2024-11-05 03:12:48
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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波のごとく押し寄せる絶望に耐えて
▼総選挙の応援遊説でお会いした母子です。
お母さまは若い地元市議でいらっしゃることがあとで分かりました。
複数の遊説会場へ、母子でおみえになりました。
赤ちゃんはとても機嫌よく、見えない柔らかな光を放っているようにも感じました。
▼意外な小さなことが、ときどき起きます。
そのひとつが下の写真です。
これはちょっと変わった写真で、申し訳ない。
11月1日金曜の「虎ノ門ニュース」で、一般公開版から会員限定版に切り替わるときの10分の休憩時に、いつもの通り、急いでスタジオ外の舗道に出ました。
早朝から、スタジオの外で観覧なさっている主権者のみなさんに、お礼を申しあげるためです。
『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』をはじめ、拙著をお持ちになっているかたも多くて、時間をぎりぎりまで使ってサインをいたします。
するとこの日は、アメリカ人の母子がいらしていました。お母さまも息子さんも、眼が澄んでいます。
やはり『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』をお持ちです。
米語で「わたしが日本語で書いた文章を、理解していただけるのでしょうか」とお尋ねすると、「いいえ、分かりません」と仰り、「しかし、あなたのファンなので、こうやって来ました」とお母さまが仰います。
お母さまと少年の横には、おそらく日本のかたでしょう、素敵なお祖母さまもいらっしゃいます。
そしてこのお母さまが、「わたしはアメリカ合州国の陸軍大佐です」と仰り、「情報部門です」とも仰いました。
わたしは正直、びっくりしました。アメリカ軍は陸軍にも知友がいます。そして女性の高級士官も少なからずいらっしゃいます。
しかし、アメリカ軍の大佐が、日本の虎ノ門ニュースのスタジオ視聴のために東京の舗道にいらっしゃっていて、しかも『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』 ( ここ あるいは ここ ) を持っておられて、サインを望まれるとは、やっぱり、驚きです。
大佐は、ある米軍基地 ( 在日米軍基地ではありません ) を訪ねてから東京に寄られていて、その司令部機能を持つ基地は、わたしも議論のために数えきれず訪れている場所です。
公務のあとに、私服でお子さんと視聴に来てくださっていたのでしょう、軍機に属する公務であってはいけませんから、旅程を詳しくはお聞きしませんでした。
▼サインを致した『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』をわたしが手に持ち、4人で並んで、そこに居合わせた日本の視聴者のかたが写真を撮ってくださいました。
とても良い写真です。
ただ、ブログにアップしていいかどうかを伺う時間が無くなりましたから、考えた末に、お顔が分からないよう写真の一部だけを公開しました。もしも、関係されるかたがご覧になって、写真の公開OKとなれば、ブログのコメント欄に書き込んでくださいますか。
お願いします。
▼わたしの著作のうち、『ぼくらの祖国』は全文、英訳されて、出版されています。ただし電子版のみです。 ( 例えばここで、どなたでも入手いただけます。英文タイトルは、Meet the Nation: Japan's First Reality after Loss です )
安倍晋三総理は、アメリカでもよく知られた例外的な日本の総理ですし、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』が英訳されればいいのにな、と思います。
一時期、わたしの小説の英訳の話がありましたが、それも実現しないままです。
母国の日本で「この世に実在しない国会議員」として、公共放送というNHKをはじめオールドメディアから扱われているわたしですから、著作が太平洋やインド洋、北極海を渡って、国際共通語で世界に紹介されることは、なかなか困難でしょう。わはは。
あ、エントリー・タイトルの「波の如く押し寄せる絶望」とは、その話ではありませぬ。
みんなと根っこが共通する絶望感です。
作家であるだけなら、その絶望感だけで仕事ができます。むしろ、どんどんできます。文学は、希望より絶望の方が、良くも悪くも書きやすいのです。
しかし、みずから、国会議員でもあることを選んでいますから、絶望の海の凍る水を両手で懸命に掻き、バタ足を強く長く打って、前へ進もうと藻掻くほかありません。
▼まさしく前へ進み続ける二十歳の学生インターンの増野優斗くんが、わたしに鋭く問うショート動画は、最新分がこれです。
これを視て、「青山さんは対応が鈍くなった」とコメントされているかたがいらっしゃいます。恐縮ながら違います。わたしに肉薄された高齢の方の足の運びを見て、武道をなさるかたでは無いと考え、自由民主党への怒り、憤怒、憎悪をあえてそのまま受け止めようと決めて、そのまま立っていました。
ショート動画の20秒、30秒で、そんなことまで話せません。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の本篇では、そこも語っています。