2024-09-15 10:28:26
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【すこしだけ推敲しました】 日本がんじがらめ党 総裁選 【その22】 「清々しい」
▼きのう9月14日の土曜、新潟県の上越市 ( 高鳥修一代議士の衆議院新潟新5区 ) で講演をいたしました。
わたしは「2日前に総裁選から拒まれた青山繁晴です。参議院議員です」と、ありのままに自己紹介しました。
わたしの横の笑顔は、上越市議の髙橋浩輔さんです。
特別支援学級を含め、小学校の先生を務めたあと今は、地元上越産の大豆を使い誇りを持って豆腐屋さん ( まちのとうふ屋さん・髙橋食品 ) を経営されています。
奥で笑顔の司会者は、おなじく上越市議の安田佳世さんです。
自由民主党の新潟支部連合会の青年部長です。
幼児教育にも献身されていて、周囲から、国政への進出も期待されている日本女子です。
このおふたりを支えつつ、たくさんの関係者をまとめ上げてこの講演会を準備してくださったのが、新潟県議の斎京四郎さんです。
きょう9月15日・日曜のブログに斎京さんはこう書かれています。一部を原文のまま引用します。これは公開ブログですから、引用に問題はないと判断しました。
「 ( わたしがいつも通り、舞台から飛び降りて聴衆のみなさんのなかを歩きながらお話しした、そのことを記されたあと・・・ ) その昔、ギリシアの哲学者たちは歩きながら講義をした ( 逍遥学派 ) と伝えられています。
哲学とは物事の本質をとらえるための学問ですが、昨日のお話はまさに考え方、哲学そのもの。
それをユーモアを交えて面白く本質を話すというのはなかなかできることではなく、一流の人のみにしか成し得ないのだと思いました。
歩きながら=逍遥しながら話すというのはもしかすると本質に迫る話し方なのかも ?
青山先生はパーティも資金集めもせず後援会もなく独立独歩の清廉潔白の志士ですが、公のためにひたすら闘う人。こういう政治家さんも本当にいるのだなぁと心から感動しましたね。
自民党の国会議員でありながら『自民党は日本ガンジガラメ党だ ! こんなことでは日本の未来はない ! 』と公開の場で喝破できる自民党の議員のは青山先生くらいしかいないでしょうね。
私自身も最近の我が党の理不尽な議論の在り方など閉そく感に嫌気がさしていたので、まさに清々しいまでのひと時。来越頂きありがとうございました ! 」
▼わたし自身も「清々しい」という言葉に深く勇気づけられました。
これは、斎京さんの文章のあくまで一部です。よろしければ「斎京四郎ブログ」をご覧ください。そこには、神々しいお腹、猫ちゃんのお腹も最後にありますよ。
▼このあと、このお三方をはじめ講演会の実現を裏で支えてくださったかたがたと、川村香奈枝・公設第一秘書も一緒に懇親しました。
最新刊の『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』を含め、わたしの著書を持ってきてくださったかたが多くて、感激しつつ、こゝろを込めてサインいたしました。
この『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』がもう少し早く出ていれば、たとえばせめて8月に出ていれば、推薦人集めをめぐる国会議員の意識も変わったのではないかというご意見も、この懇親の場で聞きました。
ブログにも、同じ声が寄せられています。
しかし、これに関して、わたしはふたつのことを思っています。
ひとつ。
何度か申したように、総裁選のために出版したのではありませぬ。安倍さんの暗殺の翌日から、おのれを励まして原稿を書き起こし、2年の苦悩の果てにようやく編集者に完成稿を渡しました。出版社が一生懸命に作業をしてくださり、刊行日を9月7日と決しました。
わたしが原稿をもっと早く渡していれば、というのはその通りです。
公務絶対優先の日々、そして安倍さんがあまりにも厳しく閣僚らを評しているところを和らげるために要した改稿の膨大な時間、それらからすれば自然な流れではあったと思いますが、全責任はわたしにあります。
もうひとつ。
自由民主党と日本国が、隅々まで、奥の奥まで、「アメリカに支配されたまま真の独立は目指さず、敗戦後の利権と利益の構造を守り続ける」というガンジガラメに縛られている、いや、意図してみずからを縛っている現実は、残念ながら1冊の本で変えられるほど生易しくはありません。
わたしはふだん、ひとりの物書きと、みずからを呼んでいます。魂のなかの本音では、日本文学の伝統を静かに背負って書き続ける男のひとり、一隅にいる職業作家だと、おのれを考えています。
したがって、1冊の本の深い意義を実感しています。
同時に、現実を甘く見ることはしません。
わたしたちの戦いは、失敗、敗北という貴重な、かけがえのない財産こそを糧として、倦まず弛まず諦めず、続いていってこその戦いです。腰まで泥に浸かって前へ進むのです。
▼会場は、若い人も女性も多く、日本社会のすべての層から来てくださったことが、わたしの胸にも伝わりました。
わずか2歳の女の子も居て、声を出すことに気兼ねなさったお母さんがそのお子さんを抱いて会場の外へ出ようとなさるので、わたしは思わず、「いや、一緒に居てください、お母さん。ここに集まってくださったどなたも、子供の声が嫌という人は居ないと思います」と呼び掛けました。
これは実は、毎月の独立講演会でも同じなのです。独立講演会は会場が広くて千人以上が集まりますから、声を掛けきれないことがあります。しかし原則は同じです。
この若いお母さんは、迷われた末に、お子さんと席に戻ってくださいました。
そして、たった「にちゃい」の女の子が、同じく幼いお姉ちゃんとも一緒に2時間の講演の最後まで居てくれて、会場に実は沢山いらっしゃった子供たちもみな、ぼくの顔を真剣に見て、聴いて、最後まで共に居てくれました。
えらかったね、みんな。
ありがとうね、みんな。
会場には、地元上越のみなさんに加えて、東京、大阪、福井、金沢など遠くからも、志ある主権者のみなさんが集うてくださいました。
みなみなさま、ありがとうございました、深々と頭を下げてお礼申しあげます。