On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-01-17 05:00:36
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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ふるさとの街に捧ぐ祈り



▼今年も、あの時刻まであと1時間をとっくに切っています。
 いま1月17日の午前5時02分です。
 30年前の午前5時46分まで、あと44分、阪神淡路大震災の6434人のみたまに祈りを捧げます。

 あの日、わたしは共同通信政治部の防衛庁 ( 現・防衛省 ) 担当の記者でした。
 暗い街を、蛇の赤い舌のような火がちろちろと舐めはじめているのをテレビ画面で視た最初は、まさか、おのれの生まれた神戸だとは思いませんでした。
 神戸に大地震が来るなどという予測や警告を見たことも聴いたこともなかったからです。

 自衛隊の災害出動を知るために、信頼関係のあった幕僚に電話し、それが神戸だと知って、すぐに母に電話しました。
 父はすでに亡く、姉や兄もすでに独立し、一人暮らしの母だったからです。
 しかし電話は繋がりません。
 公衆電話なら緊急時にも繋がると考え、自宅から飛び出して、まだ都内にあった公衆電話を探して掛けると、母の落ち着いた声が聞こえました。
 さすが、若い頃から、武家の娘の誇りに生きてきたおふくろらしいなと、ちょっと感心したのでした。

▼写真は、日本キリスト改革派教会附属長田幼稚園です。
 慈善バザーかなにかの写真かなぁ ?

 最前列の右端が母、同じ列の真ん中あたり、母のつくった、ボタンが縦に並ぶシャツを着ているのが、わたし、その左横が姉です。
 2列目の左端は、松田牧師の奥さまです。
 世と人に献身なさっている牧師ご夫妻は、曹洞宗の信徒の父も含めて、家族みんなが敬愛していました。
 母と姉は、カルヴァン派のキリスト教徒ですが、わたしは考えるところあってクリスチャンにはならず、一木一草に神が宿るという日本の伝統に立ちつつ、世界のすべての神さまをこゝろから尊重しています。





 
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