On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-03-10 03:48:15
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【修正しました】  祖国の沖縄に光あり、主権者の鋼の意志あり、それに隠れた成果ひとつ



▼きのう3月9日の日曜に、自由民主党の党大会が開かれました。
 主権者のみなさんから国民の窮乏をめぐって総批判とも言うべき反感を受けているなか、派手な演出が先行した感があります。
 少数与党であっても政権党、みずからを滅して祖国と民の救済を掲げるべき党大会にとって正しいか疑問です。したがって写真は撮りませんでした。
 石破総理の演説は、感傷に流れた印象が強く、何を日本の指導者としてなさるのか、不肖わたしには分かりませんでした。

 その自由民主党の大阪府連会長として、「党大会までに参院選の大阪府選挙区の公認候補を決め、その候補に演出の一環として舞台に登場していただく」という、いわば普通のやり方を採りませんでした。
 党大会に間に合わせることがほんらいの目標ではなく、主権者のみなさんに真に向き合って議席を確保できる候補を選び出すことこそを目指さねばなりません。
 ひとつまえのエントリーにて、産経新聞による軽佻浮薄の見出しを強く批判いたした通りです。

 参院の大阪府選挙区は定数が4議席あります ( 定数全体は8議席、その半数を3年ごとに改選 ) 。有権者も780万人近く、いらっしゃいます。
 しかし自由民主党は前回も前々回も、1人しか当選していません。
 その厳しい情況をありのままに踏まえて、昨年の12月22日に大阪府連会長となってから、じりじりと正しい選択へ進む水面下の努力を、大阪府連の各層のみなさん、党本部の要人のみなさん、それぞれと共に重ねてきました。
 これからも続けます。
 それを深く理解されている、あるキーパーソンはわたしに党大会の直前、「 ( 大阪があえて候補者を出さない ) 党大会で、ひとつの山を越えます。そのあとに、どうぞ府連会長のお考えで加速してください」と仰いました。

▼その党大会の壇上に、まるで一筋の新しい光が差すように、沖縄の参院選公認候補として、奥間亮・那覇市議の姿がありました。
 みなさん、もしもよろしければ、「ぼくらの祖国」新書版の第18ページを開いてみてください。
( 新書になる前の単行本でも同じ18ページ。本の宣伝ではありませぬ。本をお持ちでない方は、たとえば図書館で、できましたらどうぞご覧になってください。いや、やはり自分の本で読みたいという方は、現在は電子版でどうぞ ) 
 そこに登場する、琉球大学の学生が奥間さんです。わたしのふだんの呼び方では、おくまちゃんです。

 奥間さんは「思春期のころから、夢のない無気力人間だったぼく」が、不肖わたしの硫黄島を語る動画を視て、心が変わり、「自分の欲求、私利私欲だけを追求し続けて死にたくない」と考えるようになり、明日から沖縄県警の警察官になるというEメールをくれたのです。
 たまたま、わたしが「ぼくらの祖国」を苦吟して執筆している最中のことでした。

 そして奥間さんは、「ぼくらの祖国」の続編である「ぼくらの真実」に、ふたたび登場します。第217ページです。
 そこで終わらないのです。
「ぼくらの真実」の第220ページを見てください。
 そこには「Z」さんが出てきます。
 今は、その名を明らかにできます。ご本人は当時から、実名を明らかにすることを諒解してくれていたのに、当時はわたしがあえて仮名にしました。
 本の中では違う理由を挙げていますが、ほんとうはZさんが、ひなたちゃんというわずか生後5か月の赤ちゃんを喪ったことから、仮名にしたのでした。

 そうです。奥間亮さんです。
 奥間さんは、警察官から、家族と親戚の猛反対を押し切って那覇市議選に出馬され、当選されていたのです。わたしは当時、選挙に出ることを断り続けていましたから、まつりごと ( 政 ) の実世界に入ったのは、奥間さんの方が先輩です。
 それを知らせるEメールをもらい、わたしは「ぼくらの真実」にこう記しています。
「沢山の出逢いを経験してきましたが、おのれの書いた本の中から突然、若者がむっくりと起き上がって挨拶をされるような凄い経験は、ありませんでした」

 わたしがそれに返信を出した、わずか6日後に、奥間さんからEメールが返ってきました。
 そこにはこう書いてありました。
「那覇市議会議員の奥間です。青山さんに、お伝えしたいことがあります。実は、昨日の早朝、長女ひなたが、亡くなりました」
「生後五か月でした。原因は不明ですが、乳幼児突然死症候群という病の可能性があるそうです。ついさっきまで元気でしたが、気がついた時には、亡くなっていました。持病もなく健康で元気でしたが、なんの前触れもなく、突然亡くなってしまいました」
「私は警察官でしたから、娘の顔を見た瞬間、もう亡くなっていることは経験から分かりましたが、娘の名前を泣き叫びながら、取り乱しながらも、心臓マッサージを続けました。お腹が少しだけ、温かかったので、諦めませんでした」

 このあと、奥間ちゃんとわたしはふたりで魂の交信を、Eメールという手段を借りて続けました。
 彼は最後に、こう記しました。
「全ての子供たちが幸せになれるように、私は自分の仕事をしっかりと頑張ります ! 」

▼このやり取りのすべてを、奥間亮さんは、実名で私の本に記す、明らかにして読者に伝える、そのことを諒解してくれました。
 いったん実名で原稿を書きました。
 しかし、つのる辛さに、わたしはZと仮名にしたのでした。

▼その奥間さんは、祖国の沖縄において那覇市議として12年間、戦ってきました。
 日本を悪とする風潮と戦い、自由民主党の古い体質とも戦い、沖縄のみんなに認められて、ついに夏の自由民主党公認候補として、きのうの党大会に姿を現したのです。

 わたしは奥間さんに遅れて、ようやく選挙に出て、自由民主党を中から変える参議院議員となり、同時に作家として「ぼくらの真実」をベースに進化した新書として「危機にこそぼくらは甦る」を書きました。
 その中の第193ページからふたたび奥間ちゃん ( 奥間さん ) に、今度は実名で登場してもらい、212ページからは、那覇市議としての戦いぶりを克明に、新たに書きおろしました。
 奥間さんは、ひなたちゃんの一周忌の命日と偶然、運命的に重なってしまった沖縄知事選で、共産党や社民党と手を組んだ自由民主党那覇市議団にたったひとりで抵抗して、知事選のあと無所属会派となったのでした。

 その奥間さんが今回、沖縄の名門出のベテラン政治家をおさえ晴れて、自由民主党公認の沖縄県選挙区参院選の候補となりました。38歳です。魂の交流が始まって20年です。
 これは政治的な奇蹟であり、奥間ちゃん ( 奥間さん ) のおのれを抑えた静かな、調和型の戦いの成果であり、そして自由民主党が実際に中からすこしづつ変わっている証左です。

 不肖わたしも、意外でしょうが、独断専行型ではなく調和型です。誰とも膝を交えて辛抱強く話しあいつつ、しかし芯のところでは確たる具体的な理念、目標を据えて、じりじりと進んでいきます。
 府連会長に就任してまだ2か月半ですが、大阪のみなさんはそれを分かってくれているようです。
 その意味からも、奥間さんの静かなる、しかし堅固な理念を持つ戦いが、ひとつの成果を挙げたことに深く共感します。

▼冒頭の写真の2列目、右端が、われらが奥間ちゃんです。
 参議院議員となったわたしが、党の「政治大学」で講義したとき、駆けつけてくれました。



▼那覇市議当時の奥間さんが、議員会館の青山繁晴事務所へやって来てくれました。
 どうです、この温和な、新鮮な笑顔。

 この時はまだ、奥間さんが西暦2025年夏の参院選で自由民主党公認候補になるという新しい光は、正直、兆していませんでした。
 奥間亮という若い政治家の高い人望と公平な手腕、それは驚嘆すべきものがあります。

▼このエントリーのタイトルに記した「主権者の鋼 ( はがね ) の意志」とは何でしょうか。
 それは、不肖わたしに声を掛けてくださった、全国からの党大会への参加者のことです。
 自由民主党への憤激、不満、憎悪、絶望が全国あまねく広まり、深まるなかで、その自由民主党の良くないところを、わたしと共に諦めずに糺し、祖国を危機から救い、国民を窮乏から救う意志をありありと感じました。

▼そして「隠れた成果」とは何か。
 護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) から派生した ( 派生して両立している ) 、「政治 ( まつりごと ) 変革会議」がずっと掲げてきた「令和版の政治改革大綱」の策定が、やっとこの党大会で正式決定したことです。

 オールドメディアは「政治 ( まつりごと ) 変革会議」の役割は完全に無視、主権者のみなさんの大半は、この決定の意義そのものに気づかれておらず、すべてがちゃんと分かっているのは、政治 ( まつりごと ) 変革会議の事実上の事務局長を務めてくれている和田政宗・参議院議員ほか数名の議員だけかも知れません。

 奥間候補の誕生、新しい政治改革大綱の策定決定、いずれも、主権者のみなさんの怒りと不満を鎮めるには何の役にも立たないでしょう。
 眼に見えては役に立たずとも、時代はこうやって現場の深いところから変わっていくのです。 

 時代の先っぽ、先端はいつだって、ごく限られてしか、見えません。
 それは人間の、あるいは人間社会の、宿命です。
 また、古いものを無視しても、日本は変わりません。それは2685年という破格に永い歴史を持つ、日本社会だけの特徴です。日本国を変えるには、古いものの内側から丁寧に、しかし実は激烈に変えるほかありませぬ。奥間さんも、わたしもその道を歩んでいます。

 わたしは府連会長になってから、1日のうち2分から最大でも5分のスキマ時間をつくって、幕末という大転換期の資料、また難攻不落の大阪城が落城するときの資料を読んでいます。
 日本には、どのような絶望の時代にも、先っぽを非難囂々のなかで歩む、少数の群像があります。
 あなたもここから、その一員に加わってください。

▼いかなる時も無償、無条件の発信をやめません。
 ただし正直、この先はもはや分かりません。
 心身は限界を、遙か以前に超えています。わはは。
 とりあえずは生きていますから、続けます。

 というわけで「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」は昨夜も、最新放送をアップしました。
 ここで、「政界再編構想 まずは連立の選択闘争」を赤裸々に話しています。

 地球上最善の学生インターンというべき増野優斗くんは、先日、21歳になりました。
 4月から、早稲田大学政治経済学部政治学科の最終学年です。
 彼は「20歳の1年が長かった」と言っていますが、21歳はあっという間かも知れませぬ。
 彼が居るうちに、優斗くんの無私、無償の努力で成り立っているショート動画も視てやってください。
 増野優斗くんのためではなく、祖国のために。
 彼もまた、奥間亮さんと同じく、そして奥間ちゃんよりさらに若い国士であり、私心を捨てているわたしの生涯の盟友でありますから。



 とある地方にて。
 この日の大切な仕事を全て終えた、あと。

 奥は、議員会館の青山繁晴事務所ではいちばん新任の、と言っても経験充分な川村香奈枝・公設第一秘書。
 ぼくの顔は、日焼けです。ぐはは。
 ぼくはふだん、ピースマークだか、Vサインだかはしないので、これは優斗くんへのサービスのつもりでしたが・・・彼の大きな目がやや点になっています。わははのは。
 撮影者は、三浦麻未・公設政策秘書。

 ぼくは ( いつのまにか「わたし」がぼくになっている ) 、献金ゼロ、パーティゼロ、企業・団体支援ゼロ、親分・派閥・準派閥からの支援ゼロ、後援会ゼロなので、どんなに忙しくても私設秘書はひとりも雇えなくて、公設秘書だけです。
 入間川和美・公設第二秘書を加えて公設秘書3人、学生インターンの増野優斗くん、この4人の少数精鋭です。
 そして外部でありながら実質的に、かつ法にしたがって、ぼくの行動を支えてくれるタケル、ツルちゃんのおふたりもいます。

 わたしたちは命の一滴、一滴を、祖国と民のために。





 
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