2025-07-10 04:57:12
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
候補者の名前を見て吐き気を催すと仰る主権者へ

( 大阪駅前にて )
▼参院選大阪夏の陣の柳本あきら候補について、「都構想反対演説のときの下品な演説を思い出し、吐き気がする。他にも柳本の名を見ただけで吐き気がするという人が何人も居る」、「こんな人を重用するなんて、青山さんと握手したときの感激が露と消えた」という趣旨の書き込みを、大阪在住らしい女性からいただきました。
よく分かりました。
投票という神聖な行動と選択において、真摯に臨まれていることが伝わってきます。
そのご意思を、国民の代理として、あくまで尊重します。
▼そのうえで、3つだけ申しあげます。
徹夜仕事で夜がすっかり明けてしまっていますから、どこまで丁寧に説明できるか分かりません。恐縮至極です。
その1
わたしが自由民主党大阪府連の会長に思いがけなく就任したのは、昨年12月22日です。
府連はその半年前の昨年末にすでに、候補者の公募を正式決定していました。ところが石破総裁が「現職が居るんだから、公募はやらない。現職は、総裁選で協力してくれた大切な人材だ」という意思を党本部に強力に降ろされていました。
府連の決定と、総裁の意思が、真っ向から矛盾しています。同時に、公認権はルール上、総裁にだけあります。
このため、半年のあいだ、わたしは苦闘に苦闘を重ねました。
公平に申して、問題は、総裁の意思だけではありませんでした。府連の内部からも、予想していた通り、足を引っ張る行為が頻発しました。
しかし最後には、現職の辞退という青天の霹靂もありましたが、総裁も納得され、府連内部も異なる意見を尊重しつつもきちんとまとまり、自由民主党の党史70年に「一度もありませんでした」と党本部の事務方が仰る、公正な公募が実現したのです。
その公募には実に66人という党史最多の有志が募集され、不肖わたしと木原選対委員長の2人、すなわち論文を読み慣れた読み手によって66本の全論文を精読しました。
その論文審査によって面接に残った7人の応募者について、8人の選考委員で、6月11日の早朝から面接を行いました。
そして、政策の立案力をはじめ5項目について、子供たちの通信簿とおなじく5点から1点までの客観評価を致しました。これは無記名の採点です。ですから、選考委員の8人は、森山幹事長から当選まだ2回のわたしに至るまで全員平等、かつ情実一切なしの採点となりました。
事務局だけで採点を集計し、柳本さんが政策立案力などで高得点を得て、ただひとり150点台を出す第1位でした。
2位の元一等空佐の志津雅啓さん、3位の大阪府議 ( 要請があったので名は伏せます ) がいずれも130点台でした。
こうして柳本さんが公明正大に選ばれた以上は、府連会長のわたしが、応援遊説に回るのもまた、公明正大な責務です。
違うでしょうか。
その2
したがって『重用』などということとは、異なりますね ?
重用という言葉、あるいは行為には、組織の長の利権であったり保身であったり野心であったりが、ちらつきます。
わたしは、万やむを得ず国会議員となったと同じく、大坂の自由民主党の長である府連会長も万やむを得ず、なりました。
いずれもおのれで決したのですから、背負った責務は、最後まで命を捧げて果たします。利権、保身、野心いずれも無縁です。
ちなみに、この経過で参院選大阪夏の陣に臨んでいますから、柳本さんが落選すれば、その瞬間に、府連会長の辞任を表明します。
パーティをやめて運動会にすることをはじめ府連改革は露と消えますが、敗戦の府連会長にそれを遂行する資格はありませぬ。
参院選で負けてもなお、石破総理が辞めない懸念が強まっていますが、恐縮ながら、生き方が違います。わたしはにんげんの真実を追及するのが責任の作家でもあります。世襲政治家ではありません。
その3
都構想は、二度にわたり住民から否認され、一方で自由民主党大阪府連も壊滅状態に陥りました。
この半年のあいだ、三浦麻未・公設政策秘書らの変わらない反対を顧みずに、府連会長として泥の海を泳いだり潜ったり、はたまた浅瀬でもないのに首だけ出して泥中を歩いたりしているうちに、よおく分かったことがあります。
大阪は、仁徳天皇が、日本のオリジナルな民主主義を確立された地です。
日本人の魂の根っこの地です。単なる商都ではありませぬ。
その大阪は、すこし過去に拘りすぎではないでしょうか。
歴史上の大坂冬の陣、大坂夏の陣で、落城に至ったときもまた豊臣方、大坂方は過去に囚われていて、関東方の徳川家康の奸計に嵌まったと、これは隣の神戸から、少年時代のぼくが未熟ながら考えていたことです。
その幼い史観が正しかったのではないかと、僭越ながら今、痛感しているのです。
半年のあいだずっと、さまざまに立場も違い個性も強い地方議員のみなさんから意見を聴いてきました。これまでの府連会長が意見聴取をしなかった事務方のひとたちとも、個別面談でじっくり話を聴きました。
国会で参議院の環境委員長を務め、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の84人の衆参両院議員の代表でもありますから、これをやるのはほんとうに大変で、まだまだ不充分です。
しかし、分かったことは、ただ2人の例外を除いては、すべて過去の話だということです。
過去にどんな目に遭ったか、過去にどんな人を卑劣だ、下品だ、狡いと思ったかを切々と語られ、なかには黒いカバンいっぱいに「正しいのは自分である」という「証拠書類」を運んでこられた元国会議員もいらっしゃいました。
いずれの話も、わたしの胸の奥まで送り込んで、よおく理解しました。
ただ、前を向く話がほんの少しでも出たのは、2人だけ、いずれも採用からまだそう時間の経っていない若い事務方です。
しかもうち1人は、遠いところから最近、大阪へやって来た人です。
大阪は、古代には首都でした。上記の仁徳天皇やその御子の反正天皇の時代ですね。しかしそのあとは、長いあいだ首都を喪ってきました。
その恨みが、無意識に積み重なっているのではないか、それがいつまでも過去を見る癖に繋がっていないかと、沈思黙考せざるを得ませんでした。
柳本あきらという人は、かつては都構想反対のために共産党とまで組んだことがあるのは事実です。
仮に、当時の府連会長の指示に従ったとしても、その過去は否定できません。
しかし、にんげんは誰しも、生まれ変わることができます。
柳本あきらさんは、わたしのさまざまな諫言を経て、ほんとうに変わりました。
できれば「しげちゃんとあきらの毎晩対話」を、お嫌でしょうが、最初から視てみてください。
すくなくとも「下品」と感じられた側面は、払拭されているのではないかと思います。
もしも、うれしいことに、ご覧いただけるならここです。
その1で記したように、わたしは柳本さんの選挙を責任感で遂行しています。
ただ、型どおりにやれば責任を果たしたことになるとは、ふだんのすべての生き方と同じく、まったく考えません。
そのため、候補者である柳本さんにも、選対本部長代理である前田和彦・府連幹事長 ( 大阪市議 ) にも、選対本部事務長の須田旭・大坂府議にも、諫言の風雨をどんどん吹きつけています。
前田さんや須田さんにだんだん嫌われていくのが分かっています。それでも、そうしています。
そして、柳本さんを含め、3人ともほんとうに良く諫言を受容してくれていることに感謝しています。
大阪府民の女性のかたから、正直な心情を教えていただいたことにも、選対本部長として、深い感謝と畏敬を申しあげます。













