On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2024-05-30 03:48:56
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【1点修正しました。情報 → 譲歩】【書き加えました】  もちろん不肖わたしは居なかったことにされていますから、ここでちいさな事実を主権者のみなさんに報告しておきます



▼5月30日木曜、議員となって52回目の質問をする、そして過去もっとも長い60分の質問をする日の未明に、ブログのこのエントリーを書き始めました。
 夜が明ければ、おそらく、完成しないまま公務に戻らねばなりません。質問の準備も、もう一度、念のために見直します。
 アップするまでには、今のように極端に忙しくなる前と違って、何日か、かかると思います。逆に申せば、何日かかってもアップします。
 そのエントリーでお伝えしたいのは、「日本海連合」の去る5月27日月曜の活動です。
 にほんかいれんごう・・・いい名前だなぁと、もしも思ってくだされば、たいへんにうれしいです。

 日本海沿岸の東西にながく連なる12府県、ひとつの府 ( 京都府 ) と11の県 ( 青森県、秋田県、山形県、新潟県、富山県、石川県、福井県、兵庫県、鳥取県、島根県、山口県 ) が、目の前の日本海に眠る自前の資源を開発するために連帯しています。

▼民間の専門家時代に、高く分厚い壁と、ほんとうに苦しんで戦っていました。
 その壁とは何か。
 日本国政府が「資源は高値で輸入する。そのために電気代、ガス代、そしてエネルギー価格全体が高くても構わない。その高い値段のなかにこそ、マージン、つまり利鞘 ( りざや ) 、旨味、儲け、既得権益が詰まっているのだから」という姿勢を無反省に続けるというトンデモの現実です。

 ひとは、格闘していると、目の前の難題とぶつかることにしか気持ちがいかなくなります。
 ふと、自分もそうなっていないかと省みて、もっと視野を広くしようと考えました。西暦2011年、平成23年の頃です。
 そこで、当時社長を務めていた独研 ( 独立総合研究所 ) や、一部の研究者といった同志だけではなく、自治体に働きかけようと決めました。

『過疎に苦しむ日本海側の知事さんたちを糾合して、連合を形成し、日本海の海洋資源を活かせと政府に迫れば変化が起きる』と考えました。
 日本海というわたしたちの海に、共感やロマンを感じ、それが新たに連合することに意義を見いだしてくれるひとは、きっと同胞に多いだろうとも考えました。

▼そして、日本海側の12人の知事さんのうち、どなたに会うかをまず考えました。
「日本で初めての独立系シンクタンク」という灯火を掲げて創業した独立総合研究所、その代表取締役社長・兼・首席研究員の仕事・・・つまり零細企業の経営と、日本がこれまでやらなかった分野の研究という二重の仕事、それに加えてプロフェッショナルな作家という仕事を兼業していくのは、ヒマではありませんでした。

 そして「会社の利益は追求しない。民間から国事をやる、外交・防衛・国家危機管理・資源エネルギーという国事を官だけに任せているから日本がおかしくなる。民間が国事をやる会社にする」というのが創業理念ですから、当然、経営は想像を絶するほど苦しい。
 ヒマも無ければ、カネも無い。

 志と、創意工夫の智恵だけが頼みです。
 したがって日本列島を東から西へ、日本海側の12人の知事さん全員に会うことは、時間もコストも無理です。
 また、それをやる必要は無いと、客観的に考えていました。地方の支社局でも記者をやり、中央の官界も政界も財界もその内奥を取材した経験からの考えです。

 12人の知事のうち、「日本海に眠ったまままの自前資源を実用化するよう、政府に働きかける」という目標についてキーパーソンになる知事を、3人だけ選び、その3人には少数精鋭の強力な味方になってもらう。あとはその3人から、いわば仲間同士の知事の繋がりを活かして、他の知事に働きかけてもらう。
 これで行こうと、決めました。

▼どんな3人を、僭越にも、勝手に選んだか。
 まず、当時の全国知事会長です。
 それは、京都府知事の山田啓二さん ( 現・京産大学長補佐 ) でした。
 自治省出身、行政の知識と経験に加えて、話してみると指導力もあり、単に全国知事会長というだけではなく、実際に他の知事に影響力を持つ人だと判断しました。

 ふたりめ。
 それは新潟県の知事です。
 なぜか。
 表層型メタンハイドレートの研究がもっとも進んでいたのは、海鷹海脚 ( うみたか・かいきゃく ) という海中の場所で、そこが新潟県の海なのです。

 海脚 ( かいきゃく ) というのは、海底の高まりのことです。特に、島などにくっついている高まりを言います。
 新潟県上越市の沖合の海にある、名もない海脚に、初めて資源調査に入ったのが、青山千春博士の乗り込む海鷹丸という東京海洋大学の研究調査船だったために、海鷹海脚と呼ばれるようになりました。
 その新潟県の当時の知事は、経産省資源エネルギー庁 ( エネ庁 ) 出身の泉田裕彦さんでした ( 現・代議士 ) 。
 この泉田知事は、エネ庁のキャリア官僚でしたから専門知識があり、話してみると改革の意欲をお持ちです。

 3人目。
 これは、日本海だけではなく太平洋側にも面している県を選ぼうと考えました。
 単に日本海側だけのローカルな集まりとされるのを克服するためです。
 そうした県のなかで、兵庫県を選びました。
 ぼくは神戸生まれで、中高は淳心学院、いずれも兵庫県です。しかし、それとは全く関係がありません。
 民間からも国事をやろうとしていたのですから、郷土びいきを交えたりはいたしませぬ。

 兵庫県は人口がおよそ550万人も居る大きな県です。したがって知事会のなかで発言権が強めです。しかも日本海側と太平洋側 ( 正確には瀬戸内海側 ) の双方に、いずれも長い海岸線を持っています。
 当時の兵庫県知事だった井戸敏三さんは、やはり自治省出身で、山田さんと同じように行政の経験と知識が豊かです。話していて実行力を感じる人です。

 このような評価を勝手におこなうのは、僭越なことではありますが、この3知事に会いに行って、説得を開始しました。
 
▼そして3知事はいずれも、深く理解してくださり、みごとな連係で動いてくださいました。
 西暦2012年、平成24年の9月についに、「日本海連合」が発足しました。
 わたしが思いがけず国会議員になる、4年前のことですね。

 自治体官僚の官僚的発想で、正式名称は「海洋エネルギー資源開発促進日本海連合」と長いものになりました。
 もちろん、誰もそう呼びません。すっきりと「日本海連合」と呼びます。

▼府県の行政官 ( 官僚 ) が水面下で抵抗することは、十二分に予測していました。
 知事からトップダウンで降りてきて、それも、ただの民間人が動いてのことです。こうしたとき必ず、官僚は抵抗します。
 そしてコップは小さいほど、権力争いも、官僚主義も、烈しくなる。
 大規模な中央省庁の官僚主義も凄いけど、実は、地方の自治体の方がさらに凄い。

「日本海連合」の記念すべき第1回会合が開かれたとき、オープンな会合であるにもかかわらず、わたしには一切、何も知らされず、連絡も無く、もちろん参加機会も無く、完全に無視されました。
 報道で、第1回会合が開かれたと、寝耳に水で初めて知ったとき、わたしは『あぁ、コップの中の官僚主義のなせる業 ( わざ ) だ。ただの民間人が知事たちを動かしてこの日本海連合をつくったという事実を絶対に認めたくないんだ』と気づきました。
 では苦情を言ったのか ?
 いいえ、ひとことも、誰にも、文句は言いませんでした。自分のためにやったのでは無く、日本国のためにやってきたからです。

 ところが、第2回会合のとき、突如、わたしに参加要請がありました。
 単なる参加ではなく、パネリストのひとりとして、舞台に上がってくださいと。
 3知事のうちのどなたか、山田知事会長かな ? 「青山さんが居ないのはオカシイよ」とか、きっと言ってくださったのでしょう。

▼参加してみると、パネリストのいちばん端っこに席がつくってありました。発言もしました。
 ウルトラ画期的だったのは、経産省の担当課長である石油天然ガス課長が「この日本海連合が発足して、日本が日本海側のメタンハイドレートを本気で開発しそうだというだけで、ロシアのプーチン大統領が天然ガスの価格交渉で譲歩 【 ※ 「譲歩」ではなく「情報」とあったのはタイプミスです 】 してきました」と、勇気ある証言を行ったことです。

 わたしは記者出身者として、「これで変わる」と、壇上で思いました。
 そこには、NHKをはじめ各テレビ局も、共同通信も朝日新聞も産経新聞に地元紙も、主要メディアは全部、顔を揃えていたからです。
 経済記者の経験からも、政治記者の経験からも、この経産省幹部の発言は大ニュースです。
 ところが全メディアが、きれいに、この重要証言を無視したのです。

▼たった今、わたしという国会議員がこの世に居ないかのようにマスメディアが扱い続けることと、根っこは同じですね。
 わはは。



▼あれから12年、先日の5月27日月曜に、日本海連合の現会長、花角英世・新潟県知事と一緒にまず経産省を訪ね、齋藤健・経産大臣にお会いして、日本海に賦存 ( ふそん ) する表層型メタンハイドレートの開発により注力するようお願いしました。
 それが冒頭の写真です。
 ご覧の通り、マスメディアはたくさん居ますが、写真もムービーも記事も、わたしは居ないことにされていると思います。
 この写真は、三浦麻未公設政策秘書が撮りましたから、わたしが存在していますね。ゴーストでなくて良かったです。

▼そして上の写真は、総理官邸で林芳正官房長官に同様にお目に掛かっています。
 これも三浦秘書が撮ってくれました。
 たまたま、林長官が丁寧に頭を下げられた瞬間が写っていますが、誤解なきよう、花角知事もわたしも丁寧に頭を下げました。

▼「日本海連合が発足してから12年も経つのに、まだメタンハイドレートは実用化してないじゃないか」と仰る方が、きっといらっしゃるでしょう。
 アメリカのシェールガスは、実用化までにおよそ100年、1世紀、掛かりました。
 同じくガスであるメタンハイドレートはまだ、およそ四半世紀です。
 新しい資源を実用化するというのは、それだけ大変です。
 国際学会では、日本のメタンハイドレート研究と開発のスピードが速いとむしろ驚く研究者に良く会います。

 まだか、まだかと言われるのも、みなさんの関心の強さですから、感謝しています。
 一方で、その「まだか」を利用して、現場を何もご存じないまま中傷誹謗を繰り返し、日本の歩みを阻むような人が、責任ある著名人にもいるのは、どうでしょうか。

▼日本海連合ができてから、予想通り、政府の対応はガラリと変わりました。
 先ほどの経産省課長の発言が、その象徴です。
 ところが、その後、課長はまったく無関係なところへ異動となり、それを含めて、経産省の自前資源の開発体制が長続きしたとは言えなかったのです。
 それが、わたしが国会に出ると、この課長さんだったキャリア官僚が昇格して復帰したことを含め、経産省のメタンハイドレートの開発体制はふたたび、強化されました。
 その非常に重要な象徴は、前述の「石油天然ガス課」が「資源開発課」に変わったことです。
 従来の石油天然ガス課は、要は、資源を海外から輸入する専門課でした。それが自前資源の開発を前面に出す課に一変したのですから、正直、日本海連合が起こした変化よりも根本的に大きく深い変化です。

 主権者から選んでいただくというのは、これぐらい意味が重いのだと、痛感しています。

▼そして今では、自治体の官僚のみなさんも、よく協力してくれるようになりました。
 なかには、最初から、共感と連帯を持って接してくれた、少数派の人たちもいます。
 みなさんと一緒にここまで来ました。これからも一緒に行きましょう。感謝と敬意をあらためて捧げます。

▼さて、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」 ( 動画はここです/ 数十秒で完結するショート動画はここです ) の新しい動画の紹介は、未紹介分がもう6本も溜まっています。
 それでも、ひとつひとつ確実に紹介していきます。
 きょうはこれです。
 イスラエルと武力衝突を起こしたばかりのイラン、その現職の大統領と外務大臣が一気に墜死するというショッキングな、耳を疑う事件が起きました。
 その真相を即座に考えています。

▼このエントリーをやっとアップできます。
 今は、6月2日日曜の午前零時半を過ぎたところです。
 エントリーを書き始めてから、実に4日目ですね。
 この6月2日は、わが父の命日です。古い繊維会社と新しい自動車教習所を経営する現役社長のまま、国立病院の信じがたい医療過誤によって、窒息死しました。
 父のこの最期を、受け容れたことは未だにありません。




 
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