2025-07-07 03:00:43
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【推敲し追記しました】 忘れがたい日となりました

▼参院選大阪夏の陣の第4日、7月6日の日曜です。
前日に「明日、大阪護国神社に来てほしい」という連絡が突如、入りました。
聞けば、安倍晋三総理の「慰霊祭を挙行します」とのこと。2日後の7月8日が、3年前に安倍さんが奈良で暗殺された命日です。みなさんも良くご記憶の通りだろうと思います。
それをまえに慰霊祭・・・だろうとは思いましたが、なぜ前日の突然の連絡なのか、慰霊祭とはどんな挙行内容なのか、いずれも分かりません。ただ、安倍昭恵さんがお見えになることは分かりました。

▼その7月6日、護国神社へ行く前に、歯科医師連盟の推す全国比例の候補、ひがなつみさんとのコラボレーションに参加しました。
不肖わたしが誰よりも早く国会に登院していることは、このブログの読者なら、ご記憶のかたも少数ではあってもいらっしゃるでしょう。
ひがさんは実は、わたしのあとに早く来られる参議院議員なのです。誰も見ていないところで、歯科医師連盟も見ていないところで努力されている人だと思います。20数年間、歯科医をされてきた人でもあります。

▼歯科医師のみなさんに、大阪選挙区の候補、柳本あきらさんを紹介しました。
わたし自身は、いかなる団体の支援も一切、お断りしています。
しかし、それはわたしの生き方であって、柳本さんには不可欠です。

▼ただし、わたしの語ることは、いかなる現場でも変わりませぬ。
場によって話を変えたり致しませぬ。
ジミントウに主権者の怒りが集まっている現実をありのままに語り、その憤怒をどうやって、祖国の新生に繋げるかをお話しました。
新刊の『憤怒と祈りで建国だ』の核心のナマ語りとも言えます。
新刊は、初版の誤植をすべて修正した重版を、版元と協力して懸命につくり、すでに書店に出ています。しかし「ジミントウの議員の書いた本なんて」というお決まりの決めつけに阻まれて、初版も重版もさして読まれてはいません。
屈せずに、書き続けるだけです。

▼そこから大阪護国神社へ向かいました。
かつて魂を込めて講演をいたし、神社内に並ぶ帝国陸海軍の戦士のかたがたの報われざる慰霊碑のひとつひとつ、すべてに拝礼いたした場所です。あとになって、宮司がじっとそれをご覧になっていたと知りました。
▼大阪への長期滞在に出発する直前、東京の自宅にて大急ぎで荷造りしたとき、喪服は入れていません。暗殺の地でもなく安倍さんのふるさとでもない大阪で安倍さんの慰霊式があるとはを予想していないのはもちろんのこと、炎暑の街頭演説に備えて、着替えだけでいっぱいでしたから。
なんとか黒い上着だけはレンタルで確保して、神社へ入りました。
選挙戦の軽装に黒い上着を羽織っただけになりました。申し訳なかったです。

▼「慰霊祭」とはなんと、安倍総理の受難を歴史に留めるための碑の除幕式だと分かりました。
暗殺された奈良には、ついに碑が設置されず、今は全国比例の候補となっている長尾敬さんらの尊い努力で、ここ大阪護国神社に建立されることになったのでした。
前日まで何の連絡も無かったのは、妨害や嫌がらせを避けるためだったとの説明を現場で受けました。
▼同じ日に、奈良では暗殺現場に献花台が用意され、多くの主権者のみなさんが花を捧げてくださったと聞いています。
献花なさったみなさんと、献花台を設置なさった有志のかたがたに、畏敬と感謝の念を捧げます。

▼安倍さんが現れてくださいました。
総理ご夫妻の揮毫がそのまま刻まれてもいます。

▼そのあと、社殿において慰霊祭が挙行されました。
不肖わたしも榊を謹んで捧げました。
背後に、安倍昭恵さんがいらっしゃいます。
涙を拭っておられるのが、わかりました。3年経ってもなお、昭恵さんの心の深い傷が癒えていないことを感じました。
わたしも胸の裡(うち)で安倍さんと対話しました。
安倍さんとわたしはほぼ同世代です。出逢ったとき、若い安倍さんはまだ議員ではなく、わたしも駆け出しに近い政治記者でした。安倍さんは、わたしに対し「ふつうの政治記者と違うね」と関心を持たれ、そこから始まって長い心の友でありました。
それは暗殺後に、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』にて初めて明かしました。
社殿で黙するとき、安倍さんの無念は、祖国の現況にあることが伝わってきました。「総理とは、ほんらい、護国の人でなければならない」という声が聞こえるようでもありました。
▼現職の国会議員の参列は、わたしひとりでした。
事前に知らせることができなかった影響だと思います。
わたしがなぜ招かれたのかは分かりません。自由民主党大阪府連の会長であるためかとも思いましたが、榊を奉納するとき府連会長としては呼ばれず、ただ「参議院議員 青山繁晴どの」と呼ばれました。

▼式典のあと、安倍昭恵さんと短く言葉を交わしました。
そして、ひとり、慰霊碑に祈りと誓いを捧げました。
▼護国神社を辞するとき、日本晴れに旭日の旗が翻っていました。
かつて講演に来たときと同じく、すべての戦士の碑に拝礼して回ってから、選挙戦に戻りました。
( 以下、その2へ続く )













