、後援会長も置きません。
そのために、ふるさとの神戸には、支部をつくりませんでした。
一方、思いがけず選挙に出るきっかけになったのは、安倍総理からの電話でした。
その安倍さんが「参議院の全国比例で、票を多く出して、その票で下位の候補者が救われて、自由民主党が参議院でも過半数を取るようにして欲しい。そうすれば憲法改正に道が開けるんじゃないか」という趣旨を伝えてこられる理由のひとつになったのは、大阪の関西テレビの「スーパーニュース・アンカー水曜日」でのコーナー「青山のニュースでズバリ」を視る視聴者の多さでした。
視聴率よりも重視されるという占拠率 ( その時間帯でその番組がどれほどの視聴者を占めているか ) が30%を大きく超えていました。
いわば、大阪がつくってくれた、主権者とのご縁でした。
その恩義に応える気持ちで、自由民主党の大阪第15支部をつくってもらい、そこの支部長になったのでした。
しかし、自由民主党大阪府連の事務方トップに、「どこの都道府県連にも属さないので、大阪府連にも入りません」と話し、諒解されました。
極めて異例なことです。
関係者によると、「どこの都道府県連にも属さない議員というのは、西暦1955年から続く自由民主党の長い歴史でもおそらく初めてのケース」とのことです。
▼支部総会は、年に1度です。
テーマは、直球です。「総裁選に向けて」。
▼月に一度、定例で開いている独立講演会と同じく、内容はすべて『絶対秘』の約束を参加者のみなさんと交わして、そのみなさんを信頼し、赤裸々に語りました。
▼ジミントウが嫌いな人ほど、新しい志を持って、自由民主党へ入党してくださいました。
天皇陛下のご存在をお護りし、自主憲法を制定する唯一の党という本来の姿に戻すために、議員会館の青山繁晴事務所から入党され、さらに継続してくださっている主権者、日本の唯一の主人公です。
長い党史でこれも初めて、まったくしがらみのない、いかなる団体や企業も通していない、ご自分の自由意志だけの党員です。
その党員数が、自由民主党の全議員のなかで第1位、それも2連覇しています。
さて、今年はどうでしょうか。
発表はまだです。
関係者によると、6月には発表されるようです。
▼やがて、高い舞台から降りて、みなさんの中へ入っていきました。
▼質問もお受けします。
濃密な2時間があっという間に飛び去っていきました。
▼これは、最後に、三浦麻未・公設政策秘書の発案で撮った記念写真です。
舞台から三浦秘書がスマホで撮影し、ぼくは・・・ちょっと目を凝らしていただけますか、ちょうど真ん中あたりに両手を広げています。
参加者は世代も広く、地域もさまざまなのに、素晴らしい迫力のある連帯感が生まれました。
( 2階席は、傾斜がキツくて、参加者にストレスが掛かりそうで、使用しませんでした )
▼終了後、これも三浦秘書の発案で、ボランティアで運営に協力してくださったみなさん、それから議員会館の青山繁晴事務所の秘書全員、といってもすべて公設の3人だけ、それから学生インターンと一緒に記念写真に収まりました。
後列左端が、学生インターンの増野優斗くん、後列右端のふたりが、入間川和美・公設第二秘書 ( 左 ) 、地元で市長選に挑んでいる出口 ( いでぐち ) 太秘書の後任として新しく事務所に入った川村香奈枝・公設第一秘書 ( 右 ) です。
前列左端が、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」のMCも務めてくれている三浦麻未・公設政策秘書ですね。
▼中之島公会堂の外へ出ると、初夏の眩しいほど碧い空です。
待っていらしたかたがたが、ぼくの著作にサインを求められ、すべて丁寧にサインしました。
いつもの通り、その方の名前をいちばん大きく書き、その右に、ひとことを記し、左に、ぼくの名をすこし小さめに書きました。
年号は、皇紀です。
▼さて、このエントリーも、5月29日水曜の未明に書き始めて完成せず、朝から夜まで公務に力を尽くして、日付が変わった5月30日木曜の午前2時まえぐらいまでに、ようやくアップできそうです。
ブログが再開すれば、紹介できないまま溜まっている動画も、ひとつづつ紹介していけますね。
まずは、これです。
日韓防衛交流の再開に、真正面から反対しています。
▼きょう5月30日は、国会議員となってから52回目の質問です。
経済産業委員会の、質問割り当ての担当理事、長峯誠・参議院議員 ( 元は宮崎県都城市の全国最年少市長 ) が、前回に45分という長時間をぼくに割り当ててくださり、驚きました。
ところが今回さらに、75分という、秘書のみんなが驚きの声をあげるほど異例の長時間を割り当ててくださいました。
ぼくはかなり気にして「大丈夫ですか」と聴きましたが、「みんな、聴きたいから」と答えてくださいました。
その後、齋藤健・経産大臣が、衆議院の本会議に出なければならなくなり、60分に短縮されましたが、それでも、ちょっと想像しにくいぐらいの長時間です。
しかし、いつもの通り、質問します。
いわゆる与党質問はしません。
主権者のために、日本国のために、問うべきを問うことに徹します。
いずれ、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」にて、解説付きで放送します。