2024-10-09 04:07:56
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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未完の青春
▼先日、慶應義塾大学法学部の奥健太郎教授のゼミで学ぶ学生たちが、「インタビュー」にやってきました。
テーマは、「後世への記録 令和を生きる政治家の伝え方」ということです。
日本政治史を専攻なさっている奥教授と、直接の交流はこれまでありませんから、学生たちの自主的な研究努力だと思います。
インタビュー結果は整理して、三田祭に出すとのことでした。
▼わたしが「ひとりで早慶戦をやっていたんだよ」と余談で話すと、慶大生のみんなはちょっとびっくりなさいました。
ひとりで早慶戦、はもちろん冗談です。
慶應義塾大学の文学部を、親にも言わないまま勝手に中退して、早稲田大学の政治経済学部の経済学科を受験し直して入り、卒業したのでした。「世の中を直に良くするためには哲学を学ぼうとしたことをやめて経済学を選び直したけど、慶應は好きだったよ」とも話しました。本音です。
もちろん若気の至りでもありました。
二十歳前後の頃のぼくは、『自分たちは大学に行くことが最初から決まっていて、大学に行きたくてもいけない人が居るのはなぜだ』と、これこそひとりで、苦しんでいたからです。
慶應の友だちはつきあいやすく、みんなと楽しく笑いあいながら、胸のなかでは懊悩していました。
救われたのは、夭折の哲学者であったキェルケゴールの「死に至る病」の書をふと読んだことが最初のきっかけです。
それでむしろ、哲学を去って、経済学に行く決心をしたのでした。哲学が駄目だという意味ではありませぬ。逆です。ぼくが哲学者になる道を選ばなかったというだけです。キェルケゴールは今も、人間として、敬愛しています。
そして、やがて早稲田大学から共同通信社に就職して、まず事件記者となり、重大な事件や悲惨な事故、それに見かけよりずっと強大で尊大でもある司法権力という現実と激突して、悩みは吹っ飛びました。現場で戦うほかなくなったのです。
早稲田の人と会うのも懐かしいけど、慶應の人と会うと、なんとも言えない青春のすべてが甦ります。
今は国会議員と職業作家を兼ねながら、もうひとつの職務として、東京大学の学生たちに教えつつ、現在のこの時代にも大学に行きたくてもいけない人が居ることを忘れたことはありませぬ。
仮にその数がいくらかは少なくなったとしても、ひとりひとりにとっては、ただ一度の命、人生なのです。
この日、語りあった慶應の学生たちに、すがすがしい印象を持ちました。
このまま真っ直ぐに伸びていってほしいと願わずにはいられません。
政治学科ですから、何人かはきっと、このまつりごと ( 政 ) の世界にも来るでしょう。
ちなみに、議員会館の青山繁晴事務所の学生インターン、増野優斗くんも政治学科です。彼は、早稲田大学政治経済学部の政治学科ですね。
こりゃ、ひとりで早慶戦じゃなくて、今や、議員会館にやって来るみんなで早慶戦です。
わたしは永遠に、弱き立場のひとと共にあります。
そのためにあえて、ここに、まつりごとの現場に居ます。
ぐしゃらぐしゃらの現場に。