2024-08-12 03:21:51
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【修正しました】 中国が食べるアフリカ、日本が連帯するアフリカ その1 【概要篇】
( ↑ 写真の1 )
( ↑ 写真の2 )
( ↑ 写真の3 )
( ↑ 写真の4 )
( ↑ 写真の5 )
日向灘地震で被災されたみなさんに、お見舞いを申しあげます。
南海トラフ地震の臨時情報 ( 巨大地震注意 ) に関連して不自由な暮らしをなさっているすべてのみなさんに、お見舞いを申しあげます。
地震を正確に予知することも、また地震の発生を防ぐことも、今の人類には不可能です。しかし、まつりごと ( 政 ) には、可能なことに力を尽くす、重大な責任があります。
それを、総裁選出馬を含め、国会が閉会中の今だけ可能となる外国出張を含め、新刊の発刊を含め、いつも通りすべての事どもと同時進行で、遂行していきます。
▼きのう8月11日・日曜の昼ごろに、遙かなアフリカから祖国へ、7日ぶりに帰国しました。
帰国の途は、まず日本時間8月10日土曜の午前10時10分 ( 現地時間同日午前2時10分 ) 発のトルコ航空機で、アフリカのカメルーン共和国の首都ヤウンデを飛び立ち、7時間半の ( 背もたれもあまり倒れない機材の ) フライトにて、まず中継地のトルコ・イスタンブール空港に着きました。
そこで飛行機の大幅な遅れも発生して、そこから7時間にわたり身動きがとれない状況となりました。
わたしは『飛行機がとにかく飛ぶだけで大感謝だ』と考えていました。それが世界の現実です。
▼今回のアフリカ出張は、自由民主党の日本AU友好議員連盟の一員としての公務です。
各国の首相や閣僚、上下両院議長らと公式会談を行いました。カメルーン共和国の農民のみなさんにコメ作りを日本人が教授なさっている農場試験場を含め、現場を回りました。
議連の名前にある「AU」とは、アフリカ連合です。アフリカ大陸のすべての国54か国が加盟し、日本未承認の西サハラを入れると55か国が加盟しています。
▼7時間、身動きがとれなかったイスタンブール空港の待合室で、議連の4人の議員はみな、静かにスマートフォンを使って連絡を取ったりされていました。
ぼくは、おのれを励まして、新刊の「再校ゲラ」の直しを続けました。
しかし、みんなで取り組んでいる出張ですから、自然な会話にも加わりました。会話しつつ、別の頭を動かして、手を動かしていればいいので、それはいつものことです。
この「再校ゲラ」直しは、以下の時間、ずっと続けてきた作業です。
( 1 ) 成田からコンゴ民主共和国に着くまでの最初の移動時間およそ23時間
・エチオピア航空による成田 → 韓国・仁川のフライト2時間半
・仁川空港で飛行機を強制的に降ろされ、謎の「保安検査」を理由にした事実上のショッピングゾーンへのアンフェアな誘導 ( ? ) 、これで1時間半 ~ もちろん何も買わず ~
・仁川 → 中継地のアジスアベバ空港へのフライト11時間半
・アジスアベバ空港での待機3時間15分
・アジスアベバ→コンゴ民主共和国の首都キンシャサへのフライト4時間15分
この合計で、23時間
( 2 ) アフリカ諸国で公務が終わった深夜、それに公務が早朝に始まるまでの未明、これが全日
( 3 ) コンゴ共和国の首都ブラザビルから、カメルーン共和国の商都ドゥアラへのルワンダ航空によるフライト2時間10分
( 4 ) ドゥアラからカメルーン共和国の首都ヤウンデへ、陸路を走った5時間半
これが一番、再校ゲラ直しには辛かった。
道路事情はめまぐるしく変わり、トンデモの悪路もある。
揺れるなんてもんじゃない。穴に墜落してすぐ宙空に投げ出されるような車内で、ボールペンを使ってゲラ ( 仮印刷 ) に直しを入れていくのは至難の業。
自分でも、よく酔わないなぁと思いつつ。
( 5 ) ヤウンデから、イスタンブール空港へのフライト7時間半
( 6 ) イスタンブール空港での待機7時間
このすべてを通じて続けてきた作業です。
これは、9月5日に都内の大型書店に並び始め、9月7日に全国で発刊となる『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』 ( 扶桑社 / すでに各書店で予約が始まっています。ネット書店なら、たとえば ここ ) の「再校ゲラ」を直す作業です。
▼本を1冊出すとき、まず原稿を、プロフェッショナルな作家として完璧と思えるまで仕上げて、編集者に送ります。
その原稿を、版元 ( 今回はロングセラーの『ぼくらの祖国』と同じ扶桑社 ) で待機してくださっていたチームが、あっという間に初校ゲラにしてくれます。ゲラというのは仮印刷です。分厚いこれを手にすると、ちょっと感激します。
その初校ゲラに、著者として肉筆で手を入れ、追加の原稿をパソコンで書いて、別送します。
完璧だったはずが、印刷されてみると、直すべきところが山のようにあります。
その初校ゲラを送ると、修正がすべて見事に反映されて、再校ゲラとなって戻ってきます。
時間が無いときは、この再校ゲラを再修正して、そこで「校了」、つまり著者の手を離れます。
しかしぼくはいつも、「念校ゲラ」の直しまで入念に行います。
今回はもう発刊日が上記の通り、9月初めで確定していて、これが崩れると、版元、取次業者、全国の書店、ネット書店という本が読者に届くまでの仕組みの隅々まで、膨大な迷惑がかかります。
いちばん大切な読者にも、迷惑となります。
だから編集者は、とても良心的な編集者ですが、再校ゲラ直しまでと考えていたようです。
それを念校ゲラまでお願いするには、とにかく早く、予定より早く、再校ゲラの直しを高い水準で終えて、アフリカから帰国した直後に手渡せるようにするほかありませぬ。
▼したがって、機内で寝たいという自然な欲求、機内でしっかり食べたいという、これも自然な欲求、トランジット ( 乗り継ぎ ) で待機するとき休憩したくなる心身の欲、その全部を諦めて、再校ゲラ直しに取り組みました。
今回、カメルーン共和国でエスカルゴに当たるという珍しい体験をして、これもまことに珍しく烈しい下痢と腹痛が起きました。
それは帰国した現在もすこしまだ、残っています。
特に、機内ではこれは本来はたいへんな事態ですが、ほとんど気にもせず我慢して作業を続けていました。
この本の中に、思いがけないほど生き生きと甦ってくる安倍さんへの、新たな畏敬と、待っていてくださる読者と出版スタッフへの深い感謝で、集中力が保たれたのだと思います。
みなさん、安倍さん、ありがとうございます。
▼苦しいとき、自然に、過去の海外でもっとも危機的だった時を思い出していました。
イラク戦争やパレスティナ紛争、旧ユーゴ戦争の戦場に入った時に比べると、滑走路に爆撃の巨大な穴が見渡す限り開いていたりしないし、とりあえず携行ミサイルや銃弾に砲弾もまったく飛んできません。
飛行機が遅れて、待機が続いたイスタンブール空港でも、疲れ果てて倦んだ空気が待合室にあるだけで、原形をとどめない遺体が目前の河を流れていったり、足元に転がったりしていません。
とにかくトルコ航空機にふたたび乗り、今度は11時間、古いけどずっとマシなシートのフライトで、再校ゲラの直しをすべて完成させ、ご飯と睡眠も初めてある程度はとり、成田空港に着きました。
あとは、一刻も早く都内の自宅へ戻り、待機してくれている編集者に、赤ペン入れ ( 修正 ) と追加原稿の完了した再校ゲラを、渡すだけです。
これで、ゲラを予定より1日早く、渡すことになりますから、念校ゲラを出せます。
カメルーンの真夜中の出発から、日本の昼へ。
25時間半を要した帰国の旅も、ようやく果てました。
・・・と思ったら、わが日本の成田空港でこそ、今回の公務出張で最悪のトラブルが待っていました。
他の参加議員がみなさん、無事に成田から去って行かれたあと、わたしにだけ起きたことです。
個人攻撃はしないし、日本政府の恥ですから、ここで詳述はしません。
ただ法務省は、事実誤認のミスをしながら不当に権力を行使し、まず公務を阻害し、せっかくの再校ゲラ直しの手交も大きく遅れました。
民間の航空会社などに何も問題はありませんでした。
日本の問題は、やはり民よりも官であることが、あらためて実感できて、よかったです。
新刊のなかに、「国事を官任せにせずに、民も国事をやらないと日本は甦れない」と覚悟を決めて、独研こと独立総合研究所を創建したという場面があります。
それも、正しかったなと成田空港をようやくにして去る時に、思いました。これも、よかったです。
▼そのうえでみなさん、帰宅して、やっと安定したネットに繋いで、みなさんからこの地味なブログに寄せていただいたコメントを読むと、その独研が主宰している独立講演会の運営をめぐって、昂奮なさって激烈にわたしを非難なさる長文のコメントもありました。
非難なさるのはいいのです。
この人は、悪意の人ではまったく無いと分かりますし。
しかし、何度も何度も話していますね。
「わたしは8年前の初選挙の最中に、みずから独研の代表取締役社長・兼・首席研究員を辞め、創業者株も全株、無償で返上しています。完全に退社しています。したがって、独立講演会も、講演することだけを独研から委託されて遂行し、講演会の運営には一切、関わっていません」と。
このかたは、それを知りつつ、あたかも「裏では運営にタッチしているべきだ」と実質的に仰るかのような、主張です。
そうしたことは、致しませぬ。
独立講演会に参加してくださっている方ですから、何よりも優先して、上記の趣旨を記したEメールを帰国後すぐに出しました。
返信はありません。それは構いません。
しかし、独立講演会の参加者であることを尊重して、語るべきことを、ここに記しておきます。メールに返信しないのではなく読まれていない可能性もありますから。
成田でも、自宅でも、日本に苦しむわけですが、日本はあくまで世界最良の国です。
だからこそ、日本の困るところを良くしようと、本も書き、やむを得ず国会議員もやり、万やむを得ず総裁選にも出馬するのです。だから何も問題はありませぬ。
▼さて、公務出張ですから、その内容を主権者のみなさんに報告する義務があると考え、このエントリーを書いています。
今回はまず、概略版です。
▽写真の1は、思いがけず安倍さんの笑顔に再会して、参加議員がみんなびっくりしたところです。
コンゴ民主共和国の現地時間、8月6日火曜の朝8時半過ぎ、国立生物医学研究所で、所長が安倍さんと撮った写真を見せて説明してくださったのです。
安倍総理は、国民にさほど知られていませんが、アフリカの重い課題に熱心に向かい合っておられました。
わたしは前述のように、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』の再校ゲラと毎晩、格闘している最中でしたから、正直、安倍さんにニッコリと励まされたようにも感じました。
▽写真の2は、ショッキングな現場です。
カメルーン共和国の国会を、丸ごと、中国が造っているのです。
写真の3にあるように、中国は自分たちがアフリカにカネを出していると誇示する表示をあちこちに大きく掲げています。
写真を撮る気がしなかったのですが、ここまで来ると、撮って日本の主権者にお見せするしかありません。
そして、カメルーン共和国の正式な案内で工事現場を訪れたにもかかわらず、中国の関係者が、女性の中国政府当局者らしき人物をはじめ、カメルーン共和国側に「なんで日本人を入れたんだ」と食ってかかっているのです。
カメルーン共和国の主権を平然と侵害する行為です。
▽写真の4と5は、カメルーン共和国が日本の美味しい、そして身体にいいお米を安定してつくれるように、日本の専門家が力を尽くしている現場です。
日本の援助はこのように地道で、そして民衆の生活に即しています。
中国の膨大なカネは、基本的に権力者に使われます。
今回のアフリカは、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国ともにフランス語で、英語がほとんど通じません。
カメルーン共和国も、主としてフランス語で、英語は限定的です。
それに苦労はしましたが、いずれの国でも政府の要人、有力な国会議員に直に、「中国の援助は中国のため。日本の援助はあなたのためです」と語りかけ、仁徳天皇の民の竈 ( かまど ) のエピソードを紹介したり、あるいは満場が笑いに包まれるユーモアを交えたり、議員による外交を懸命におこないました。
先方の反応は驚くべき反応でした。
「私たちも実は中国の援助のカラクリに気づいている。日本こそ、アフリカに関与して欲しい」。
これが中心です。
同席されていた他の議員も、その反応に感嘆しておられました。
▼一緒に諸国を回ったのは、日本AU議連の会長である逢沢一郎代議士 ( 岡山1区 ) 、事務局長の牧原秀樹代議士 ( 埼玉5区 ) 、武井俊輔代議士 ( 宮崎1区 ) 、国光あやの代議士 ( 茨城6区 ) 、江島潔参議院議員 ( 山口県選挙区 ) です。
このなかには厳しい批判を浴びた議員も居ます。
そのお名前も含めてこうやって記すと、ブログには、わたしへの中傷誹謗が溢れます。
しかし、わたしは、人の一面だけを見ず、野党議員であっても誰であっても、一致点を探すという生き方を変えることはありませぬ。
また今回、わたしが遙かなアフリカで目撃したのは、票のためでもなく、利権のためでもなく、同じ人間としてアフリカの民衆のために力を尽くす議員が、自由民主党に居るという事実です。
自由民主党の腐った部分を叩き直すというのは、こうした肯定面があってこそ、実るのです。
▼総裁選があるのになぜ、アフリカに行っているんだという非難を根っこにして、新たな中傷誹謗もどっと来ています。
いいえ、違います。
総裁選に出るとなったら、それの水面下の選挙運動ばかりという議員は、総理総裁になってはいけません。
わたしは派閥にも、派閥に似たグループにも一切属さず、新しい議員集団の護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の代表を務めているだけですから、公務出張の機会はごく例外的にしか回ってきません。
その機会を外さないことは、たいせつです。
今回も、総理総裁になった場合の、新たな日本外交の構築のために、大きなプラスになりました。
それは哲学と理念、具体的な政策、そして人脈の構築のいずれにも重大なプラスです。
同時に、遠くアフリカからも、総裁選のためにできることはあります。
苦闘は続きます。
直近で言うと、これまで無視作戦を採ってきたマスメディアが今度は、「青山の出馬は邪魔になる」という記事を露骨に出すようになっています。
しかしアフリカ滞在中にも、水面下の前進はじりじりと続きました。
日向灘地震と、そのあとの南海トラフ「巨大地震注意」にも、同じくアフリカ滞在中から対応しています。
それができないのであれば、総理総裁は海外出張が一切できないことになります。
むかし、「疲れを知らない子供のように~」という唄がありました。
わたしはなぜか、年を重ねるごとに、強くなります。
同じ有名病院で、人間ドックを1泊2日で徹底的に受けていますが、基礎代謝量と骨密度が年々、増えて、最新のドックでは、ここでは言わない、言えないレベルにまで達しています。
心身の強さが、わたしの拠りどころです。
なんでも来い。わはは。
▼どんなときにも、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」による主権者への発信は続けます。
最新分をひとつ紹介します。
イランとイスラエルの対立は、実際に第三次世界大戦リスクがある。その動画です。重大です。これです。
二十歳の学生インターンがわたしに、短く、鋭く問うショート動画、その最新のうちの1本は、これです。
「参議院議員は総理になれないんですか」です。
総裁選の直前に際どく、東京で開く独立講演会は、もうここで募集が始まっています。
下掲のボタンで、直に申し込むこともできます。質問も書けます。
10月以降の予定 ( 未募集 ) も独研のHPには書かれていますが、わたしは前述のように、運営には関与しません。「総理になった場合にも、さまざまな選択肢があり得る」という判断かなと想像はしますが、何も聴いていません。聴きません。前述の「辞めた会社の運営に干渉せず」の原則の通りです。
あえて、はっきり申しあげます。宏池会の会長を辞めてから、宏池会の解散を仰った現総理とは生き方が違います。