On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-12-20 16:08:15
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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ウズベキスタンのミルジヨーエフ大統領と環境政策の連携を話しあいました・・・これが何とハプニング会談でした  そしてウズベキスタンには日本人が忘れてはならない大切な歴史があるのです


( きょう12月20日土曜は、国内出張です。雲海に差す光に、明日を感じました )

( 見渡す限りの同胞の暮らしに、幸あれとあらためて願わずにいられませんでした。
 明日12月21日の日曜には、神戸にて、ことし最後の独立講演会です。4日後のクリスマスには、新年最初の独立講演会@東京ビッグサイトの募集が始まります。独立講演会はわたしたちの連携の根っこです )

▼きのう12月19日金曜、日本とウズベキスタンの議連のひとりとして、国会から都内のホテルへ出かけました。
( 臨時国会は17日に閉じましたが、わたしは地元をつくらないので、そのあとも国会へ登院し続けます。国会議員となって9年半、ずっと変わりませぬ )

▼そのホテルで、ウズベキスタンの改革を進めるミルジヨーエフ大統領と議連メンバーの会談が行われるので、それに参加するためでした。
 つまり、あくまで議連のヒラ議員としての参加であり、環境副大臣の公務とはまったく聞いていませんでした。そのために、環境省から副大臣の秘書官も同行せず、また議員会館の青山繁晴事務所の公設秘書も同行しませんでした。

 ところが現場に着くと、ミルジヨーエフ大統領は環境問題に非常に深い関心を示され、突如として、環境副大臣として大統領と環境問題を短い時間であっても、議論することとなりました。
 議連のほかの参加者は、麻生・自由民主党副総裁、上川元外相、西村元経産相、鈴木元法相で、錚々たるメンバーです。
 ただ、現在、内閣に居るのは中村文科副大臣とわたしのふたりだけでした。

( 写真と映像をウズベキスタン政府関係者と同行メディアがたくさん撮られていましたが、こちらに提供があるのかどうかは分かりません。わたしの側は、前述の通り、同行者がいなかったので写真がありません )

▼どこに居ても24時間、主権者の代理人である国会議員であると同時に、いまは、同じく24時間、政府の一員ですから、別段、慌てず騒がず、ミルジヨーエフ大統領の問いかけに応えていくのは当然の責務です。

 ミルジヨーエフ大統領は親日家です。
 日本の環境技術に深い関心を寄せられ、特に、環境モニタリング技術と環境専門家の育成について日・ウズベキスタン連携を求められました。
 わたしは責任を持って、かつ分 ( ぶ ) を超えることは無いよう的確に、お応えすることに務めました。

▼そしてわたしは、大統領との会話の最後にこう申しました。
「わたしたちの先輩の同胞が、かつて敗戦後にソ連に抑留されました。その中から2万3千人におよぶ同胞は、ウズベキスタンに送られたと聞いています。そしてその同胞が、首都タシケントに造った劇場が、ウズベキスタンを襲った大地震で例外的に無事に残り、貴重な避難所となり、それ以来、ウズベキスタンのみなさんが日本人の志の高さや技術力の確かさに深い尊敬を抱いてくださっていると聞いています」

 ミルジヨーエフ大統領は、この発言をおおいに喜ばれ、「まったく青山さんの言うとおりです。わたしたちはあれ以来、日本に特別な敬意を持っています」と、こぼれるような笑顔でお答えになりました。

▼わたしの申したのは、知る人ぞ知る、大切な歴史的事実です。
 日本の敗戦後、ソ連、現ロシアは日本人を不当に、非常に数多く、そしてむごたらしく拉致して、凍てつく地で苛酷な強制労働に従事させました。
 日本がいまだにこれを「抑留」と呼んでいること自体が間違いです。極めて残酷な拉致であり、死を呼ぶ強制労働でありました。

 そのうちの2万3千人が、当時はソ連の一部だったウズベキスタンに送られ、さらにその一部が首都タシケントのオペラとバレエの劇場を建設しました。
 そのタシケントは、西暦1966年に直下型の大地震に襲われ、政府の建物も次々に倒壊し、30万人近い人が家を失うなかで、この劇場だけがびくともせず、被災者の避難所に使われて、ウズベキスタンの人々が一斉に日本人に感謝なさったのです。
 この劇場の外壁には今も、「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本人が、このアリシェル・ナヴォイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」というプレートが掲げられています。

 現地では「日本人抑留者が手抜きを一切せず、最上級の技術力で最善を尽くしたために倒れない劇場が造られた」と語り継がれています。
 この同胞は多くのひとが祖国に帰れないままウズベキスタンで亡くなり、その墓地についても「あの不倒の劇場を建てた日本人が眠る墓地だ」と語られているそうです。
 実際、ウズベキスタンの教科書にも、この歴史的事実が記されています。

▼ミルジヨーエフ大統領と不肖わたしは、このあと、たがいの眼を見て、これからも連携することを誓いあいました。

 大統領は、翌日、つまりきょう12月20日に、高市総理と首脳会談に臨まれました。
 これは高市政権が、中央アジア5か国の首脳を招いて会談され、各国の希少資源の実用化で連携することを確認しました。
 すなわち、この面でも中国に依存しないための外交を意欲的におこなった、その一環でありました。

▼いつでもどこでも無償、無条件の発信をやめません。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新放送のひとつは、これです。
 日本の環境政策を大転換させる、最初のステップが実現しました。

▼不肖わたしのモチベーション、やる気を支えるのは本の読者です。

 意識の流れを日本文学に持ち込んで、にんげんの救済に繋げるために、新しい小説を書きました。
 深夜から未明に苦しみ抜いて、完成させました。
『やさしく夜想の交叉する路』です。

 第1部が渾身の書き下ろし、第2部が知られざる若い力との対論、その新しいノンフィクションを書きました。
 これも深夜から未明に、もっともっと苦しみ抜いて、完成にこぎ着けました。
『絶望を撃つ』です。

 日本を救う新しい力のひとつが、女子力です。
 その女子力を応援するために、新しい重要な本にタイトルを付け、監修も力を尽くしていたしました。
『ぼくらの祖国 おんな版』です。
 その出版記念講演会にも、わたしは参加して、連携します。





 
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