2024-12-14 18:32:57
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
【書き加えました】 79年を経てようやく戦場から帰還された、硫黄島の英霊のご遺骨、その引渡式に参列しました
▼これも主権者にあまり知られていない、毎年の行事です。
引渡式、ひきわたししきとは、何を意味するか。
高齢者から若者までの同胞が、東京都の79年前の戦地、硫黄島で、ボランティアとして遺骨収集をなさってくださり、その硫黄島から皇居に近い千鳥ヶ淵の戦没者墓苑 ( いわゆる無名戦士の墓 ) へ連れてきくださった英霊のご遺骨を、厚生労働省に引き渡す式なのです。
わたしは毎年、喪服にて必ず、参列しています。
写真に見える白い、ちいさな筐 ( はこ ) が、英霊です。
当時のアメリカ軍が硫黄島を占領し滑走路を整備し、そこから、日本人を根絶やしにするかのように本土を無差別爆撃しようとしました。
その爆撃をせめても遅らせて、現在のわたしたちである、日本人の子孫が生まれるように、水無く食料無く、個人的な希望も無く、たったひとつの命を捧げて戦われた英霊は、このようなお姿になられて、やっと戻られました。
▼硫黄島には、帝国陸海軍の戦死者のほぼ半数、実におよそ1万人の英霊、同胞が、故郷にいまだ帰れないでいらっしゃいます。
問題の根本解決には、滑走路の引き剥がしを含め多額の予算を投じる必要があります。
しかし厚労省のある幹部は非公式にわたしに「地形が変動し続けるほど熱い火山島である硫黄島で、滑走路の下に英霊がいらっしゃるとしても、ご遺骨が無事に見つかるかどうか。多額の国税を投じて結果が出なければ、たいへんなことになる」と話しています。
その一方で、ボランティアのかたがたが困難な情況のなか、島の区域を区切って、すこしづつ遺骨を収集なさっているのです。
今回、帰還された英霊は、33人、すなわち33体のご遺骨でありました。
安倍総理が第一次政権の当時に、わたしは懸命に、この硫黄島の英霊すべてのご帰還を安倍さんに働きかけました。
安倍総理はその後、突然の辞任、しかし再登板後にわたしの言葉通りに硫黄島に入られ、滑走路に跪いてくださったのです。
『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』のなかに、そのことを初めて、すべて記しました。
硫黄島にもう一度、関心を持っていただくためにも、できれば、ここかここで、目を通していただけないでしょうか。伏してお願いします。
▼引渡式を終えて、英霊が、厚労省の職員に抱かれて退場なさっていきます。
その現在の同胞の両手を、胸を、体温を、どのようにお感じになっているでしょうか。
また、硫黄島に未だ取り残されている戦友の運命を、きっと心配なさっているのではないでしょうか。
引渡式には、厚労大臣も防衛大臣も参列しません。
大臣政務官が式辞を述べられるだけです。
おかしいですね。
まことに、おかしいですね。
国会議員は、各党の代表以外は自由参加です。
わたしも、おのれの意思で参列しました。
野党からも、毎年、同じ議員が参加されるのが、ひとつの救いです。
自由参加のわたしたちは、ひとりづつ、献花をおこないました。
わたしは黄色い菊の花とともに、深い祈りを捧げました。海より深き感謝と、そして「必ず、みなさまの、かけがえのない戦友も取り戻します」という誓いを胸のなかで捧げました。
▼アジアと世界は、日本の敗戦から79年間、動き続けてきました。
きょう12月14日土曜に、隣国の韓国ではユン大統領の弾劾が可決されました。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新分であるここで、その先にある極反日国家、韓国の出現の懸念を、みなさんと一緒に考えています。
きょくはんにちこっか、です。