On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-01-29 01:48:45
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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まずは・・・笑顔の復権から


( 自由民主党大阪府連の会長となっても、独立講演会は、何も変わりなく大切に実行していきます。1月25日土曜の午後に東京で開催した第158回の独立講演会も、こんなに沢山の主権者のみなさんが、参加されました。
 いつもと同じ4時間半を超える長尺の講演を、志を持って共有してくださいました。深く感謝しています )


▼去る1月24日の金曜に、長丁場の通常国会が開会しました。
 その日の日程の最後に、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の若手幹部と通常国会での新しい体制と活動について協議し、そのあと、夜の首都高速を羽田空港へ向かいました。

 遅くに大阪に入り、ホテルで深夜から、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の第1459号の執筆を進めましたが、完成には至りませんでした。
 TCRは、わたしが専門家として収集した情報を集約し分析するだけでは無く、精度を徹底的に高め、文章も充分に磨いてから、会員へ配信します。
 この夜は、みずからに課している完成度には達していないと判断し、いったん執筆を打ち切って、1月27日月曜に配信することを目指して書き続けることにしました。

 時刻は、1月25日土曜の朝6時を過ぎていました。仮眠してから朝9時、大阪府茨木市の市議選の現場へ向かいました。
 茨木市は、大阪府の北の都市です。



▼まず、永田まき候補の選挙事務所を訪ねました。
 世代を超えたボランティアのみなさんたちに明るい歓声と笑顔が湧いて、若き女性候補、永田さんのために、こゝろから嬉しく思いました。



▼そして、永田まき候補と一緒に商店街を練り歩きました。
 ここでは物価高や重税、所得の低下と戦いつつも、「あ、青山さんや。よう来はったなぁ」と迎えてくれる大阪の庶民のみなさんの、にっこにこ顔がありました。
 商店街のなかほどの、美味しい香りのするパン屋さんでは、女性の店長さんが待っておられて、笑顔いっぱいに店の中から飛び出してこられました。
 わたしがこの商店街に来ると、どうやってお知りになったのかなぁ。

 しかもこのパン屋さん、商店街真ん中のまっすぐな道からは、ちょっと入ったところにあるのです。
 たまたま、わたしがすこし右に折れると、偶然にこのパン屋さんがあったのです。

 女性店長さんはなんと、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』をサインペンと一緒に用意しておられました。
 このパン屋さんが物価や税に負けずに、これからも茨木市民に愛されるように祈りつつ、こゝろを込めてサインをいたしました。
 店長さんは、息子さんも紹介してくださり、「うれしいわ、ほんまにうれしいわ、夢みたいや」と仰いました。
 わたしは「永田まき候補は、まっすぐな明るい、みんなの役に立てるひとです。よろしくお願いします」と申しました。
 



▼次に、上田ミツオ候補の演説現場へ向かいました。
 茨木市役所の目の前、伝統ある茨木神社からもすぐ近くです。
 誠実な上田さんと、それから集まってくださった主権者のみなさんと、厳しく、そして愉しく、一緒に考えました。

▼実は、茨木市議選に入るのは、2度目なのです。
 告示日、つまり選挙戦がスタートした1月19日の日曜にまず入りました。市議選の選挙戦はわずか1週間です。 ( ちなみに参院選は毎回、酷暑のなかの17日間あるいは18日間 )
 そして最終日の1月25日土曜に、もう一度、入ったのです。

 政令市でもない市議選に府連会長が応援に入ること自体が「異例」 ( 関係者 ) だそうですが、新しい府連会長である不肖わたしは、入るだけではなく、短い1週間であっても2回入ると、決めていました。
 悔いの残る経験があるからです。

 かつて大阪府議の補選に立った女性候補の応援に入り、そのとき「もう一度、入れば、当選が確実になる」と直感的に思ったのですが、東京の国会での公務日程が詰まっていて、秘書さんの進言もあって、2度目は断念しました。
 するとその女性候補は僅差で落選し、さらに、落胆されたのでしょう、その後の政治家人生が変わってしまったのでした。

 その経験からしても、大阪府連の会長に成った以上は、「成りたくて成った府連会長じゃないと誰も分かってくれないよ。それでも成るの ? 」と党本部の大幹部に言われつつも自分で決断して成ったのですから、どんなちいさな選挙にも入り、それもなるべく複数回入ると心に決めていたのでした。

 国会での公務日程が絶対優先であることは何も変わりません。
 したがって、大阪での応援はトンデモ日程になること必定だし、どんなに無理をしても不可能な場合もあるでしょう。
 しかし、すこしでも日程に工夫の余地があれば、そこに頭をぐりぐりと突っ込んで、やります。



▼これが、上田ミツオ候補を応援した第1回です。
 由緒ある新屋坐天照御魂神社 ( 新屋神社 ) の境内、1月19日の日曜でした。
 この日、自由民主党系の候補5人 ( 公認4人、推薦1人 ) のうち、わたしと日程の調整がついたのは永田さん、上田さんの2人でした。
 しかし調整の付かなかった3人の所へも、わたしは行きました。



▼つかさとる ( 塚理 ) 候補の事務所です。「わ、青山さんやぁ。動画、視てるで」と笑顔いっぱいに仰ってくださるひとと握手。
 ちなみに、その動画「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新分を今夜、ここにアップしています。テーマは「選択的夫婦別姓と対抗する」です。
 このほか、下野いわお候補、西野たかはる候補の事務所も回りました。

▼さて、この1度目の応援の1月19日の日曜から、2度目の応援の1月25日の土曜に話を戻しましょう。
 上田ミツオ候補の応援演説をしたあと、飛行機の出発時間が迫るなか、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』を持ってきてくださった主権者にサインをギリギリいたし、伊丹空港へ。
 正午のフライトで羽田へ戻り、午後2時までに東京ビッグサイトに到着、そのまま2時半から独立講演会に臨みました。



▼着替える暇はないため、独立講演会にしては珍しく、スーツ姿です。



▼質問者のなかに、なんと4月から防衛大学校へ進む18歳の日本女子と、そのお母さまがいらっしゃったので、お願いして舞台へ来てもらい、そこで質問にお答えしました。
 若き女性の防人と、日本の母の晴れやかな笑顔が、きっと、広大な会場を埋め尽くす主権者のみなさんの胸にも残っていることと思います。

▼4時間半を超える独立講演会を、会場の隅まで歩き回って終えたあと、夜に自宅へ戻りました。
 時差のためにまだ金曜のワシントンDCの知友と、トランプ政権下の日米関係をめぐって、かなり充実した議論を行って、それを基に日本の与野党の知友にEメールを書いていると ( 送信は日中になってからです ) 、あっという間に朝が近づきます。
 わずかでも仮眠します。
 泥の海から這いあがるように、おのれを励まして、仮眠から起きると午前5時台の終わりに自宅を出発しました。
 再び、羽田空港です。
 航空会社の人はちょっと驚き、「きのう帰ったばかりですよね」とわたしに聞かれました。

 えぇ、そのあと長い講演会をやったのです、と思わず言おうとして、やめました。
 誰しも、懸命に働いているのです。



▼1月25日日曜の朝9時半ごろの、大阪府岸和田市の住宅街です。岸和田は大阪の南部、伊丹空港からはかなり遠いです。
 大阪維新の会出身の市長が市議会に不信任を突きつけられ、辞職はせずに市議会を解散して行われる選挙が、この日に告示日を迎えました。
 一方、前述の茨木市議選はこの日が投開票日です。大阪の北と南、ふたつの市議選の終わりと始まりが重なっているわけです。

 篤実な大嶋ちよはる候補の応援演説をしたあと、地元で大嶋さんを信頼して支える青年たちに素敵な誘いを受けました。
「だんじり祭のだんじり ( 山車 ) を見ませんか」。岸和田のだんじり祭は世界的に有名です。




▼この場にいらした大阪府議が「だんじりに神さまはいないから、祈っても無駄ですよ」と仰いました。
 なるほど。
 しかし、手を合わせずに乗せていただくことは、できませぬ。

 岸和田のみなさん、ありがとうございました。光栄そのものでした。
 だんじりは想像以上に精巧にできていて、日本を感じて、素晴らしかったです。



▼その次は、たんぼあきら ( 反甫旭 ) 候補の演説会です。
 このひとが、定数24人いる岸和田市議会たったひとりの自由民主党・現職議員なのです。

 わたしは、独立講演会と同じように岸和田市民のなかに入って、ひとりひとりの眼を見ながら話していきました。

 仁徳天皇が民のために税金をおやめになった大阪こそ、日本の源であり、その大阪府民の所得が実は低く、日本第二の中心であるはずが、民の所得でみれば47都道府県の20位前後であって、独自減税や地場産業の復権などによって甦らせねばならないことを、平易に話していくうち、みなさんが笑顔に変わっていくのが嬉しかったです。

 そして、たんぼさんはその演説のなかで「青山さんの『ぼくらの祖国』のサイン会で、私の名前を『旭日の旭という素晴らしい名前です。大切になさってください』と言われたのを、今も忘れません。まさか、その青山さんが府連会長になって、私の応援に来てくれるとは、夢のようです」と仰いました。
 わたしも、聴衆のみなさんも、国会議員、府議、市議のみなさんも、ちょっとこの奇縁に驚きました。

 わたしは、ひとりの青年が確かに「旭」という名前で、サインしながらそのように申したことは覚えていました。
 しかし、それがまさか、岸和田市議会のたんぼさんとは・・・!



▼右端は、今やわたしの右腕となってくださっている、大阪府連の幹事長を務める大阪市議、前田かずひこさんです。
 神戸大学卒の元財務官僚、今は大阪市議会きっての若手改革派です。

 まんなかの、たんぼ候補は「青山さんと一緒だと緊張してしまう」と仰っていました。わはは。

▼このあと、大阪市内へ戻り、大阪府連の「地方議員政策懇談会」に参加しました。




▼夜遅くに、都内の自宅にふたたび戻りました。
 そして日付の変わった1月27日月曜の未明に、茨木市議選で自由民主党系の候補5人が全員当選したことを知りました。
 大阪府連会長としての初戦は、全勝となりました。

 上田ミツオさんは、次点の候補とわずか46票差でした。
 際どい接戦を制したのは、上田さんの力です。人徳、明るさ、誠実さ、政策力です。
 ただ、2度、応援に入って良かったとは思いました。

 岸和田市議選は、たった今、進行中です。

▼こういう日々ですから、ブログを書くのは至難の業です。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録時間をひねり出すのも、超がつく至難のことです。
 それでも、ブログ、動画という無償、無条件の発信は、命が続くなら、続けたいと思っています。

 動画は、未紹介の最新分がまた少し溜まっています。
 ひとつはこれです。
 石破政権の愚策のひとつ、中国人のビザ緩和への反撃開始です。

 独立講演会は今、こうやって、開催の時間をつくっています。
 2月22日に京都で開く独立講演会に、できれば、お出でください。
 いま1月29日水曜の午前2時40分、きょうの午後1時が応募〆切ですから、仮に今起きていらっしゃる人が居て、応募しようかなと思ってくださっても、あと半日も無いわけです。みなさんと無事、会えるでしょうか。
 ここか、このボタン
です。

「知りがたきこと陰の如く、動くこと雷霆 ( らいてい。烈しいかみなり ) の如し」
 高杉晋作を、盟友が評して、漢籍から引用した言葉です。
 敬愛する高杉晋作は、長州藩を内部から変えて、日本を列強に侵されない国に変えました。
 内部から変えるとは、歴史のある組織に巣くう俗論を打ち破ることでもあります。
 そのためには、力を蓄えることがまず必要です。
 選挙ごとに民意と連帯する、それこそが現代民主主義における、力です。

※ 書きますよ、とお約束しているエントリー「激闘オーサカ その2」は、その内容の一部がこのエントリーに含まれています。
 しかし、できれば、全体を書きたいと思っています。
 ブログも丁寧に書きますから、他の仕事の時間、寝る時間が大きく削られてしまうので、なかなか書けません。
 ブログを、現実の仕事の進行が追い越していくのです。








 
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