2025-10-12 23:03:15
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【すこし推敲しました】 本来の自由民主党へ いや、党利党略ではなく、本来の日本のまつりごと ( 政 ) へ
▼2日まえの10月10日に台湾で開かれた中華民国の建国記念日 ( 双十国慶節 ) は、例年より軍事色の強いものでした。
頼清徳総統に、中国が圧力を極度に強めていることが背景にあります。
内政の混乱に対峙することに精一杯の日本では、ほとんど語られていません。
台湾と日本は空路でどれくらいか。風向きによりますが、かかっても3時間ほど。新幹線でいえば、東京から岡山ぐらい。
そんなに近い隣国に迫る危機が他人事のようです。
▼ただ、わたしを含めた超党派の日華議員懇談会で、この祝典に参加した議員は30人近くに及び、多かったです。
自由民主党がもっとも多く13人、立憲民主党が5人、国民民主党が3人、維新の会も3人、参政党は2人、そして衆院の会派「有志の会」も2人の計28人の衆参両院議員です。
公明党はゼロです。
公明党・創価学会の親中姿勢がゼロの理由であることは、すでにアジアの常識です。
▼頼清徳総統と順番にお目にかかるとき、わたしは通訳を挟まず英語で直に、「日本はあなたを助けます」と、総統の眼を見て申しあげました。
英語で申したのは、医師でもある頼総統がハーバード大学で公衆衛生学を修められていて、英語名もお持ちだからです。 ( もっとも、英語は英語というより国際共通語ですから、トップレベルの政治家で英語を話さない政治家がたくさん居るのは主要国では日本ぐらいです )
頼総統はにっこりと「分かりました。そのように期待しています」と英語でお応えになりました。
▼上空を台湾空軍の戦闘機が衝撃音を轟かせて飛ぶのですが、「これが中国空軍の来襲であれば、日米台がどう対処するか」ということを考えざるを得ませんでした。
防衛に詳しいとオールドメディアで称されている、ある議員が「戦闘機のお腹が見られてうれしい」と本音を漏らされるのを、たまたま小耳に挟んで、ちょっと内心で驚きました。そのぐらいの現場経験で、防衛に詳しい ?
陸海空の統合演習の経験があれば、むしろ戦闘機のお腹をたくさん見ます。
それでも、この議員もちゃんと双十国慶節に参加されているのですから、安全保障に弱い日本の国会では、とても良き人材と考えるべきです。
▼緊張感の高い祝典のさなかに、台湾の少女たちが優しい踊りを披露してくれました。
わたしが台湾を初めて訪れたのは、遠く記者時代に遡ります。そのときに、街で話した主婦のひとが「大陸に呑み込まれて自由を喪うことだけはしたくない」と仰っていたのを、今なお鮮明に覚えています。
政治色などまったく感じない、ほんとうに普通の女性でした。
その記憶もあって、少女たちの踊りから、わたしの胸には「自由への希求」という言葉が浮かびました。
このエントリーに記したとおりです。
▼式典への参加だけではなく、到着して空港から真っ直ぐ向かった韓国瑜 ( かん・こくゆ ) 立法院 ( 国会 ) 議長ら超党派の国会議員との懇談、台湾の経済界との話し合い ( 写真 ) や、頼清徳総統と神戸生まれの女性ホープの蕭美琴 ( しょう・びきん ) 副総統らと昼食を共にしながら議論する懇談会などなど、1泊2日の弾丸出張に公式日程が詰まりに詰まっていました。
参加した議員はほぼ全員、初日の午前4時半とか5時起きで早朝の飛行機に乗り、翌日の夜遅めに帰国でした。
▼先の短いエントリー ( これとこれが本筋。これは、いわば寂しい余談 ) はいずれも、祝典の席でスマホにて発信しました。
祝典は、頼総統の演説以外にも前後の行事がとても多く、暑さと戦う長時間でした。それもあり、東京、および大阪をはじめとする地方組織を含めて日本と、公明党の連立離脱の動きについて、座席に座り続けたまま同じスマホを使って声を出さずに議論を続けました。
と言うより、切迫した情況でしたから、もうその場でやるほかありませぬ。
同時に、台湾有事の恐怖と戦う台湾の今を、ひとかけらも軽く扱わないように、日本国の政権党の議員として祝典と行事のすべてを胸に刻んでいました。
▼言うまでもなく、今の時代は、身は台湾にあってもコミュニケーション・ツールを使って政局に関与できます。
ただし、前述の短いエントリーで繰り返し強調しましたように、高市新総裁とはまったく何も話していませんでした。
わたしは参議院の環境委員長です。しかしそれは、立法府における厳正中立の立場ですから、政局には何も関係しません。
党において公式の立場は、組織運動本部の副本部長で、これも政局に何らの影響力も持たない地位です。 ( ただしこれもまもなくお役御免でしょう )
したがって、あくまで個人的な人脈、ただし与野党にわたる信頼関係を活かしての動きに過ぎません。
▼公明党が連立に留まる条件として、歴史認識まで高市新総裁に妥協を迫ったのは、いわば内政干渉として強い疑問を持ちました。
歴史の見方や国家観、理念が違うからこそ違う政党なのです。連立とは、党を合同するのではありませんから、具体的な政策でこそ一致点を見つけて連携することです。
したがって、歴史認識を合わせろというのでは、公明党は実は連立を離脱する理由を探しているのではないかと、わたしは考えざるを得ませんでした。
要は、石破さんや小泉さんとは違う歴史観、国家観を持つ高市新総裁の自由民主党とは一緒にやりたくないのではないかとも思慮したのです。
その背景には、たとえば、公明党の支持母体である創価学会の婦人部などの反発があるという見方も耳にします。ただ、これはあくまで憶測、推測の類いです。
▼しかし、高市新総裁はこの「歴史認識」について、公明党に説明し理解が得られたと仰いました。わたしに仰ったとかいうのではなく、公に明らかにされました。
その「説明」がどんな説明だったのか、公明党が「理解」したというのはどんな理解だったのか、分からないままです。
自由民主党の総裁になって、次は首班指名選挙で総理になるはずの高市総裁としては、懸命に公明党と妥協なさろうとしていることが伝わってきました。
▼それでも、公明党は政治とカネ問題などをいわば追及してやみません。
当初は、「理念と違う新総裁とは連立を組めない」と斉藤公明党代表は仰っていましたね。
しかし「政治とカネ問題」を連立離脱の理由にすれば、公明党は世論の支持を得やすくなり、多くの野党とも話しやすくなります。
▼台湾訪問は、前述のように初日10月9日の朝から日程がぎっしり入っていました。
そのさなかに、公明党の連立離脱の意思が非常に強いという情報に接しました。
わたしはこの段階で「公明党との連立を解消して、自由民主党の本来の姿に戻るべきだ」と考えました。
しかし高市新総裁が力を尽くして公明党との妥協点を模索していることを考え、それ以上の行動には出ませんでした。
ただ『実質的に、自公連立はすでに終わっている』と考えました。
▼10月10日、祝典の本番となり、そのさなかに、公明党が支持母体である創価学会の意向を踏まえてとっくに高市新総裁との連立に見切りを付けている事実を、把握しました。
わたしはわたしなりに即座に決断し、連絡できるところには、「自由民主党は自公連立の解消を決断すべき。決断して新時代を拓くべきです。もはやこれ以上、妥協してはならないと考えます」と伝えました。
このわたしの行動が、どれくらい影響を与えるかはまったく分かりません。上述の通り、わたしは国会では常任委員長のひとりであっても、与党において何者でもありません。何も影響しないと考えるのが妥当でしょう。
しかし、主権者のみなさんにも、リアルタイムで不肖わたしの決断を伝えるべきだと、警戒きびしい祝典式の座席で考えました。
それが、4年連続で党員数1位という実績を主権者のみなさんから与えていただいた責任だと思います。
▼そこで、10月10日金曜日、台湾時間の午前11時35分、日本時間で12時35分、以下のように記したエントリーをスマホで書き始めました。
「党幹部のひとりに公明との連立解消を提起し、この幹部は同意されました。
あくまで水面下の、そして高市総裁はわたしと一切、何も話されていません。個人的な考えであることを、もう一度、強調しておきます。
( 台湾の国防軍の前で少女たちが明るく踊ったとき ) わたしは、人間の自由への希求を感じました。
そうです、主権者と自由民主党も、長年の公明党、創価学会への依存から、今こそ自由になるべきです。
しかし最後は、高市総裁のご決断です」
▼これが経緯です。
一度、みなさんに説明しておきたかった。
明日10月13日月曜の午後3時ごろから、読売テレビの「ミヤネ屋」に参加します。
地上波の番組で、どれくらい語れるかは分かりません。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の動画を配信するだけではなく地上波の番組にも参加せよと、ずいぶん沢山の主権者のみなさんから意見をいただきますが、ほんとうはオファーがほとんど無いだけですよ。わはは。
国会議員になった直後に『TVタックル』と『朝生』への参加はお断りしました。何が起きるか分かっていたからです。
そのあと、すべての番組オファーが無くなりました。なぜかは分かりません。
テレビ局にそうした横の連絡があるのか、それとも報道番組をも仕切っている芸能プロダクションの横の連絡なのか、わたしには分かりません。
日本の社会は、国会議員や、国立大学の教官まで芸能プロダクションに所属してテレビへの出演機会を増やしギャラも上げてもらおうとする社会です。
わたしはそれを一切しませんから、分からないし、分かろうとも致しませぬ。
実は、人事も同じです。
ほぼ似たような経過です。
不肖わたしの理念と行動は、身近にいる秘書さんでも、三浦麻未・公設政策秘書のように長い時間を共にしないと、なかなか理解されません。
大阪府連会長だったとき、突如、ある身近な人から「だから出世しないんですよ」と言われて、はぁー、理解されてないないんだなぁと実感したことがありました。
政治家というのは出世を望むものだという固定観念で、わたしという議員のことも見ているんだなと分かりました。政治の世界で長いキャリアを持つからこそ、そのように考えるのでしょう。
この人の期待に応えていなくて、申し訳ないですが、わたしはみずからの出世は望んだことがありません。これからも、そうです。
三浦秘書は、独立総合研究所の社長だったわたしの秘書となってから、10年を大きく超えています。長いというだけではなく、最初から「国を官任せにしない。民 ( みん ) が、私利のためではなく、国を支える安全保障や資源のプロフェッショナルな仕事をする」という理念を掲げる独立総合研究所だからこそ入社してきたために、わたしを理解し、だからこそ「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の動画でも息が合うのだと思います。
一方で、そういう出発点を持たない人でも、やはり長い時間を一緒に仕事していると、わたしが何を願っているか、ぼくらの祖国のために何をしようとしているかが分かるんだなぁと感じることもありますから、すべて、長い目で見ています。
▼そのような不肖わたしは、今回の自公連立の解消について、「自由民主党を中から変える」と初当選以来ずっと申してきたことを実践する一環だと考えて行動してきました。
国会議員となってから、自民党と言わず、自由民主党と言ってきたのも、「自主憲法の制定」を立党の根本理念に掲げた自由民主党に戻るべきだという考えのためです。
公明党は「加憲」とは言っても改憲とすら仰らない党です。
自公連立の解消だけではなく、本来の自由民主党へ立ち返る、新しい時代を切り拓くときです。
それが、台湾有事への備えを含めた、日本の責務です。
アジアの自由と民主主義のリーダーが日本、ぼくらの祖国なのですから。













